淮南子 / 墜形訓
何謂六水?曰河水、赤水、遼水、黑水、江水、淮水。闔四海之內,東西二萬八千里,南北二萬六千里,水道八千里,通穀其名川六百,陸徑三千里。禹乃使太章步自東極,至於西極,二億三萬三千五百里七十五步。使豎亥步自北極,至於南極,二億三萬三千五百七十五里。凡鴻水淵藪,自三百仞以上,二億三萬三千五百五十里,有九淵。禹乃以息土填洪水以為名山,掘昆侖虛以下地,中有增城九重,其高萬一千里百一十四步二尺六寸。上有木禾,其修五尋,珠樹、玉樹、琁樹、不死樹在其西,沙棠、琅玕在其東,絳樹在其南,碧樹、瑤樹在其北。旁有四百四十門,門間四裏,里間九純,純丈五尺。旁有九井玉橫,維其西北之隅,北門開以內不周之風,傾宮、旋室、縣圃、涼風、樊桐在昆侖閶闔之中,是其疏圃。疏圃之池,浸之黃水,黃水三周複其原,是謂丹水,飲之不死。河水出昆侖東北陬,貫渤海,入禹所導積石山,赤水出其東南陬,西南注南海丹澤之東。赤水之東,弱水出自窮石,至於合黎,餘波入於流沙,絕流沙南至南海。洋水出其西北陬,入於南海羽民之南。凡四水者,帝之神泉,以和百藥,以潤萬物。
新字:何謂六水?曰河水、赤水、遼水、黒水、江水、淮水。闔四海之内,東西二万八千里,南北二万六千里,水道八千里,通穀其名川六百,陸径三千里。禹乃使太章歩自東極,至於西極,二億三万三千五百里七十五歩。使豎亥歩自北極,至於南極,二億三万三千五百七十五里。凡鴻水淵藪,自三百仞以上,二億三万三千五百五十里,有九淵。禹乃以息土填洪水以為名山,掘昆侖虚以下地,中有增城九重,其高万一千里百一十四歩二尺六寸。上有木禾,其修五尋,珠樹、玉樹、琁樹、不死樹在其西,沙棠、琅玕在其東,絳樹在其南,碧樹、瑤樹在其北。旁有四百四十門,門間四裏,里間九純,純丈五尺。旁有九井玉横,維其西北之隅,北門開以内不周之風,傾宮、旋室、県圃、涼風、樊桐在昆侖閶闔之中,是其疏圃。疏圃之池,浸之黄水,黄水三周複其原,是謂丹水,飲之不死。河水出昆侖東北陬,貫渤海,入禹所導積石山,赤水出其東南陬,西南注南海丹沢之東。赤水之東,弱水出自窮石,至於合黎,余波入於流沙,絶流沙南至南海。洋水出其西北陬,入於南海羽民之南。凡四水者,帝之神泉,以和百薬,以潤万物。
書き下し
何をか六水と謂う。曰く、河水・赤水・遼水・黑水・江水・淮水なり。四海の内を闔むるに、東西二萬八千里、南北二萬六千里、水道八千里、通穀其の名川六百、陸徑三千里。禹乃ち太章をして東極より步かしめ、西極に至ること二億三萬三千五百里七十五步。豎亥をして北極より步かしめ、南極に至ること二億三萬三千五百七十五里。凡そ鴻水淵藪、三百仞より以上、二億三萬三千五百五十里、九淵有り。禹乃ち息土を以て洪水を填めて以て名山と為し、昆侖の虛を掘りて以て地を下す。中に增城九重有り、其の高さ萬一千里百一十四步二尺六寸。上に木禾有り、其の修さ五尋。珠樹・玉樹・琁樹・不死樹は其の西に在り、沙棠・琅玕は其の東に在り、絳樹は其の南に在り、碧樹・瑤樹は其の北に在り。旁らに四百四十門有り、門の間四里、里の間九純、純は丈五尺。旁らに九井玉橫有り、其の西北の隅を維ぐ。北門開きて以て不周の風を内る。傾宮・旋室・縣圃・涼風・樊桐は昆侖閶闔の中に在り、是れ其の疏圃なり。疏圃の池、之を浸すに黃水を以てし、黃水三たび周りて其の原に複る。是を丹水と謂う。之を飲めば死せず。河水は昆侖の東北の陬に出で、渤海を貫き、禹の導く所の積石山に入る。赤水は其の東南の陬に出で、西南のかた南海丹澤の東に注ぐ。赤水の東、弱水は窮石より出でて、合黎に至り、餘波は流沙に入り、流沙を絕ちて南のかた南海に至る。洋水は其の西北の陬に出で、南海羽民の南に入る。凡そ四水なる者は、帝の神泉なり。以て百藥を和し、以て萬物を潤す。
現代語訳
六水とは何か。河水・赤水・遼水・黒水・江水・淮水である。四海の内を閉じてみると、東西二万八千里、南北二万六千里、水路が八千里、谷を通る名のある川が六百、陸路は三千里。禹は太章に東の果てから歩かせ、西の果てまで二億三万三千五百里と七十五歩であった。豎亥に北の果てから歩かせ、南の果てまで二億三万三千五百七十五里であった。大水や淵や藪で、三百仞より深いものは二億三万三千五百五十里、九つの淵がある。禹はふくれる土で洪水を埋めて名のある山とし、崑崙の丘を掘って地を下げた。その中に九重の増城があり、その高さは一万一千里と百十四歩二尺六寸。上には木禾があり、その丈は五尋。珠樹・玉樹・琁樹・不死樹はその西にあり、沙棠と琅玕はその東にあり、絳樹はその南にあり、碧樹と瑤樹はその北にある。傍らに四百四十の門があり、門の間は四里、里の間は九純、一純は一丈五尺。傍らに九つの井戸と玉の横木があり、その西北の隅を繋いでいる。北の門が開いて不周の風を入れる。傾宮・旋室・県圃・涼風・樊桐は崑崙の門のうちにあり、そこがその疏圃である。疏圃の池は黄水に浸され、黄水は三度巡ってその源に返る。これを丹水という。これを飲めば死なない。河水は崑崙の東北の隅から出て、渤海を貫き、禹が導いた積石山に入る。赤水はその東南の隅から出て、西南の南海の丹沢の東に注ぐ。赤水の東で、弱水は窮石から出て、合黎に至り、あふれた波は流砂に入り、流砂を横切って南の南海に至る。洋水はその西北の隅から出て、南海の羽民の南に入る。この四つの水は、帝の神なる泉である。それであらゆる薬を調え、万物を潤す。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『淮南子』墜形訓昆侖の丘、或いは上ること之に倍すれば、是を涼風の山と謂う。之に登れば死せず。或いは上ること之に倍すれば、是を懸圃と謂う。之に登れば乃ち靈にして、能く風雨を使う。或いは上ること之に倍すれば、乃ち上天を維ぐ。之に登れば乃ち神なり。是を太帝の居と謂う。扶木は陽州に在り、日の曊す所なり。建木は都廣に在り、眾帝の自ら上下する所なり。日中に景無く、呼びて響き無し。蓋し天地の中なり。若木は建木の西に在り、末に十日有り、其の華は下地を照らす。九州の大なる、純方千里、九州の外、乃ち八殥有り、亦た方千里。東北方より大澤と曰い、無通と曰う。東方は大渚と曰い、少海と曰う。東南方は具區と曰い、元澤と曰う。南方は大夢と曰い、浩澤と曰う。西南方は渚資と曰い、丹澤と曰う。西方は九區と曰い、泉澤と曰う。西北方は大夏と曰い、海澤と曰う。北方は大冥と曰い、寒澤と曰う。凡そ八殥八澤の雲は、是れ九州に雨ふらす。
-
尚書・禹貢黒水を導き、三危に至り、南海に入る。河を積石より導き、竜門に至り、南のかた華陰に至り、東のかた厎柱(しちゆう)に至り、又東のかた孟津に至り、東のかた洛汭(らくぜい)を過ぎ、大伾(たいひ)に至る。北のかた降水を過ぎ、大陸に至り、又北のかた播(わか)れて九河と為り、同じく逆河と為りて、海に入る。嶓冢(はんちよう)より漾(やう)を導き、東流して漢と為り、又東して滄浪の水と為り、三澨(さんぜい)を過ぎ、大別に至り、南のかた江に入る。東のかた匯(めぐ)りて沢となり彭蠡(ほうれい)と為り、東して北江と為り、海に入る。岷山より江を導き、東に別れて沱(た)と為り、又東して澧(れい)に至り、九江を過ぎ、東陵に至り、東に迤(ななめ)に北して匯に会し、東して中江と為り、海に入る。沇水(えんすい)を導き、東流して済と為り、河に入り、溢れて滎(けい)と為り、東して陶丘の北に出で、又東して菏(か)に至り、又東北して汶に会し、又北東して海に入る。淮を桐柏より導き、東して泗・沂(き)に会し、東して海に入る。渭を鳥鼠同穴より導き、東して灃(ほう)に会し、又東して涇に会し、又東して漆沮を過ぎ、河に入る。洛を熊耳より導き、東北して澗・瀍(てん)に会し、又東して伊に会し、又東北して河に入る。九州同じくする攸(ところ)なり、四隩(しいく)既に宅(を)り、九山刊旅(かんりよ)し、九川源を滌(あら)ひ、九沢既に陂(つつみ)す。四海会同し、六府孔(はなは)だ修まる。庶土交(こもごも)正しく、財賦を厎慎(していしん)し、咸(みな)三壌に則りて賦を成す。中邦に土姓を錫(たま)ふ。台(わ)が徳を先んずるを祗(つつし)まば、朕が行ひに距(たが)はず。五百里は甸服(でんぷく)。百里は賦として総を納め、二百里は銍(ちつ)を納め、三百里は秸(かつ)を納めて服し、四百里は粟、五百里は米。五百里は侯服。百里は采、二百里は男邦、三百里は諸侯。五百里は綏服(すいふく)。三百里は文教を揆(はか)り、二百里は武衛を奮ふ。五百里は要服(えうふく)。三百里は夷、二百里は蔡。五百里は荒服。三百里は蛮、二百里は流。東は海に漸(ひた)り、西は流沙に被(およ)び、朔・南に声教暨(およ)び、四海に訖(いた)る。禹玄圭(げんけい)を錫(たま)ひ、厥(そ)の成功を告ぐ。
-
呂氏春秋・有始⑩凡そ四海の內、東西は二萬八千里、南北は二萬六千里、水道は八千里、水を受くる者も亦た八千里、通谷は六、名川は六百、陸注は三千、小水は萬數なり。
-
史記 夏本紀河を積石より道き、龍門に至り、南して華陰に至り、東して砥柱に至り、又東して盟津に至り、東して雒汭を過ぎ、大邳に至り、北して降水を過ぎ、大陸に至り、北して播きて九河と為り、同じくして逆河と為り、海に入る。嶓冢より瀁を道き、東流して漢と為り、又東して蒼浪の水と為り、三澨を過ぎ、大別に入り、南して江に入り、東して匯りて沢となり彭蠡と為り、東して北江と為り、海に入る。汶山より江を道き、東して別れて沱と為り、又東して醴に至り、九江を過ぎ、東陵に至り、東して迆れて北して匯に会し、東して中江と為り、海に入る。沇水を道き、東して済と為り、河に入り、泆れて滎と為り、東して陶丘の北に出で、又東して荷に至り、又東北して汶に会し、又東北して海に入る。淮を桐柏より道き、東して泗・沂に会し、東して海に入る。渭を鳥鼠同穴より道き、東して灃に会し、又東北して涇に至り、東して漆沮を過ぎ、河に入る。雒を熊耳より道き、東北して澗・瀍に会し、又東して伊に会し、東北して河に入る。是に於て九州攸同じく、四奥既に居り、九山は栞りて旅し、九川は原を滌ひ、九沢は既に陂し、四海会同す。六府甚だ脩まり、衆土交正し、財賦を致慎し、咸三壌に則り、賦を中国に成す。土・姓を賜ふ。「台が徳を祗みて先んじ、朕が行ひに距はず」と。天子の国以外五百里をして甸服とせしむ。百里は賦として緫を納め、二百里は銍を納め、三百里は秸服を納め、四百里は粟、五百里は米。甸服の外五百里は侯服。百里は采、二百里は任国、三百里は諸侯。侯服の外五百里は綏服。三百里は文教を揆り、二百里は武衛を奮ふ。綏服の外五百里は要服。三百里は夷、二百里は蔡。要服の外五百里は荒服。三百里は蛮、二百里は流。東は海に漸り、西は流沙に被り、朔・南も暨ぶ。声教四海に訖る。
-
『淮南子』墜形訓墬形の載する所、六合の間、四極の内、之を照らすに日月を以てし、之を經するに星辰を以てし、之を紀するに四時を以てし、之を要するに太歲を以てす。天地の間、九州八極、土に九山有り、山に九塞有り、澤に九藪有り、風に八等有り、水に六品有り。何をか九州と謂う。東南の神州を農土と曰い、正南の次州を沃土と曰い、西南の戎州を滔土と曰い、正西の弇州を並土と曰い、正中の冀州を中土と曰い、西北の台州を肥土と曰い、正北の泲州を成土と曰い、東北の薄州を隱土と曰い、正東の陽州を申土と曰う。
-
『淮南子』時則訓中央の極、昆侖より東のかた兩恆山を絕ち、日月の道する所、江・漢の出づる所、眾民の野、五穀の宜しき所、龍門・河・濟相い貫き、息壤を以て洪水を堙ぐの州、東のかた碣石に至る、黃帝・后土の司る所の者、萬二千里。其の令に曰く、平らかにして阿らず、明らかにして苛ならず、包裹覆露して、囊懷せざる無く、溥氾にして私無く、正靜以て和し、稃鬻を行い、老衰を養い、死を弔い疾を問い、以て萬物の歸するを送る、と。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る