伝習録 / 薛侃録
「顏子不遷怒、不貳過,亦是有『未發之中』始能。」
新字:「顔子不遷怒、不貳過,亦是有『未発之中』始能。」
書き下し
「顔子の怒りを遷さず、過ちを貳(ふたた)びせざるも、亦た是れ『未発の中』有りて始めて能くす」。
現代語訳
「顔回が怒りを他に移さず、同じ過ちを繰り返さなかったのも、『未発の中』があって初めてできたことだ」。
解説
怒りを他人にぶつけない、同じ過ちを繰り返さない。これらは、日々の生活や仕事において、誰もが目指したい行動規範です。しかし、この一節は、そうした「行い」の根源が、私たちの「内面」にあることを示唆します。表面的な行動を制御しようとするだけでなく、感情が生まれる前の心の状態、つまり「未発の中」を整えることができれば、怒りや過ちも自然と収まっていく。外側の現象だけでなく、内側の心の状態に意識を向けることの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
顔子不遷怒不貳過亦是有未発之中始能自省
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