淮南子 / 本經訓
仁鄙不齊,比周朋黨,設詐諝,懷機械巧故之心,而性失矣,是以貴義。陰陽之情,莫不有血氣之感,男女群居雜處而無別,是以貴禮。性命之情,淫而相脅,以不得已則不和,是以貴樂。是故仁義禮樂者,可以救敗,而非通治之至也。夫仁者,所以救爭也;義者,所以救失也;禮者,所以救淫也;樂者,所以救憂也。神明定於天下,而心反其初;心反其初,而民心善;民心善而天地陰陽從而包之,則財足而人澹矣;貪鄙忿爭不得生焉。由此觀之,則仁義不用矣。道德定于天下而民純樸,則目不營於色,耳不淫於聲,坐俳而歌謠,被發而浮游,雖有毛嬙、西施之色,不知說也。掉羽、武象,不知樂也,淫諝無別,不得生焉。由此觀之,禮樂不用也。是故德衰然後仁生,行沮然後義立,和失然後聲調,禮淫然後容飾。是故知神明然後知道德之不足為也,知道德然後知仁義之不足行也。知仁義然後知禮樂之不足修也。今背其本而求其末,釋其要而索之於詳,未可與言至也。
新字:仁鄙不斉,比周朋党,設詐諝,懐機械巧故之心,而性失矣,是以貴義。陰陽之情,莫不有血気之感,男女群居雑処而無別,是以貴礼。性命之情,淫而相脅,以不得已則不和,是以貴楽。是故仁義礼楽者,可以救敗,而非通治之至也。夫仁者,所以救争也;義者,所以救失也;礼者,所以救淫也;楽者,所以救憂也。神明定於天下,而心反其初;心反其初,而民心善;民心善而天地陰陽従而包之,則財足而人澹矣;貪鄙忿争不得生焉。由此観之,則仁義不用矣。道徳定于天下而民純樸,則目不営於色,耳不淫於声,坐俳而歌謡,被発而浮游,雖有毛嬙、西施之色,不知説也。掉羽、武象,不知楽也,淫諝無別,不得生焉。由此観之,礼楽不用也。是故徳衰然後仁生,行沮然後義立,和失然後声調,礼淫然後容飾。是故知神明然後知道徳之不足為也,知道徳然後知仁義之不足行也。知仁義然後知礼楽之不足修也。今背其本而求其末,釈其要而索之於詳,未可与言至也。
書き下し
仁鄙 齊しからず、比周朋黨し、詐諝を設け、機械巧故の心を懷きて、性 失わる。是を以て義を貴ぶ。陰陽の情、血氣の感有らざる莫く、男女 群居雜處して別無し。是を以て禮を貴ぶ。性命の情、淫して相い脅かし、已むを得ざるを以てすれば則ち和せず。是を以て樂を貴ぶ。是の故に仁義禮樂なる者は、以て敗を救う可くして、通治の至りに非ざるなり。夫れ仁なる者は、爭いを救う所以なり。義なる者は、失を救う所以なり。禮なる者は、淫を救う所以なり。樂なる者は、憂いを救う所以なり。神明 天下に定まりて、心 其の初めに反る。心 其の初めに反りて、民の心 善なり。民の心 善にして天地陰陽 從いて之を包めば、則ち財足りて人 澹らかなり。貪鄙忿爭 生ずるを得ず。此に由りて之を觀れば、則ち仁義 用いられず。道德 天下に定まりて民 純樸なれば、則ち目は色に營まれず、耳は聲に淫せず、坐俳して歌謠し、髮を被りて浮游し、毛嬙・西施の色有りと雖も、說ぶを知らざるなり。掉羽・武象も、樂しむを知らざるなり。淫諝 別無く、生ずるを得ず。此に由りて之を觀れば、禮樂 用いられざるなり。是の故に德 衰えて然る後に仁生じ、行い沮みて然る後に義立ち、和 失われて然る後に聲 調い、禮 淫にして然る後に容 飾る。是の故に神明を知りて然る後に道德の為すに足らざるを知り、道德を知りて然る後に仁義の行うに足らざるを知り、仁義を知りて然る後に禮樂の修むるに足らざるを知る。今 其の本に背きて其の末を求め、其の要を釋てて之を詳に索むるは、未だ與に至りを言う可からず。
現代語訳
仁と卑しさが揃わず、馴れ合って徒党を組み、偽りをしかけ、からくりと小細工の心を抱いて、性が失われる。だから義が貴ばれる。陰陽の実情として、血気の感じないものはなく、男女が群れ住み入り混じって区別がない。だから礼が貴ばれる。生まれつきの実情として、溺れて互いに脅し、やむを得ずということになれば和さない。だから楽が貴ばれる。だから仁義礼楽は、崩れを救うことはできても、行き渡った治めの極みではない。そもそも仁は争いを救うためのもの、義は失いを救うためのもの、礼は乱れを救うためのもの、楽は憂いを救うためのものである。心のはたらきが天下に定まれば、心は初めに返る。心が初めに返れば、民の心は善くなる。民の心が善くなり、天地陰陽がそれに従って包めば、財は足りて人は落ち着く。むさぼりや争いは生じようがない。これによって見れば、仁義は使われない。道と徳が天下に定まって民が素朴であれば、目は色に引かれず、耳は音に溺れず、座ったまま歌い、髪を垂らして遊び、毛嬙や西施ほどの美しさがあっても、喜ぶことを知らない。舞楽があっても、楽しむことを知らない。溺れも偽りも区別なく、生じようがない。これによって見れば、礼楽は使われない。だから徳が衰えてはじめて仁が生じ、行いが滞ってはじめて義が立ち、和らぎが失われてはじめて音律が整い、礼が乱れてはじめて姿かたちを飾る。だから心のはたらきを知ってはじめて道徳が事さらにするに足りないと分かり、道徳を知ってはじめて仁義が行うに足りないと分かり、仁義を知ってはじめて礼楽が修めるに足りないと分かる。いま根本に背いて末端を求め、要を捨てて細部に探すのでは、まだ極みを語り合うことはできない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『淮南子』齊俗訓性に率いて行う、之を道と謂う。其の天性を得る、之を德と謂う。性 失われて然る後に仁を貴び、道 失われて然る後に義を貴ぶ。是の故に仁義 立ちて道德 遷り、禮樂 飾らるれば則ち純樸 散じ、是非 形るれば則ち百姓 眩み、珠玉 尊ばるれば則ち天下 爭う。凡そ此の四つの者は、衰世の造る所にして、末世の用うる所なり。夫れ禮なる者は、尊卑を別ち、貴賤を異にする所以なり。義なる者は、君臣・父子・兄弟・夫妻・朋友の際を合する所以なり。今世の禮を為す者は、恭敬にして忮る。義を為す者は、布施して德とす。君臣 以て相い非とし、骨肉 以て怨を生ずるは、則ち禮義の本を失えばなり。故に搆えて責むること多し。夫れ水 積もれば則ち相い食むの魚を生じ、土 積もれば則ち自ら淫するの獸を生ず。禮義 飾らるれば則ち偽匿の本を生ず。夫れ灰を吹きて眯する無からんと欲し、水を涉りて濡るる無からんと欲するは、得可からざるなり。
-
『淮南子』俶真訓夫れ天定まらざれば、日月載する所無し。地定まらざれば、草木植うる所無し。身に立つ所の者寧からざれば、是非形るる所無し。是の故に真人有りて然る後に真知有り。其の持する所の者明らかならずんば、庸詎ぞ吾が所謂知の知らざるに非ざるを知らんや。今夫れ惠を積み厚きを重ね、愛を累ね恩を襲ね、聲華嘔苻を以て萬民百姓を嫗掩し、之をして訢訢然として知り、人其の性を樂しましむる者は、仁なり。大功を舉げ、顯名を立て、君臣を體し、上下を正し、親疏を明らかにし、貴賤を等しくし、危國を存し、絕世を繼ぎ、挐を決し煩を治め、毀宗を興し、無後を立つる者は、義なり。九竅を閉じ、心志を藏し、聰明を棄て、無識に反り、芒然として塵埃の外に仿佯し、無事の業に消搖し、陰を含み陽を吐きて、萬物和同する者は、德なり。是の故に道散じて德と為り、德溢れて仁義と為り、仁義立ちて道德廢る。
-
『淮南子』繆稱訓道なる者は、物の導かるる所なり。德なる者は、性の扶けらるる所なり。仁なる者は、積恩の見證なり。義なる者は、人心に比して眾適に合する者なり。故に道 滅びて德 用いられ、德 衰えて仁義 生ず。故に上世は道を體して德とせず、中世は德を守りて壞らず、末世は繩繩乎として唯だ仁義を失わんことを恐る。君子は仁義に非ざれば以て生くる無し。仁義を失えば、則ち其の生くる所以を失う。小人は嗜欲に非ざれば以て活くる無し。嗜欲を失えば、則ち其の活くる所以を失う。故に君子は仁義を失うを懼れ、小人は利を失うを懼る。其の懼るる所を觀れば、各々殊なるを知るなり。『易』に曰く、「鹿に即くに虞無く、惟だ林中に入る。君子 幾ど舍つるに如かず、往けば吝なり」と。
-
荀子・大略篇親を親しみ、故きを故しみ、庸あるを庸とし、労あるを労うは、仁の殺なり。貴きを貴び、尊きを尊び、賢を賢とし、老を老とし、長を長とするは、義の倫なり。之を行いて其の節を得るは、礼の序なり。仁は愛なり、故に親しむ。義は理なり、故に行う。礼は節なり、故に成る。仁に里有り、義に門有り。仁、其の里に非ずして之に処るは、仁に非ざるなり。義、其の門に非ずして之に由るは、義に非ざるなり。恩を推して理あらざれば、仁を成さず。理を遂げて敢えざれば、義を成さず。節を審らかにして和せざれば、礼を成さず。和して発せざれば、楽を成さず。故に曰く、仁義礼楽は、其の致 一なりと。君子は仁に処るに義を以てし、然る後に仁なり。義を行うに礼を以てし、然る後に義なり。礼を制するに本に反り末を成し、然る後に礼なり。三者 皆な通じ、然る後に道なり。
-
孔子家語・禮運夫れ禮は:必ず太一に本づき、分れて天地と爲り、轉じて陰陽と爲り、變じて四時と爲り、列して鬼神と爲る。其の降るを命と曰い、其の天に官たるなり。分藝に協い、其の人に居るを、養と曰う。信を講じ睦を修め、人の肌膚の會、筋骸の束を固くする所以なり。生を養い死を送り、鬼神に事うるの大端なる所以なり。天道に達し、人情の大竇に順う所以なり。唯だ聖人のみ禮の以て已む可からざるを知ると爲す。故に國を破り家を喪い人を亡ぼすは、必ず先ず其の禮を去る。禮の人に於けるや、猶お酒の糱有るがごとし。君子は以て厚く、小人は以て薄し。聖人義の柄、禮の序を修めて、以て人情を治む。人情は、聖王の田なり。禮を修めて以て之を耕し、義を陳ねて以て之を種え、學を講じて以て之を耨し、仁を本づけて以て之を聚め、樂を播きて以て之を安んず。故に禮は、義の實なり。諸を義に協えて協えば則ち禮なり、先王未だ義を以て起す可からずと雖も。義は、藝の分、仁の節なり。藝に協い、仁に講ず。之を得る者は強く、之を失う者は喪う。仁は、義の本、順の體なり。之を得る者は尊し。故に國を治むるに禮を以てせざるは、猶お耜無くして耕すがごとし。禮を爲して義に本づかざるは、猶お之を耕して種えざるがごとし。義を爲して學に講ぜざるは、猶お種えて耨せざるがごとし。之を學を以て講じて、仁を以て合せざるは、猶お耨して獲ざるがごとし。之を仁を以て合して、樂を以て之を安んぜざるは、猶お獲て食わざるがごとし。之を樂を以て安んじて、順に達せざるは、猶お食いて肥えざるがごとし。
-
荘子・繕性古の道を治むる者は、恬(てん)を以て知を養う。知生ずるも以て知を為す無きを、之を知を以て恬を養うと謂う。知と恬と交(こもご)も相養いて、和理其の性より出づ。夫れ徳は、和なり。道は、理なり。徳の容れざる無きは、仁なり。道の理せざる無きは、義なり。義明らかにして物親しむは、忠なり。中純実にして情に反るは、楽なり。信行われ体を容れて文に順うは、礼なり。礼楽遍く行わるれば、則ち天下乱る。彼正しくして己が徳を蒙(おお)えば、徳は則ち冒(おか)さず。冒せば則ち物必ず其の性を失うなり。