淮南子 / 繆稱訓
水下流而廣大,君下臣而聰明。君不與臣爭功,而治道通矣。管夷吾、百里奚經而成之,齊桓、秦穆受而聽之。照惑者,以東為西,惑也;見日而寤矣。衛武侯謂其臣曰:「小子無謂我老而羸我,有過必謁之。」是武侯如弗羸之必得羸。故老而弗舍,通乎存亡之論者也。
新字:水下流而広大,君下臣而聰明。君不与臣争功,而治道通矣。管夷吾、百里奚経而成之,斉桓、秦穆受而聴之。照惑者,以東為西,惑也;見日而寤矣。衛武侯謂其臣曰:「小子無謂我老而羸我,有過必謁之。」是武侯如弗羸之必得羸。故老而弗舎,通乎存亡之論者也。
書き下し
水は下流して廣大となり、君は臣に下りて聰明なり。君 臣と功を爭わずして、治道 通ず。管夷吾・百里奚 經して之を成し、齊桓・秦穆 受けて之を聽く。惑を照らす者は、東を以て西と為すは、惑いなり。日を見て寤むるなり。衛の武侯 其の臣に謂いて曰く、「小子 我を老いたりと謂いて我を羸しむる無かれ。過ち有らば必ず之を謁げよ」と。是れ武侯 羸しめざるが如くにして之れ必ず羸しむるを得たり。故に老いて舍てざるは、存亡の論に通ずる者なり。
現代語訳
水は下へ流れて広く大きくなり、君は臣に下って耳目が利く。君が臣と功を争わなければ、治める道は通る。管仲と百里奚が筋道を立てて成し、斉の桓公と秦の穆公はそれを受け入れて聴いた。惑いを照らすということでいえば、東を西だと思うのが惑いであり、日を見れば目が覚める。衛の武侯は臣に言った、「おまえたち、私を老いたと思って手加減するな。過ちがあれば必ず告げよ」。これは武侯が手加減させないようにして、かえって手加減を得られたようなものである。だから老いても手放さないのは、存亡の理屈に通じている者である。
解説
「水は下流して廣大となり、君は臣に下りて聰明なり」。水が下へ流れるから大きくなるように、上が下に下るから見え方が広くなる。そのうえで実例が並びます。管仲と百里奚が筋を立て、桓公と穆公は受け入れて聴いた。功を立てた側と、聴いた側が別なのがこの段の要点です。衛の武侯の言葉も具体的でした。「我を老いたりと謂いて我を羸しむる無かれ」。年長者への遠慮を、自分から禁じています。
この章句が説くこと
水は下流して広大となり君は臣に下りて聰明なり君臣と功を争わずして治道通ず管夷吾・百里奚経して之を成し斉桓・秦穆受けて之を聴く我を老いたりと謂いて我を羸しむる無かれ過ち有らば必ず之を謁げよ老いて舎てざるは存亡の論に通ずる者なり謙下
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