淮南子 / 繆稱訓
人無能作也,有能為也;有能為也,而無能成也。人之為,天成之。終身為善,非天不行;終身為不善,非天不亡。故善否,我也;禍福,非我也。故君子順其在己者而已矣。性者,所受於天也;命者,所遭于時也。有其材,不遇其世,天也。太公何力,比干何罪,循性而行指,或害或利。求之有道,得之在命。故君子能為善,而不能必其得福;不忍為非,而未能必免其禍。君,根本也;臣,枝葉也。根本不美,枝葉茂者,未之聞也。有道之世,以人與國;無道之世,以國與人。堯王天下而憂不解,授舜而憂釋。憂而守之,而樂與賢終,不私其利矣。
新字:人無能作也,有能為也;有能為也,而無能成也。人之為,天成之。終身為善,非天不行;終身為不善,非天不亡。故善否,我也;禍福,非我也。故君子順其在己者而已矣。性者,所受於天也;命者,所遭于時也。有其材,不遇其世,天也。太公何力,比干何罪,循性而行指,或害或利。求之有道,得之在命。故君子能為善,而不能必其得福;不忍為非,而未能必免其禍。君,根本也;臣,枝葉也。根本不美,枝葉茂者,未之聞也。有道之世,以人与国;無道之世,以国与人。堯王天下而憂不解,授舜而憂釈。憂而守之,而楽与賢終,不私其利矣。
書き下し
人に作す能う無きも、為す能う有り。為す能う有るも、成す能う無し。人の為すは、天 之を成す。終身 善を為すも、天に非ざれば行われず。終身 不善を為すも、天に非ざれば亡びず。故に善否は、我なり。禍福は、我に非ざるなり。故に君子は其の己に在る者に順うのみ。性なる者は、天に受くる所なり。命なる者は、時に遭う所なり。其の材有りて、其の世に遇わざるは、天なり。太公 何の力ぞ、比干 何の罪ぞ。性に循いて指を行うも、或いは害あり或いは利あり。之を求むるに道有り、之を得るは命に在り。故に君子は能く善を為すも、而も必ずしも其の福を得るを必とする能わず。非を為すに忍びざるも、而も未だ能く必ずしも其の禍を免るる能わず。君は、根本なり。臣は、枝葉なり。根本 美ならずして、枝葉 茂る者は、未だ之を聞かざるなり。有道の世は、人を以て國に與え、無道の世は、國を以て人に與う。堯 天下に王として憂い解けず、舜に授けて憂い釋く。憂えて之を守り、而して賢と終わるを樂しむ。其の利を私せざるなり。
現代語訳
人は無から作り出すことはできないが、行うことはできる。行うことはできるが、成し遂げることはできない。人が行い、天が成す。生涯善を行っても、天でなければ行われない。生涯善くないことを行っても、天でなければ滅びない。だから善いか善くないかは自分である。禍か福かは自分ではない。だから君子は、自分にあることに従うだけである。性は天から受けたものであり、命は時に遭うものである。その才があってその世に出会わないのは、天である。太公にどんな力があったのか、比干にどんな罪があったのか。生まれつきに従って志すところを行っても、害になることもあれば利になることもある。求めるのには道があるが、得られるかどうかは命による。だから君子は善を行うことはできても、必ず福を得ると決めることはできない。非を行うに忍びないとしても、必ず禍を免れられるとは限らない。君は根本であり、臣は枝葉である。根本が良くないのに枝葉が茂ったという話は聞いたことがない。道のある世では、人を国に与え、道のない世では、国を人に与える。堯は天下に王として憂いが解けず、舜に授けて憂いが解けた。憂いながら守り、賢者に譲って終えることを楽しんだ。その利を自分のものにしなかったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」
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論語・季氏篇孔子曰く、君子に三畏有り。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れざるなり。大人に狎れ、聖人の言を侮る。