淮南子 / 繆稱訓
子之死父也,臣之死君也,世有行之者矣,非出死以要名也,恩心之藏於中,而不能違其難也。故人之甘甘,非正為蹠也,而蹠焉往。君子之慘怛,非正為偽形也,諭乎人心。非從外入,自中出者也。義正乎君,仁親乎父。故君之於臣也,能死生之,不能使為苟簡易;父之于子也,能發起之,不能使無憂尋。故義勝君,仁勝父,則君尊而臣忠,父慈而子孝。聖人在上,化育如神。太上曰:「我其性與!」其次曰:「微彼,其如此乎!」故《詩》曰:「執轡如組。」《易》曰:「含章可貞。」運于近,成文於遠。
新字:子之死父也,臣之死君也,世有行之者矣,非出死以要名也,恩心之蔵於中,而不能違其難也。故人之甘甘,非正為蹠也,而蹠焉往。君子之惨怛,非正為偽形也,諭乎人心。非従外入,自中出者也。義正乎君,仁親乎父。故君之於臣也,能死生之,不能使為苟簡易;父之于子也,能発起之,不能使無憂尋。故義勝君,仁勝父,則君尊而臣忠,父慈而子孝。聖人在上,化育如神。太上曰:「我其性与!」其次曰:「微彼,其如此乎!」故《詩》曰:「執轡如組。」《易》曰:「含章可貞。」運于近,成文於遠。
書き下し
子の父に死し、臣の君に死するは、世に之を行う者有り。死を出だして以て名を要むるに非ず。恩心の中に藏れて、其の難に違う能わざればなり。故に人の甘きを甘しとするは、正に蹠の為にするに非ずして、蹠 焉に往く。君子の慘怛は、正に偽形を為すに非ずして、人心に諭る。外より入るに非ず、中より出づる者なり。義は君に正しく、仁は父に親しむ。故に君の臣に於けるや、能く之を死生するも、苟簡易を為さしむる能わず。父の子に於けるや、能く之を發起するも、憂尋する無からしむる能わず。故に義 君に勝ち、仁 父に勝てば、則ち君 尊くして臣 忠、父 慈にして子 孝なり。聖人 上に在れば、化育 神のごとし。太上は曰く、「我 其れ性なるか」と。其の次は曰く、「彼 微かりせば、其れ此くの如くならんや」と。故に『詩』に曰く、「轡を執ること組の如し」と。『易』に曰く、「章を含みて貞にす可し」と。近きに運らして、文を遠きに成すなり。
現代語訳
子が父のために死に、臣が君のために死ぬことは、世に行う者がある。死を差し出して名を求めるのではない。恩の心が内に納まっていて、その難儀を見過ごせないからである。だから人が甘いものを甘いと感じるのは、足のためではないのに、足がそちらへ向かう。君子の痛ましく思う心は、わざと形を偽っているのではないのに、人の心に伝わる。外から入るのではなく、内から出るものである。義は君に対して正しくあり、仁は父に対して親しむ。だから君は臣を生かすも殺すもできるが、いい加減に済ませるようにさせることはできない。父は子を立たせることはできるが、憂いを持たないようにさせることはできない。だから義が君に勝ち、仁が父に勝てば、君は尊ばれて臣は忠となり、父は慈しみ子は孝となる。聖人が上にいれば、育てることは神のようである。最上の場合、人は「これは自分の性なのだろう」と言う。その次の場合、「あの人がいなかったら、こうはならなかっただろう」と言う。だから『詩』に言う、「手綱を執ることは組み紐のようだ」。『易』に言う、「美しさを内に含んで正しくいられる」。近いところを回して、遠いところに文を成すのである。
解説
この章句が説くこと
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