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淮南子 / 主術訓

禹決江疏河,以為天下興利,而不能使水西流;稷辟土墾草,以為百姓力農,然不能使禾冬生。豈其人事不至哉?其勢不可也。夫推而不可為之勢,而不修道理之數,雖神聖人不能以成其功,而況當世之主乎!夫載重而馬羸,雖造父不能以致遠;車輕馬良,雖中工可使追速。是故聖人舉事也,豈能拂道理之數,詭自然之性,以曲為直,以屈為伸哉!未嘗不因其資而用之也。是以積力之所舉,無不勝也,而眾智之所為,無不成也。

新字:禹決江疏河,以為天下興利,而不能使水西流;稷辟土墾草,以為百姓力農,然不能使禾冬生。豈其人事不至哉?其勢不可也。夫推而不可為之勢,而不修道理之数,雖神聖人不能以成其功,而況当世之主乎!夫載重而馬羸,雖造父不能以致遠;車軽馬良,雖中工可使追速。是故聖人舉事也,豈能払道理之数,詭自然之性,以曲為直,以屈為伸哉!未嘗不因其資而用之也。是以積力之所舉,無不勝也,而眾智之所為,無不成也。

書き下し

禹 江を決し河を疏して、以て天下の為に利を興すも、水をして西流せしむる能わず。稷 土を辟き草を墾きて、以て百姓の為に農に力むるも、然れども禾をして冬に生ぜしむる能わず。豈に其れ人事 至らざらんや。其の勢 不可なればなり。夫れ推して為す可からざるの勢にして、道理の數を修めざれば、神聖の人と雖も以て其の功を成す能わず。而るに況んや當世の主をや。夫れ載すること重くして馬 羸なれば、造父と雖も以て遠きを致す能わず。車 輕く馬 良ければ、中工と雖も速きを追わしむ可し。是の故に聖人の事を舉ぐるや、豈に能く道理の數に拂い、自然の性に詭き、曲を以て直と為し、屈を以て伸と為さんや。未だ嘗て其の資に因りて之を用いずんばあらざるなり。是を以て積力の舉ぐる所は、勝たざる無く、而して眾智の為す所は、成らざる無きなり。

現代語訳

禹は長江を切り開き黄河を通して天下のために利を興したが、水を西へ流させることはできなかった。稷は土を開き草を墾いて民のために農に力を尽くしたが、稲を冬に生えさせることはできなかった。人の努力が足りなかったのだろうか。そうではなく、その勢いが許さなかったのである。押しても動かせない勢いに対して、道理の数を修めなければ、神のような聖人でもその功を成せない。まして今の世の君主ならなおさらである。荷が重くて馬が痩せていれば、名御者の造父でも遠くまで行けない。車が軽く馬がよければ、並の腕でも速いものを追わせられる。だから聖人が事を起こすとき、どうして道理の数に逆らい、自然の性に背いて、曲がったものをまっすぐとし、縮んだものを伸びたこととするだろうか。必ずその備わっているものに因ってそれを用いるのである。だから力を積み重ねて挙げれば勝てないものはなく、多くの知恵で行えば成らないものはない。

解説

禹でも水は西へ流せず、稷でも稲は冬に生えない。努力の不足ではなく「其の勢 不可なればなり」。できないことの理由を、人の側から勢いの側へ移します。続く造父の喩えが実務的でした。荷が重くて馬が痩せていれば名人でも遠くへ行けず、車が軽く馬がよければ並の腕でも速い。腕を上げる前に、荷と馬を見ろ、と読めます。

この章句が説くこと

禹江を決し河を疏すも水をして西流せしむる能わず稷土を辟き草を墾くも禾をして冬に生ぜしむる能わず豈に其れ人事至らざらんや其の勢不可なればなり載すること重くして馬羸なれば造父と雖も以て遠きを致す能わず未だ嘗て其の資に因りて之を用いずんばあらず条件

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