淮南子 / 繆稱訓
獨專之意樂哉!忽乎日滔滔以自新,忘老之及己也。始乎叔季,歸乎伯孟,必此積也。不身遁,斯亦不遁人。故若行獨梁,不為無人不兢其容。故使人信己者易,而蒙衣自信者難。情先動,動無不得;無不得,則無莙,發莙而後快。故唐、虞之舉錯也,非以偕情也,快己而天下治;桀、紂非正賊之也,快己而百事廢。喜憎議而治亂分矣。
新字:独専之意楽哉!忽乎日滔滔以自新,忘老之及己也。始乎叔季,帰乎伯孟,必此積也。不身遁,斯亦不遁人。故若行独梁,不為無人不兢其容。故使人信己者易,而蒙衣自信者難。情先動,動無不得;無不得,則無莙,発莙而後快。故唐、虞之舉錯也,非以偕情也,快己而天下治;桀、紂非正賊之也,快己而百事廃。喜憎議而治乱分矣。
書き下し
獨り專らにするの意 樂しきかな。忽乎として日々滔滔として以て自ら新たにし、老の己に及ぶを忘る。叔季に始まりて、伯孟に歸するは、必ず此れ積めばなり。身ら遁れずんば、斯に亦た人を遁れず。故に獨梁を行くが若きは、人無きが為に其の容を兢まずんばあらず。故に人をして己を信ぜしむるは易くして、衣を蒙りて自ら信ずるは難し。情 先に動けば、動きて得ざる無し。得ざる無ければ、則ち莙する無し。莙を發して而る後に快し。故に唐・虞の舉錯するや、情を偕にするを以てするに非ず、己を快くして天下 治まる。桀・紂は正に之を賊するに非ず、己を快くして百事 廢る。喜憎 議して治亂 分かるるなり。
現代語訳
独りで打ち込む思いは楽しいものだ。ふと気づけば日ごとにとうとうと自らを新しくして、老いが自分に及ぶことを忘れている。末の弟から始めて長兄に至るのは、必ずこれを積んだからである。自分から逃げなければ、人からも逃げない。だから一本橋を渡るときは、人がいないからといって身なりを引き締めないということがない。だから人に自分を信じさせるのはたやすく、衣をかぶって自分で自分を信じるのは難しい。情が先に動けば、動いて得られないものはない。得られないものがなければ、詰まるものがない。詰まりを開いてはじめて心地よい。だから堯と舜が事を起こしたのは、人と情を合わせようとしたからではない。自分が心地よくして天下が治まったのである。桀と紂も、わざと害そうとしたのではない。自分が心地よくして万事が廃れたのである。喜びと憎しみの向きで、治まると乱れるが分かれる。
解説
この章句が説くこと
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