淮南子 / 繆稱訓
夫察所夜行,周公慚乎景,故君子慎其獨也。釋近斯遠,塞矣。聞善易,以正身難。夫子見禾之三變也,滔滔然曰:「狐向丘而死,我其首禾乎!」故君子見善則痛其身焉。身苟正,懷遠易矣。故《詩》曰:「弗躬弗親,庶民弗信。」小人之從事也,曰苟得,君子曰苟義。所求者同,所期者異乎!擊舟水中,魚沈而鳥揚,同聞而殊事,其情一也。
新字:夫察所夜行,周公慚乎景,故君子慎其独也。釈近斯遠,塞矣。聞善易,以正身難。夫子見禾之三変也,滔滔然曰:「狐向丘而死,我其首禾乎!」故君子見善則痛其身焉。身苟正,懐遠易矣。故《詩》曰:「弗躬弗親,庶民弗信。」小人之従事也,曰苟得,君子曰苟義。所求者同,所期者異乎!撃舟水中,魚沈而鳥揚,同聞而殊事,其情一也。
書き下し
夫れ夜行する所を察するに、周公 景に慚ず。故に君子は其の獨りを慎むなり。近きを釋てて斯に遠ければ、塞がる。善を聞くは易く、以て身を正すは難し。夫子 禾の三たび變ずるを見て、滔滔然として曰く、「狐は丘に向かいて死す、我 其れ禾に首せんか」と。故に君子は善を見れば則ち其の身を痛む。身 苟くも正しければ、遠きを懷けること易し。故に『詩』に曰く、「躬せず親せざれば、庶民 信ぜず」と。小人の事に從うや、苟くも得んと曰い、君子は苟くも義ならんと曰う。求むる所の者 同じくして、期する所の者 異なるかな。舟を水中に擊てば、魚は沈みて鳥は揚がる。同じく聞きて事を殊にするも、其の情は一なり。
現代語訳
夜の歩き方まで調べれば、周公は自分の影に恥じた。だから君子は独りでいるときを慎む。近いところを捨てて遠いところへ行けば、行き詰まる。善いことを聞くのはたやすいが、それで身を正すのは難しい。孔子は稲が三たび姿を変えるのを見て、しみじみと言った、「狐は丘に頭を向けて死ぬという。私は稲に頭を向けようか」。だから君子は善を見れば、自分の身が痛む。身が正しければ、遠くの者を懐かせるのはたやすい。だから『詩』に言う、「自ら行わず自ら親しまなければ、民は信じない」。小人が事に従うときは「うまく得られれば」と言い、君子は「筋が通れば」と言う。求めるものは同じでも、期するところが違うのだ。舟を水の中で打てば、魚は沈み鳥は飛び立つ。同じ音を聞いて別のことをするが、その情のありようは同じである。
解説
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