淮南子 / 主術訓
故先王之政,四海之雲至,而修封疆;蝦蟆鳴燕降,而達路除道;陰降百泉,則修橋樑;昏張中,則務種穀;大火中,則種黍菽;虛中,則種宿麥;昴中,則收斂畜積,伐薪木。上告於天,下布之民。先王之所以應時修備,富國利民,實曠來遠者,其道備矣。非能目見而足行之也,欲利之也。欲利之也,不忘於心,則官自備矣。心之于九竅四支也,不能一事焉。然而動靜聽視皆以為主者,不忘於欲利之也。故堯為善而眾善至矣,桀為非而眾非來矣。善積則功成,非積則禍極。
新字:故先王之政,四海之雲至,而修封疆;蝦蟆鳴燕降,而達路除道;陰降百泉,則修橋梁;昏張中,則務種穀;大火中,則種黍菽;虚中,則種宿麦;昴中,則収斂畜積,伐薪木。上告於天,下布之民。先王之所以応時修備,富国利民,実曠来遠者,其道備矣。非能目見而足行之也,欲利之也。欲利之也,不忘於心,則官自備矣。心之于九竅四支也,不能一事焉。然而動静聴視皆以為主者,不忘於欲利之也。故堯為善而衆善至矣,桀為非而衆非来矣。善積則功成,非積則禍極。
書き下し
故に先王の政、四海の雲 至れば、封疆を修む。蝦蟆 鳴き燕 降れば、路を達し道を除く。陰 百泉に降れば、則ち橋樑を修む。昏に張 中すれば、則ち務めて穀を種う。大火 中すれば、則ち黍菽を種う。虛 中すれば、則ち宿麥を種う。昴 中すれば、則ち收斂畜積して、薪木を伐る。上は天に告げ、下は之を民に布く。先王の時に應じ備えを修め、國を富ませ民を利し、實を曠くし遠きを來たす所以の者、其の道 備われり。目に見て足に之を行う能うに非ず、之を利せんと欲すればなり。之を利せんと欲するを、心に忘れざれば、則ち官 自ら備わる。心の九竅四支に於けるや、一事をも能くする無し。然れども動靜聽視 皆な以て主と為す者は、之を利せんと欲するを忘れざればなり。故に堯 善を為して眾善 至り、桀 非を為して眾非 來たる。善 積めば則ち功 成り、非 積めば則ち禍 極まる。
現代語訳
だから先王の政では、四方の海の雲が至れば境界を修め、蛙が鳴き燕が降りれば道を通し掃き、陰が多くの泉に降りれば橋を修め、日暮れに張の星が南中すれば穀を蒔き、大火の星が南中すれば黍と豆を蒔き、虚の星が南中すれば冬越しの麦を蒔き、昴が南中すれば取り入れて蓄え、薪を伐った。上は天に告げ、下はこれを民に知らせた。先王が時に応じて備えを整え、国を富ませ民を利し、蔵を満たし遠くの人を招き寄せられたのは、その道が備わっていたからである。自分の目で見て足で回れたからではない。民を利したいと思っていたからである。利したいという思いを心から忘れなければ、官はおのずと備わる。心は九つの穴や四肢に対して、一つの仕事もできない。それでも動くも静かなるも聞くも見るもみな心を主とするのは、利したいという思いを忘れないからである。だから堯が善を行えば多くの善が集まり、桀が非を行えば多くの非が来た。善が積もれば功が成り、非が積もれば禍が極まる。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之末主君の臣下をさしつかふはたとへば磁石のはりをすふが如し火はかはけるにつき、水はうるおへるにながるゝことわりなれば、磁石のくろがねならではすはざる如く、主君の心とおなじき人ならではつかひ給はぬものなり、心の暗き主君は、何程よきさぶらいをあつめおきてもそれをばもちひず、只君の心にひとしく暗きくせものばかりをさしつかひ給ふものなり、しかるゆへによきさぶらいその家中にありてもなきに同じ、主君の心あきらかなれば、その心によく叶ひたるよき士ならではさしつかひ給はぬゆへにくせものも欲にふけり悪をはぢて、いつとなくよくなるものなればあしきくせもの其家中にありても、なきに等し、臣下のよきもあしきも国のみだるゝもおさまるも、畢竟主君の心ひとつにあり、まことにこゝろざしあるべき事にて候。
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『驢鞍橋』卷中同録に。古人云く。心は万境に随つて転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随つて性を認得すれば、喜も無く亦憂も無し。一僧云ふ、随流認得性と云ふは、人我を打つとも、腹たつ道理なし。欲心起るも、他の物を取るへき道理なしと、急度其性を認得する義なりや。師云はく、其義に非す。随流認得性と云ふは、ほしければとり、はれははつたまでよ、如是随流働き、万境に転したか、何ん共なき境界也。是れ凡夫心の沙汰に非す、熟した心の沙汰也。今様の誵訛さへ知りめされすと也。
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『弁名』心志意孟子曰く、「其の心を尽くす者は其の性を知るなり」と。是れ其の心力を尽くして以て之を思ふを謂ふのみ。正に梁恵王の所謂「寡人の国に於けるや、心を尽くすのみ」と同意なり。但だ人思はざるのみ、之を思へば則ち能く性の善を知り、性の善を知れば則ち天道の善に与するを知ると言ふ。孟子の本意、是くの若きに過ぎず。宋儒先王の教法を識らず、故に論語・孟子の字面に就きて、以て学問の方を求め、遂に心を尽くすとは心の量を尽くすと謂ふ。妄なるかな。豈に所謂心の量なる者有らんや。仁斎先生曰く、「四端の心を拡充して其の極に至るを謂ふなり」と。果たして其の言の是ならんか、則ち当に其の性を知る者は其の心を尽くすと曰ふべし。其の言の倒置、豈に強ふるに非ずや。亦た聖人為らんと欲するが故のみ。
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