淮南子 / 覽冥訓
武王伐紂,渡于孟津,陽侯之波,逆流而擊,疾風晦冥,人馬不相見。於是武王左操黃鉞,右秉白旄,瞋目而捴之曰:「余任天下,誰敢害吾意者!」於是,風濟而波罷。魯陽公與韓構難,戰酣日暮,援戈而捴之,日為之反三舍。夫全性保真,不虧其身,遭急迫難,精通於天。若乃未始出其宗者,何為而不成!夫死生同域,不可脅陵,勇武一人,為三軍雄。彼直求名耳,而能自要者尚猶若此,又況夫宮天地,懷萬物,而友造化,含至和,直偶於人形,觀九鑽一,知之所不知,而心未嘗死者乎!
新字:武王伐紂,渡于孟津,陽侯之波,逆流而擊,疾風晦冥,人馬不相見。於是武王左操黄鉞,右秉白旄,瞋目而捴之曰:「余任天下,誰敢害吾意者!」於是,風済而波罷。魯陽公与韓構難,戦酣日暮,援戈而捴之,日為之反三舎。夫全性保真,不虧其身,遭急迫難,精通於天。若乃未始出其宗者,何為而不成!夫死生同域,不可脅陵,勇武一人,為三軍雄。彼直求名耳,而能自要者尚猶若此,又況夫宮天地,懐万物,而友造化,含至和,直偶於人形,観九鑽一,知之所不知,而心未嘗死者乎!
書き下し
武王 紂を伐ち、孟津に渡るに、陽侯の波、流れに逆らいて擊ち、疾風晦冥にして、人馬相い見えず。是に於いて武王 左に黃鉞を操り、右に白旄を秉り、目を瞋らして之を捴きて曰く、「余 天下に任ず、誰か敢えて吾が意を害する者ぞ」と。是に於いて、風濟みて波罷む。魯陽公 韓と難を構え、戰い酣にして日暮る。戈を援りて之を捴けば、日 之が為に三舍を反る。夫れ性を全うし真を保ち、其の身を虧かず、急に遭い難に迫られて、精 天に通ず。若し乃ち未だ始めより其の宗を出でざる者は、何を為してか成らざらん。夫れ死生 域を同じくすれば、脅し陵ぐ可からず。勇武なる一人は、三軍の雄と為る。彼は直だ名を求むるのみ、而も能く自ら要する者すら尚お猶お此くのごとし。又た況んや夫の天地を宮とし、萬物を懷き、造化を友とし、至和を含み、直だ人形に偶し、九を觀て一を鑽り、知の知らざる所を知りて、心未だ嘗て死せざる者をや。
現代語訳
武王が紂を討ち、孟津を渡ろうとしたとき、波の神の起こす波が流れに逆らって打ちつけ、疾風で暗くなり、人も馬も互いに見えなくなった。そこで武王は左に黄金の鉞を執り、右に白い旄を持ち、目を見開いてこれを指して言った、「私は天下を引き受けている。誰があえて私の意を妨げるのか」。すると、風はやみ波はおさまった。魯陽公が韓と事を構え、戦いが酣になって日が暮れかけた。戈を取ってこれを指し招くと、日はそのために三舎ぶん戻った。そもそも生まれつきを全うし真を保ち、その身を欠かさずにいれば、急場に遭い難に迫られたとき、精神は天に通じる。まして、はじめから根本を出たことのない者であれば、何をして成らないことがあろうか。生と死とを同じ場所として引き受けている者は、脅して押さえることができない。勇ましい一人が、三軍の雄となる。あの二人はただ名を求めただけであり、それでも自らを引き締められる者がなおこうなのだ。まして天地を住まいとし、万物を懐に抱き、造化を友とし、極みの和を含み、たまたま人の形を借り、多くを観て一つを掘り下げ、知の及ばないところを知って、心が一度も死んだことのない者ならば、なおさらである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・子張篇子張曰く、士は危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。
-
葉隠・聞書第一大難大変(だいなんたいへん)に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍(かんきゆやく)して勇み進むべきなり。一関(いっかん)越えたる所なり。「水増されば船高し。」といふが如し。
-
風憲忠告・臨難苐九夫れ人臣にして國家言責の任に當れば、刑辱の事、敢えてその無き有るを必とせず、要は順って處り靜かに伺い、理を以てこれを□するに在るのみ。若し乃ち哀を求め憐れみを乞い、惴讋(ずいしょう)して所無ければ、巳に先ず撓(たわ)む、何を以てか自ら眀(あき)らかにせん。夫れ已の職を盡くし、國の爲民の爲にして罪を得るは、君子は以て辱と為さず、以て榮と為す。縲紲(るいせつ)せらると雖も、荊楚せらると雖も、斧鉞せらると雖も、庸(なん)ぞ愧(は)ずること何かあらんや。歷(あまね)く自古(いにしえよ)り禍患に處して亂れざる者を觀るに、三代よりの下、子路の纓(えい)を結ぶが如き、宜僚(ぎりょう)の色を正すが如き、王景文の客と碁を弈(う)つが如き、劉禕(りゅうい)の自ら謝表を書すが如き、魏元忠の赦を聞きて動ぜざるが如き、是れ皆真に義命の在る所を知る有るを以てなり、區區(くく)たる人力の得て移す所に非ざるなり。然れども士君子平昔(へいせき)飬う所、其の情と偽と、焉(ここ)に於いて以て見るべし。李斯刑に臨みて父子相泣き、楊子雲(揚子雲)收(とら)えられて□閣ほとんど死せんとし、王坦之謝安と名を齊しくするも、桓溫朝に來たるや倒(さかしま)に手板を執り、崔浩自ら子房に比するも、史事を辨ずるが為に聲嘶(か)れ股栗(こりつ)し、便溺(べんでき)隱すこと能わず。此れ彼れ惟だ名を事とするのみにして、聖賢性命の學に於いては實に未だ甞て諸(これ)を心に淂(え)ざりしを見るべし。善いかな、韓文公の言に曰く、「儒者の患難に於けるや、苟しくも其れ自らこれを取るに非ざれば、其の拒みて懷に受けざるや、河堤を築きて以て屋霤(おくりゅう)を障(ふせ)ぐが若し。其の容れてこれを消すや、水の海に於ける、氷の夏日に於けるが若し。其の玩びてこれを文辭を以て忘るるや、金石を奏でて以て蟋蟀(しっしゅつ)の鳴くを破るが若し」と。故に君子の學は、理を眀らかにし自ら信ずるを以て貴しと為す。
-
論語・子罕篇子、匡に畏る。曰く、「文王既に没するも、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与かるを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん。」
-
論語・先進篇子、匡に畏る。顔淵後る。子曰く、「吾女を以て死せりと為せり。」曰く、「子在せば、回何ぞ敢えて死せん。」
-
孫子・火攻篇火内に発すれば、則ち早くこれに外より応ず。