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淮南子 / 覽冥訓

昔者王良、造父之禦也,上車攝轡,馬為整齊而斂諧,投足調均,勞逸若一,心怡氣和,體便輕畢,安勞樂進,馳騖若滅,左右若鞭,周旋若環,世皆以為巧,然未見其貴者也。若夫鉗且、大丙之禦,除轡銜,去鞭棄策,車莫動而自舉,馬莫使而自走也,日行月動,星耀而玄運,電奔而鬼騰,進退屈伸,不見朕垠,故不招指,不咄叱,過歸雁于碣石,軼鶤雞于姑余,騁若飛,騖若絕,縱矢躡風,追猋歸忽,朝發榑桑,日入落棠,此假弗用而能以成其用也。非慮思之察,手爪之巧也,嗜欲形於胸中,而精神逾于六馬,此以弗禦禦之者也。

新字:昔者王良、造父之禦也,上車摂轡,馬為整斉而斂諧,投足調均,労逸若一,心怡気和,体便軽畢,安労楽進,馳騖若滅,左右若鞭,周旋若環,世皆以為巧,然未見其貴者也。若夫鉗且、大丙之禦,除轡銜,去鞭棄策,車莫動而自舉,馬莫使而自走也,日行月動,星耀而玄運,電奔而鬼騰,進退屈伸,不見朕垠,故不招指,不咄叱,過帰雁于碣石,軼鶤雞于姑余,騁若飛,騖若絶,縦矢躡風,追猋帰忽,朝発榑桑,日入落棠,此仮弗用而能以成其用也。非慮思之察,手爪之巧也,嗜欲形於胸中,而精神逾于六馬,此以弗禦禦之者也。

書き下し

昔者 王良・造父の禦するや、車に上り轡を攝れば、馬 為に整齊にして斂まり諧い、足を投ずること調均、勞逸 一のごとく、心怡び氣和し、體は便にして輕く畢わり、勞を安んじ進むを樂しみ、馳騖すること滅ぶるがごとく、左右すること鞭のごとく、周旋すること環のごとし。世 皆な以て巧と為すも、然れども未だ其の貴き者を見ざるなり。若し夫れ鉗且・大丙の禦するや、轡銜を除き、鞭を去り策を棄て、車 動くこと莫くして自ら舉がり、馬 使うこと莫くして自ら走るなり。日行き月動き、星耀きて玄運し、電のごとく奔り鬼のごとく騰がり、進退屈伸、朕垠を見ず。故に指を招かず、咄叱せずして、歸雁を碣石に過ぎ、鶤雞を姑余に軼ぐ。騁すること飛ぶがごとく、騖すること絕つがごとく、矢を縱ちて風を躡み、猋を追いて忽に歸す。朝に榑桑を發し、日 落棠に入る。此れ用うるを弗るを假りて能く以て其の用を成す者なり。慮思の察、手爪の巧に非ず。嗜欲 胸中に形れずして、精神 六馬を逾ゆ。此れ禦する弗きを以て之を禦する者なり。

現代語訳

昔、王良や造父の御し方は、車に乗って手綱を執ると、馬はそのために整い引き締まって調子が合い、足の運びは揃い、疲れも楽も等しく、心は喜び気は和らぎ、体は軽やかに動き、労を安んじ進むことを楽しみ、駆けることは消えるように速く、左右に振ることは鞭のように鋭く、旋回することは輪のようであった。世の人はみなこれを巧みだとしたが、それでも本当に貴いものはまだ見ていない。ところが鉗且や大丙の御し方はというと、手綱もくつわも外し、鞭も棄て笞も捨て、車は動かされることなく自ら進み、馬は使われることなく自ら走る。日が行き月が動き、星が輝いて天が巡るように、電のように奔り鬼のように跳ね、進み退き屈み伸びて、その境目が見えない。だから指で招くことも、叱りつけることもなく、帰る雁を碣石で追い越し、大鳥を姑余で抜き去る。走ることは飛ぶようで、駆けることは断ち切るようで、矢を放って風を踏み、つむじ風を追ってたちまち帰る。朝に扶桑を発ち、日は落棠に沈む。これは用いないことを借りて、その用を成し遂げる者である。思案の細やかさでも、手先の巧みさでもない。欲が胸のうちに形をとらず、精神が六頭の馬を越えている。これが、御さないことによって御する者である。

解説

御者の腕比べですが、名手のほうが劣位に置かれます。王良と造父は手綱を執って馬を揃え、世間はこれを巧みだと褒める。しかし「未だ其の貴き者を見ざるなり」と言う。上には、手綱もくつわも鞭も外してしまう御し方がある、と。決め手は技ではありませんでした。「嗜欲 胸中に形れずして、精神 六馬を逾ゆ」。乗り手の内側に欲が形をとらないから、馬のほうが先に合ってくる。掌握を強めるほど巧くなる、という考えの反対側です。

この章句が説くこと

王良・造父の禦するや馬為に整斉にして斂まり諧う世皆な以て巧と為すも未だ其の貴き者を見ざるなり鉗且・大丙の禦するや轡銜を除き鞭を去り策を棄つ車動くこと莫くして自ら舉がり馬使うこと莫くして自ら走る嗜欲胸中に形れずして精神六馬を逾ゆ無為

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