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淮南子 / 主術訓

今夫權衡規矩,一定而不易,不為秦、楚變節,不為胡、越改容,常一而不邪,方行而不流,一日刑之,萬世傳之,而以無為為之,故國有亡主,而世無廢道;人有困窮,而理無不通。由此觀之,無為者,道之宗。故得道之宗,應物無窮,任人之才,難以至治。湯、武,聖主也,而不能與越人乘幹舟而浮於江湖;伊尹,賢相也,而不能與胡人騎騵馬而服駒駼;孔、墨博通,而不能與山居者入榛薄險阻也。由此觀之,則人知之於物也淺矣,而欲以遍照海內,存萬方,不因道之數,而專己之能,則其窮不達矣。故智不足以治天下也。

新字:今夫権衡規矩,一定而不易,不為秦、楚変節,不為胡、越改容,常一而不邪,方行而不流,一日刑之,万世伝之,而以無為為之,故国有亡主,而世無廃道;人有困窮,而理無不通。由此観之,無為者,道之宗。故得道之宗,応物無窮,任人之才,難以至治。湯、武,聖主也,而不能与越人乗幹舟而浮於江湖;伊尹,賢相也,而不能与胡人騎騵馬而服駒駼;孔、墨博通,而不能与山居者入榛薄険阻也。由此観之,則人知之於物也浅矣,而欲以遍照海内,存万方,不因道之数,而専己之能,則其窮不達矣。故智不足以治天下也。

書き下し

今夫れ權衡規矩は、一たび定まりて易えず、秦・楚の為に節を變ぜず、胡・越の為に容を改めず、常に一にして邪ならず、方に行いて流れず。一日 之を刑して、萬世 之を傳え、而も無為を以て之を為す。故に國に亡主有るも、世に廢道無く、人に困窮有るも、理に通ぜざる無し。此に由りて之を觀れば、無為なる者は、道の宗なり。故に道の宗を得れば、物に應じて窮まり無し。人の才に任ずれば、以て至治し難し。湯・武は聖主なり、而も越人と幹舟に乘りて江湖に浮かぶ能わず。伊尹は賢相なり、而も胡人と騵馬に騎りて駒駼を服する能わず。孔・墨は博通なり、而も山居する者と榛薄險阻に入る能わざるなり。此に由りて之を觀れば、則ち人の物を知るや淺し。而るに以て遍く海內を照らし、萬方を存せんと欲して、道の數に因らずして、專ら己の能にするは、則ち其れ窮して達せざらん。故に智は以て天下を治むるに足らざるなり。

現代語訳

いま秤とコンパスとさしがねは、ひとたび定まれば変わらず、秦や楚のために節を変えず、胡や越のために形を改めず、常に一つで曲がらず、まっすぐ行って流されない。一日でこれを定め、万世にわたって伝え、しかも何もしないことでそれを行う。だから国に滅ぼす君主があっても、世に廃れた道はなく、人に困窮があっても、理に通じないものはない。これによって見れば、何もしないことは道の根本である。だから道の根本を得れば、物事に応じて窮まらない。人の才に頼れば、行き渡った治めは難しい。湯と武は聖なる君主だが、越の人と一緒に丸木舟に乗って川や湖に浮かぶことはできない。伊尹は賢い宰相だが、胡の人と一緒に馬に乗って駒駼を乗りこなすことはできない。孔子と墨子は博く通じていたが、山に住む者と一緒に藪や険しい道に入ることはできない。これによって見れば、人が物を知っている範囲は浅い。それでいて国じゅうをあまねく照らし、万方を保とうとして、道の数によらずに自分の能力だけに頼れば、行き詰まって達しない。だから知恵では天下を治めるに足りない。

解説

秤とコンパスは「秦・楚の為に節を變ぜず、胡・越の為に容を改めず」。相手が誰でも同じ、それが基準の強さです。そこから、聖人でも越人の舟には乗れず、賢相でも胡人の馬は乗りこなせず、孔子も墨子も山の民のようには藪へ入れない、と続く。誰の能力にも及ばない範囲があり、範囲の外は基準に任せるしかない。「智は以て天下を治むるに足らざるなり」という結論は、能力の否定ではなく、届く範囲の話です。

この章句が説くこと

権衡規矩は一たび定まりて易えず秦・楚の為に節を変ぜず無為なる者は道の宗なり湯・武は聖主なり而も越人と幹舟に乗りて江湖に浮かぶ能わず孔・墨は博通なり而も山居する者と榛薄険阻に入る能わず道の数に因らずして専ら己の能にするは則ち其れ窮して達せず基準

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