淮南子 / 繆稱訓
輸子陽謂其子曰:「良工漸乎矩鑿之中。」矩鑿之中,固無物而不周。聖王以治民,造父以治馬,醫駱以治病。同材而各自取焉。上意而民載,誠中者也。未言而信,弗召而至,或先之也,忣於不己知者,不自知也。矜怛生於不足,華誣生於矜。誠中之人,樂而不忣,如鴞好聲,熊之好經。夫有誰為矜。春女思,秋士悲,而知物化矣。號而哭,嘰而哀,而知聲動矣;容貌顏色,理詘𠈐倨佝,徇知情偽矣。故聖人栗栗乎其內,而至乎至極矣。
新字:輸子陽謂其子曰:「良工漸乎矩鑿之中。」矩鑿之中,固無物而不周。聖王以治民,造父以治馬,医駱以治病。同材而各自取焉。上意而民載,誠中者也。未言而信,弗召而至,或先之也,忣於不己知者,不自知也。矜怛生於不足,華誣生於矜。誠中之人,楽而不忣,如鴞好声,熊之好経。夫有誰為矜。春女思,秋士悲,而知物化矣。号而哭,嘰而哀,而知声動矣;容貌顔色,理詘𠈐倨佝,徇知情偽矣。故聖人栗栗乎其内,而至乎至極矣。
書き下し
輸子陽 其の子に謂いて曰く、「良工は矩鑿の中に漸る」と。矩鑿の中は、固より物として周からざる無し。聖王は以て民を治め、造父は以て馬を治め、醫駱は以て病を治む。同じ材にして各々自ら取るなり。上 意して民 載くは、誠 中する者なり。未だ言わずして信ぜられ、召かずして至るは、或るもの之に先んずればなり。己を知らざる者に忣むは、自ら知らざればなり。矜怛は不足より生じ、華誣は矜より生ず。誠 中する人は、樂しみて忣まず。鴞の聲を好み、熊の經を好むが如し。夫れ誰か為に矜らん。春女は思い、秋士は悲しみて、物の化するを知る。號びて哭し、嘰きて哀しみて、聲の動くを知る。容貌顏色、理詘𠈐倨佝、徇に情偽を知る。故に聖人は栗栗乎として其の內にして、至極に至るなり。
現代語訳
輸子陽は子に言った、「良い工人は、さしがねと鑿の範囲の中に染み込んでいく」。さしがねと鑿の範囲の中は、もともと行き渡らないものがない。聖王はそれで民を治め、造父はそれで馬を扱い、名医の駱はそれで病を治す。同じ材から、それぞれが自分の分を取っているのである。上が思い、民が担ぐのは、誠が的に当たっているからである。まだ言わないうちに信じられ、招かないのに人が来るのは、何かが先立っているからである。自分を知ってくれない者に苛立つのは、自分を知らないからである。気負いは足りなさから生まれ、飾りと偽りは気負いから生まれる。誠が当たっている人は、楽しんで苛立たない。ふくろうが自分の声を好み、熊が体を伸ばすのを好むようなものだ。誰に対して誇る必要があろう。春に女が物思い、秋に士が悲しむのを見て、物が移り変わることを知る。叫んで哭し、すすり泣いて哀しむのを見て、声が人を動かすことを知る。姿かたちと顔色、身のこなしの伸び縮み、傲りとへつらいを見て、情の真偽を知る。だから聖人は自分の内を戦々恐々と見つめて、極みに至るのである。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』誠又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
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