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淮南子 / 繆稱訓

鵲巢知風之所起,獺穴知水之高下,暉目知晏,陰諧知雨,為是謂人智不如鳥獸,則不然。故通於一伎,察於一辭,可與曲說,未可與廣應也。甯戚擊牛角而歌,桓公舉以大政;雍門子以哭見孟嘗君,涕流沾纓。歌哭,眾人之所能為也,一發聲,入人耳,感人心,情之至者也。故唐、虞之法可效也。其諭人心,不可及也。簡公以懦殺,子陽以猛劫,皆不得其道者也。故歌而不比於律者,其清濁一也;繩之外與繩之內,皆失直者也。紂為象箸而箕子嘰,魯以偶人葬而孔子歎,見所始則知所終。故水出於山,入於海;稼生乎野,而藏乎倉。聖人見其所生,則知其所歸矣。

新字:鵲巣知風之所起,獺穴知水之高下,暉目知晏,陰諧知雨,為是謂人智不如鳥獣,則不然。故通於一伎,察於一辞,可与曲説,未可与広応也。甯戚擊牛角而歌,桓公舉以大政;雍門子以哭見孟嘗君,涕流沾纓。歌哭,眾人之所能為也,一発声,入人耳,感人心,情之至者也。故唐、虞之法可効也。其諭人心,不可及也。簡公以懦殺,子陽以猛劫,皆不得其道者也。故歌而不比於律者,其清濁一也;縄之外与縄之内,皆失直者也。紂為象箸而箕子嘰,魯以偶人葬而孔子嘆,見所始則知所終。故水出於山,入於海;稼生乎野,而蔵乎倉。聖人見其所生,則知其所帰矣。

書き下し

鵲の巢は風の起こる所を知り、獺の穴は水の高下を知る。暉目は晏を知り、陰諧は雨を知る。是が為に人の智は鳥獸に如かずと謂わば、則ち然らず。故に一伎に通じ、一辭に察なるは、與に曲說す可きも、未だ與に廣く應ず可からず。甯戚 牛角を擊ちて歌い、桓公 舉げて以て大政せしむ。雍門子 哭するを以て孟嘗君に見え、涕流れて纓を沾す。歌哭は、眾人の能く為す所なり。一たび聲を發して、人の耳に入り、人の心を感ぜしむるは、情の至れる者なり。故に唐・虞の法は效う可きも、其の人心に諭るは、及ぶ可からざるなり。簡公は懦を以て殺され、子陽は猛を以て劫かさる。皆な其の道を得ざる者なり。故に歌いて律に比せざる者は、其の清濁 一なり。繩の外と繩の內とは、皆な直を失える者なり。紂 象箸を為りて箕子 嘰き、魯 偶人を以て葬りて孔子 歎ず。始むる所を見れば則ち終わる所を知ればなり。故に水は山より出でて、海に入る。稼は野に生じて、倉に藏す。聖人は其の生ずる所を見れば、則ち其の歸する所を知るなり。

現代語訳

鵲の巣は風の起こる方角を知っており、獺の穴は水の高低を知っている。晴れを知る鳥がおり、雨を知る虫がいる。だからといって人の知恵は鳥獣に及ばないというなら、そうではない。一つの技に通じ、一つの言葉に詳しいだけの者とは、部分的な話はできても、広く応じ合うことはできない。寧戚が牛の角を叩いて歌うと、桓公は取り立てて大政を任せた。雍門子が泣くことで孟嘗君に会うと、涙が流れて冠の紐を濡らした。歌うことも泣くことも、誰にでもできる。ひとたび声を発して人の耳に入り、人の心を動かすのは、情が極まっているからである。だから堯と舜の法は真似できても、その人の心に伝わるところは及べない。斉の簡公は弱腰のために殺され、子陽は激しさのために脅かされた。どちらも道を得ていない。だから歌って律に合わない者は、高い低いのどちらでも同じことだ。墨縄の外と内とは、どちらもまっすぐを外している。紂が象牙の箸を作ったとき箕子は嘆き、魯が人形を副葬したとき孔子は嘆いた。始まりを見れば終わりが分かるからである。水は山から出て海に入る。作物は野に生えて倉に納まる。聖人はそれが生じるところを見れば、帰るところが分かる。

解説

同じ歌、同じ泣き方でも、届く人と届かない人がいる。「歌哭は、眾人の能く為す所なり」。誰にでもできる行為で人の心が動くのは、情が極まっているときだけだ、と。だから法は真似できても、心に届くところは真似できない。締めが有名な兆しの話です。紂が象牙の箸を作った時点で箕子は先を見て嘆いた。水が山から出て海に入るように、始まりを見れば行き着く先が分かる、と。

この章句が説くこと

一伎に通じ一辞に察なるは与に曲説す可きも未だ与に広く応ず可からず甯戚牛角を擊ちて歌い桓公舉げて以て大政せしむ唐・虞の法は効う可きも其の人心に諭るは及ぶ可からず縄の外と縄の内とは皆な直を失える者なり紂象箸を為りて箕子嘰き始むる所を見れば則ち終わる所を知る兆し

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