淮南子 / 繆稱訓
凡萬物有所施之,無小不可;為無所用之,碧瑜糞土也。人之情,於害之中爭取小焉,於利之中爭取大焉。故同味而嗜厚膊者,必其甘之者也;同師而超群者,必其樂之者也。弗甘弗樂,而能為表者,未之聞也。君子時則進,得之以義,何幸之有!不時則退,讓之以義,何不幸之有!故伯夷餓死首陽之下,猶不自悔,棄其所賤,得其所貴也。福之萌也綿綿,禍之生也分分。禍福之始萌微,故民嫚之。唯聖人見其始而知其終。故傳曰:「魯酒薄而邯鄲圍,羊羹不斟而宋國危。」
新字:凡万物有所施之,無小不可;為無所用之,碧瑜糞土也。人之情,於害之中争取小焉,於利之中争取大焉。故同味而嗜厚膊者,必其甘之者也;同師而超群者,必其楽之者也。弗甘弗楽,而能為表者,未之聞也。君子時則進,得之以義,何幸之有!不時則退,譲之以義,何不幸之有!故伯夷餓死首陽之下,猶不自悔,棄其所賤,得其所貴也。福之萌也綿綿,禍之生也分分。禍福之始萌微,故民嫚之。唯聖人見其始而知其終。故伝曰:「魯酒薄而邯鄲囲,羊羹不斟而宋国危。」
書き下し
凡そ萬物 之を施す所有れば、小として不可なる無し。之を用うる所無しと為せば、碧瑜も糞土なり。人の情、害の中に於いて爭いて小を取り、利の中に於いて爭いて大を取る。故に味を同じくして厚膊を嗜む者は、必ず其れ之を甘しとする者なり。師を同じくして群を超ゆる者は、必ず其れ之を樂しむ者なり。甘しとせず樂しまずして、能く表と為る者は、未だ之を聞かざるなり。君子は時なれば則ち進み、之を得るに義を以てす。何の幸か之れ有らん。時ならざれば則ち退き、之を讓るに義を以てす。何の不幸か之れ有らん。故に伯夷 首陽の下に餓死するも、猶お自ら悔いざるは、其の賤しとする所を棄てて、其の貴ぶ所を得ればなり。福の萌すや綿綿、禍の生ずるや分分たり。禍福の始めて萌すや微なり。故に民 之を嫚る。唯だ聖人のみ其の始めを見て其の終わりを知る。故に傳に曰く、「魯の酒 薄くして邯鄲 圍まれ、羊羹 斟まずして宋國 危うし」と。
現代語訳
およそ万物には使いどころがあり、小さいからといって不可なものはない。使いどころがないとすれば、碧玉も糞土である。人の情として、害の中では争って小さいほうを取り、利の中では争って大きいほうを取る。だから同じ味を食べていて厚い干し肉を好むのは、必ずそれを甘いと思っているからである。同じ師について群を抜くのは、必ずそれを楽しんでいるからである。甘いとも思わず楽しみもせずに、手本になれた者は聞いたことがない。君子は時が来れば進み、それを義によって得る。何の幸運があろうか。時でなければ退き、それを義によって譲る。何の不運があろうか。だから伯夷は首陽山の下で餓死しても、自ら悔いなかった。賤しいと思うものを棄てて、貴ぶものを得たからである。福が芽生えるのは細く長く、禍が生じるのは分かれ広がる。禍福が芽生えたばかりのときは微かである。だから民はそれを侮る。ただ聖人だけが、その始まりを見て終わりを知る。だから伝に言う、「魯の酒が薄かったせいで邯鄲が囲まれ、羊の羹が注がれなかったせいで宋の国が危うくなった」。
解説
この章句が説くこと
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