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淮南子 / 主術訓

夫民之為生也,一人蹠耒而耕,不過十畝,中田之獲,卒歲之收,不過畝四石,妻子老弱,仰而食之,時有涔旱災害之患,無以給上之征賦車馬兵革之費。由此觀之,則人之生,憫矣!夫天地之大,計三年耕而餘一年之食,率九年而有三年之畜,十八年而有六年之積,二十七年而有九年之儲,雖涔旱災害之殃,民莫困窮流亡也。故國無九年之畜,謂之不足;無六年之積,謂之憫急;無三年之畜,謂之窮乏。故有仁君明王,其取下有節,自養有度,則得承受於天地,而不離饑寒之患矣。若貪主暴君,撓于其下,侵漁其民,以適無窮之欲,則百姓無以被天和而履地德矣。

新字:夫民之為生也,一人蹠耒而耕,不過十畝,中田之獲,卒歳之収,不過畝四石,妻子老弱,仰而食之,時有涔旱災害之患,無以給上之征賦車馬兵革之費。由此観之,則人之生,憫矣!夫天地之大,計三年耕而余一年之食,率九年而有三年之畜,十八年而有六年之積,二十七年而有九年之儲,雖涔旱災害之殃,民莫困窮流亡也。故国無九年之畜,謂之不足;無六年之積,謂之憫急;無三年之畜,謂之窮乏。故有仁君明王,其取下有節,自養有度,則得承受於天地,而不離饑寒之患矣。若貪主暴君,撓于其下,侵漁其民,以適無窮之欲,則百姓無以被天和而履地徳矣。

書き下し

夫れ民の生を為すや、一人 耒を蹠みて耕すも、十畝に過ぎず。中田の獲、卒歲の收、畝に四石に過ぎず。妻子老弱、仰ぎて之を食らう。時に涔旱災害の患有れば、以て上の征賦車馬兵革の費に給する無し。此に由りて之を觀れば、則ち人の生、憫れなり。夫れ天地の大なる、三年 耕して一年の食を餘し、率ね九年にして三年の畜有り、十八年にして六年の積有り、二十七年にして九年の儲有るを計らば、涔旱災害の殃有りと雖も、民 困窮流亡する莫きなり。故に國に九年の畜無きを、之を不足と謂う。六年の積無きを、之を憫急と謂う。三年の畜無きを、之を窮乏と謂う。故に仁君明王有りて、其の下に取ること節有り、自ら養うこと度有れば、則ち天地に承受するを得て、饑寒の患に離らざるなり。若し貪主暴君にして、其の下を撓し、其の民を侵漁し、以て無窮の欲に適えば、則ち百姓 以て天和を被り地德を履む無からん。

現代語訳

そもそも民の暮らしは、一人が鋤を踏んで耕しても十畝を出ない。中くらいの田の収穫は、一年かけても一畝あたり四石を出ない。妻子も老人も弱い者も、それを仰いで食べる。時に長雨や旱の災害があれば、上への税や車馬や武具の費用に充てるものがない。これによって見れば、人の暮らしは痛ましい。天地は大きいのだから、三年耕して一年ぶんの食を余し、およそ九年で三年ぶんの蓄え、十八年で六年ぶんの積み、二十七年で九年ぶんの蓄えができるように計れば、長雨や旱の災いがあっても、民が困窮して流亡することはない。だから国に九年ぶんの蓄えがないのを不足といい、六年ぶんの積みがないのを危急といい、三年ぶんの蓄えがないのを窮乏という。だから仁のある君や明るい王があって、下から取ることに節度があり、自分を養うことに度合いがあれば、天地から受け取ることができ、飢えと寒さの患いから離れられる。もし貪欲で乱暴な君主が、下をかき乱し、民から取り上げ、尽きることのない欲に充てれば、民は天の和らぎを被り地の徳を踏むことができなくなる。

解説

数字が具体的です。一人が耕せるのは十畝まで、一畝の収穫は四石まで。そこから家族全員が食べる。だから災害が一度来れば税に回すものが残らない。そのうえで蓄えの基準が示されます。「國に九年の畜無きを、之を不足と謂う」。三年で一年ぶんを余す計算を積み上げて、二十七年で九年ぶん。豊かさの定義を、いま持っている量ではなく、何年ぶんの余裕があるかで測っています。

この章句が説くこと

一人耒を蹠みて耕すも十畝に過ぎず時に涔旱災害の患有れば以て上の征賦の費に給する無し三年耕して一年の食を余し九年にして三年の畜有り国に九年の畜無きを之を不足と謂う其の下に取ること節有り自ら養うこと度有り備蓄

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