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淮南子 / 繆稱訓

道者,物之所導也;德者,性之所扶也;仁者,積恩之見證也;義者,比于人心而合於眾適者也。故道滅而德用,德衰而仁義生。故上世體道而不德,中世守德而弗壞也,末世繩繩乎唯恐失仁義。君子非仁義無以生,失仁義,則失其所以生;小人非嗜欲無以活,失嗜欲,則失其所以活。故君子懼失仁義,小人懼失利。觀其所懼,知各殊矣。《易》曰:「即鹿無虞,惟入于林中,君子幾不如舍,往吝。」

新字:道者,物之所導也;徳者,性之所扶也;仁者,積恩之見證也;義者,比于人心而合於眾適者也。故道滅而徳用,徳衰而仁義生。故上世体道而不徳,中世守徳而弗壊也,末世縄縄乎唯恐失仁義。君子非仁義無以生,失仁義,則失其所以生;小人非嗜欲無以活,失嗜欲,則失其所以活。故君子懼失仁義,小人懼失利。観其所懼,知各殊矣。《易》曰:「即鹿無虞,惟入于林中,君子幾不如舎,往吝。」

書き下し

道なる者は、物の導かるる所なり。德なる者は、性の扶けらるる所なり。仁なる者は、積恩の見證なり。義なる者は、人心に比して眾適に合する者なり。故に道 滅びて德 用いられ、德 衰えて仁義 生ず。故に上世は道を體して德とせず、中世は德を守りて壞らず、末世は繩繩乎として唯だ仁義を失わんことを恐る。君子は仁義に非ざれば以て生くる無し。仁義を失えば、則ち其の生くる所以を失う。小人は嗜欲に非ざれば以て活くる無し。嗜欲を失えば、則ち其の活くる所以を失う。故に君子は仁義を失うを懼れ、小人は利を失うを懼る。其の懼るる所を觀れば、各々殊なるを知るなり。『易』に曰く、「鹿に即くに虞無く、惟だ林中に入る。君子 幾ど舍つるに如かず、往けば吝なり」と。

現代語訳

道とは物が導かれるところであり、徳とは性が支えられるところであり、仁とは積み重ねた恩が形になったものであり、義とは人の心に照らして多くの人に適うものである。だから道が滅びて徳が用いられ、徳が衰えて仁義が生じた。だから上代の世は道を体としていて徳を意識せず、中代の世は徳を守って壊さず、末の世はびくびくとして、ただ仁義を失うことだけを恐れる。君子は仁義がなければ生きられない。仁義を失えば、生きる根拠を失う。小人は欲がなければ生きていられない。欲を失えば、生きていく根拠を失う。だから君子は仁義を失うことを懼れ、小人は利を失うことを懼れる。何を懼れているかを見れば、それぞれ違うと分かる。『易』に言う、「鹿を追うのに案内役がなく、ただ林の中へ入っていく。君子はほとんど諦めたほうがよい、行けば恥をかく」。

解説

人の見分け方として、望むものではなく懼れるものを見よ、と言います。「君子は仁義を失うを懼れ、小人は利を失うを懼る。其の懼るる所を觀れば、各々殊なるを知るなり」。何が欲しいかは取り繕えますが、何を失うのが怖いかには地が出る。前半では、道が滅びたから徳が出てきて、徳が衰えたから仁義が生じた、という順序も繰り返されます。末の世が仁義を失うまいと必死になっている姿を、褒めてはいません。

この章句が説くこと

道なる者は物の導かるる所なり徳なる者は性の扶けらるる所なり仁なる者は積恩の見證なり義なる者は人心に比して眾適に合する者なり道滅びて徳用いられ徳衰えて仁義生ず君子は仁義を失うを懼れ小人は利を失うを懼る其の懼るる所を観れば各々殊なるを知るなり見分け

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