淮南子 / 繆稱訓
聖人之行,無所合,無所離,譬若鼓,無所與調,無所不比。絲管金石,小大修短有敘,異聲而和;君臣上下,官職有差,殊事而調。夫織者日以進,耕者日以卻,事相反,成功一也。申喜聞乞人之歌而悲,出而視之,其母也。艾陵之戰也,夫差曰:「夷聲陽,句吳其庶乎!」同是聲而取信焉異。有諸情也。故心哀而歌不樂,心樂而哭不哀。夫子曰:「弦則是也,其聲非也。」文者,所以接物也,情系於中而欲發外者也。以文滅情,則失情;以情滅文,則失文。文情理通,則鳳麟極矣。言至德之懷遠也。
新字:聖人之行,無所合,無所離,譬若鼓,無所与調,無所不比。糸管金石,小大修短有敘,異声而和;君臣上下,官職有差,殊事而調。夫織者日以進,耕者日以却,事相反,成功一也。申喜聞乞人之歌而悲,出而視之,其母也。艾陵之戦也,夫差曰:「夷声陽,句呉其庶乎!」同是声而取信焉異。有諸情也。故心哀而歌不楽,心楽而哭不哀。夫子曰:「弦則是也,其声非也。」文者,所以接物也,情系於中而欲発外者也。以文滅情,則失情;以情滅文,則失文。文情理通,則鳳麟極矣。言至徳之懐遠也。
書き下し
聖人の行いは、合する所無く、離るる所無し。譬えば鼓の若く、與に調する所無くして、比せざる所無し。絲管金石は、小大修短に敘有り、聲を異にして和す。君臣上下は、官職に差有り、事を殊にして調う。夫れ織る者は日々に進み、耕す者は日々に卻く。事 相反して、成功は一なり。申喜 乞人の歌を聞きて悲しみ、出でて之を視れば、其の母なり。艾陵の戰いに、夫差曰く、「夷の聲 陽なり、句吳 其れ庶からんか」と。同じく是れ聲にして信を取ること異なるは、諸を情に有すればなり。故に心 哀しみて歌えば樂しからず、心 樂しみて哭すれば哀しからず。夫子曰く、「弦は則ち是なり、其の聲は非なり」と。文なる者は、物に接する所以にして、情 中に系がれて外に發せんと欲する者なり。文を以て情を滅すれば、則ち情を失う。情を以て文を滅すれば、則ち文を失う。文情 理 通ずれば、則ち鳳麟 極まる。至德の遠きを懷くるを言うなり。
現代語訳
聖人の行いは、合わせるところもなく、離れるところもない。たとえば太鼓のようなもので、これと調子を合わせる相手はないのに、合わないものもない。弦や管や鐘や磬は、大小長短に順序があり、音は違っても和する。君臣上下は、官職に差があり、仕事は違っても調う。織る者は日ごとに前へ進み、耕す者は日ごとに後ろへ退く。動きは正反対でも、成し遂げるものは同じである。申喜は物乞いの歌を聞いて悲しくなり、出て見ればそれは自分の母だった。艾陵の戦いで、夫差は言った、「夷の声は陽である。呉はうまくいくだろう」。同じ声から受け取る信が違うのは、それぞれの情によるのである。だから心が哀しいまま歌っても楽しくならず、心が楽しいまま哭しても哀しくならない。孔子は言った、「弦の押さえは合っている。だが出ている音が違う」。文とは物に接するためのものであり、情が内につながって外に出ようとしたものである。文で情を消せば情を失い、情で文を消せば文を失う。文と情の筋が通れば、鳳凰も麒麟も現れる。至って徳のある者が遠くの者を懐かせることを言うのである。
解説
この章句が説くこと
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