淮南子 / 繆稱訓
有義者不可欺以利,有勇者不可劫以懼,如饑渴者不可欺以虛器也。人多欲虧義,多憂害智,多懼害勇。嫚生乎小人,蠻夷皆能之;善生乎君子,誘然與日月爭光,天下弗能遏奪。故治國樂其所以存,亡國亦樂其所以亡也。金錫不消釋則不流刑,上憂尋不誠則不法民。憂尋不在民,則是絕民之系也。君反本,而民系固也。至德小節備,大節舉。齊桓舉而不密,晉文密而不舉。晉文得之乎閨內,失之乎境外;齊桓失之乎閨內,而得之乎本朝。
新字:有義者不可欺以利,有勇者不可劫以懼,如饑渴者不可欺以虚器也。人多欲虧義,多憂害智,多懼害勇。嫚生乎小人,蠻夷皆能之;善生乎君子,誘然与日月争光,天下弗能遏奪。故治国楽其所以存,亡国亦楽其所以亡也。金錫不消釈則不流刑,上憂尋不誠則不法民。憂尋不在民,則是絶民之系也。君反本,而民系固也。至徳小節備,大節舉。斉桓舉而不密,晉文密而不舉。晉文得之乎閨内,失之乎境外;斉桓失之乎閨内,而得之乎本朝。
書き下し
義有る者は利を以て欺く可からず。勇有る者は懼を以て劫かす可からず。饑渴する者を虛器を以て欺く可からざるが如し。人 欲多ければ義を虧き、憂多ければ智を害し、懼多ければ勇を害す。嫚は小人に生じ、蠻夷も皆な之を能くす。善は君子に生じ、誘然として日月と光を爭い、天下も遏め奪う能わず。故に治國は其の存する所以を樂しみ、亡國も亦た其の亡ぶ所以を樂しむなり。金錫 消釋せざれば則ち刑に流れず。上の憂尋 誠ならざれば則ち民を法らず。憂尋 民に在らざれば、則ち是れ民の系を絕つなり。君 本に反れば、而して民の系 固し。至德は小節 備わり、大節 舉がる。齊桓は舉げて密ならず、晉文は密にして舉げず。晉文は之を閨內に得て、之を境外に失う。齊桓は之を閨內に失いて、之を本朝に得たり。
現代語訳
義のある者は利で欺けない。勇のある者は恐れで脅せない。飢え渇いた者を空の器で欺けないのと同じである。人は欲が多ければ義を欠き、憂いが多ければ知恵を損ない、恐れが多ければ勇を損なう。侮りは小人から生じ、蛮夷でもそれはできる。善は君子から生じ、おのずと日月と光を競い、天下でも押し止め奪えない。だから治まった国は自分が保たれている元を楽しみ、亡ぶ国もまた自分が亡ぶ元を楽しんでいる。金や錫は溶かさなければ型に流し込めない。上の思いが誠でなければ民の手本にならない。思いが民に向いていなければ、民とのつながりを断つことになる。君が本に立ち返れば、民とのつながりは固くなる。至って徳のある者は、小さな節が備わり、大きな節が挙がる。斉の桓公は大きく挙げたが細やかでなく、晋の文公は細やかだが大きく挙げなかった。文公は家の中では得たが、国境の外では失った。桓公は家の中では失ったが、朝廷では得た。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』繆稱訓今夫れ夜に求むる有るに、瞽師と併ぶも、東方 開くれば、斯に照らさる。動きて益有れば、則ち損 之に隨う。故に『易』に曰く、「剝は遂に盡くす可からざるなり。故に之を受くるに複を以てす」と。薄きを積みて厚しと為し、卑きを積みて高しと為す。故に君子は日々孳孳として以て輝を成し、小人は日々怏怏として以て辱に至る。其の消息するや、離朱も見る能わざるなり。文王は善を聞くこと及ばざるが如くし、不善を宿すること不祥の如くす。日 足らざるが為に非ず、其の憂尋 之を推せばなり。故に『詩』に曰く、「周は舊邦なりと雖も、其の命は維れ新たなり」と。情を懷き質を抱けば、天も殺す能わず、地も霾む能わざるなり。聲 天地の間に揚がり、日月の光に配するは、之を甘樂すればなり。苟くも善に向かえば、過つと雖も怨み無し。苟くも善に向かわざれば、忠なりと雖も患いを來たす。故に人を怨むは自ら怨むに如かず、諸を人に求むるは諸を己に求めて得るに如かざるなり。聲は自ら召き、貌は自ら示し、名は自ら命じ、文は自ら官す。己に非ざる者無し。銳を操りて以て刺し、刃を操りて以て擊つ。何ぞ人を怨まんや。故に管子は文錦なり、醜しと雖も廟に登る。子產は練染なり、美なるも尊ばれず。虛にして能く滿ち、淡くして味有るは、褐を被て玉を懷く者なり。故に兩心は以て一人を得可からず、一心は以て百人を得可し。男子 蘭を樹うれば、美なるも芳しからず。繼子 食を得れば、肥ゆるも澤あらず。情 相い與に往來せざればなり。
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『淮南子』繆稱訓凡そ萬物 之を施す所有れば、小として不可なる無し。之を用うる所無しと為せば、碧瑜も糞土なり。人の情、害の中に於いて爭いて小を取り、利の中に於いて爭いて大を取る。故に味を同じくして厚膊を嗜む者は、必ず其れ之を甘しとする者なり。師を同じくして群を超ゆる者は、必ず其れ之を樂しむ者なり。甘しとせず樂しまずして、能く表と為る者は、未だ之を聞かざるなり。君子は時なれば則ち進み、之を得るに義を以てす。何の幸か之れ有らん。時ならざれば則ち退き、之を讓るに義を以てす。何の不幸か之れ有らん。故に伯夷 首陽の下に餓死するも、猶お自ら悔いざるは、其の賤しとする所を棄てて、其の貴ぶ所を得ればなり。福の萌すや綿綿、禍の生ずるや分分たり。禍福の始めて萌すや微なり。故に民 之を嫚る。唯だ聖人のみ其の始めを見て其の終わりを知る。故に傳に曰く、「魯の酒 薄くして邯鄲 圍まれ、羊羹 斟まずして宋國 危うし」と。
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『淮南子』繆稱訓道なる者は、物の導かるる所なり。德なる者は、性の扶けらるる所なり。仁なる者は、積恩の見證なり。義なる者は、人心に比して眾適に合する者なり。故に道 滅びて德 用いられ、德 衰えて仁義 生ず。故に上世は道を體して德とせず、中世は德を守りて壞らず、末世は繩繩乎として唯だ仁義を失わんことを恐る。君子は仁義に非ざれば以て生くる無し。仁義を失えば、則ち其の生くる所以を失う。小人は嗜欲に非ざれば以て活くる無し。嗜欲を失えば、則ち其の活くる所以を失う。故に君子は仁義を失うを懼れ、小人は利を失うを懼る。其の懼るる所を觀れば、各々殊なるを知るなり。『易』に曰く、「鹿に即くに虞無く、惟だ林中に入る。君子 幾ど舍つるに如かず、往けば吝なり」と。