淮南子 / 說山訓
夫游沒者,不求沐浴,已自足其中矣。故食草之獸不疾易藪,水居之蟲不疾易水,行小變而不失常。信有非禮而失禮:尾生死其梁柱之下,此信之非也;孔氏不喪出母,此禮之失者。曾子立孝,不過勝母之閭;墨子非樂,不入朝歌之邑;曾子立廉,不飲盜泉;所謂養志者也。紂為象箸而箕子唏,魯以偶人葬而孔子嘆,故聖人見霜而知冰。有鳥將來,張羅而待之,得鳥者,羅之一目也;今為一目之羅,則無時得鳥矣。今被甲者,以備矢之至;若使人必知所集,則懸一札而已矣。事或不可前規,物或不可慮,卒然不戒而至,故聖人畜道以待時。
新字:夫游没者,不求沐浴,已自足其中矣。故食草之獣不疾易藪,水居之虫不疾易水,行小変而不失常。信有非礼而失礼:尾生死其梁柱之下,此信之非也;孔氏不喪出母,此礼之失者。曽子立孝,不過勝母之閭;墨子非楽,不入朝歌之邑;曽子立廉,不飲盗泉;所謂養志者也。紂為象箸而箕子唏,魯以偶人葬而孔子嘆,故聖人見霜而知冰。有鳥将来,張羅而待之,得鳥者,羅之一目也;今為一目之羅,則無時得鳥矣。今被甲者,以備矢之至;若使人必知所集,則懸一札而已矣。事或不可前規,物或不可慮,卒然不戒而至,故聖人畜道以待時。
書き下し
夫れ游沒する者は、沐浴を求めず。已に自ら其の中に足ればなり。故に草を食らうの獸は藪を易うるを疾まず、水に居るの蟲は水を易うるを疾まず。小變を行いて常を失わざればなり。信に禮に非ずして禮を失う有り。尾生 其の梁柱の下に死す。此れ信の非なり。孔氏 出母を喪せず。此れ禮の失える者なり。曾子 孝を立てて、勝母の閭を過ぎず。墨子 樂を非として、朝歌の邑に入らず。曾子 廉を立てて、盜泉を飲まず。所謂 志を養う者なり。紂 象箸を爲りて箕子 唏き、魯 偶人を以て葬りて孔子 嘆ず。故に聖人は霜を見て冰を知る。鳥有りて將に來たらんとす。羅を張りて之を待つ。鳥を得る者は、羅の一目なり。今 一目の羅を爲らば、則ち時として鳥を得る無からん。今 甲を被る者は、以て矢の至るに備うるなり。若し人をして必ず集まる所を知らしめば、則ち一札を懸くるのみ。事 或いは前もって規る可からず、物 或いは慮る可からず。卒然として戒めずして至る。故に聖人は道を畜えて以て時を待つ。
現代語訳
水に潜って泳ぐ者は、湯浴みを求めない。すでにその中で足りているからである。だから草を食う獣は藪が変わっても嫌がらず、水に住む虫は水が変わっても嫌がらない。小さな変化はあっても、常を失わないからである。まことに、礼でないことで礼を失うことがある。尾生は橋の柱の下で死んだ。これは信のあやまりである。孔子の家では離縁された母の喪に服さなかった。これは礼の失われたところである。曾子は孝を立てて、勝母という名の里を通らなかった。墨子は楽を否として、朝歌という名の邑に入らなかった。曾子は廉を立てて、盗泉の水を飲まなかった。いわゆる志を養う者である。紂が象牙の箸を作ると箕子は嘆き、魯が人形を副葬すると孔子は嘆いた。だから聖人は霜を見て氷を知る。鳥が来ようとしている。網を張って待つ。鳥がかかるのは、網の一つの目である。だが一つ目だけの網を作れば、いつまでも鳥は獲れない。鎧を着るのは、矢が飛んでくるのに備えるためである。もし必ずどこに当たるかが分かっているなら、札を一枚吊るしておけばよい。事はあらかじめ測れないことがあり、物は考え尽くせないことがある。突然、警告もなく来る。だから聖人は道を蓄えて時を待つ。
解説
この章句が説くこと
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