淮南子 / 天文訓
季春三月,豐隆乃出,以將其雨。至秋三月,地氣不藏,乃收其殺,百蟲蟄伏,靜居閉戶,青女乃出,以降霜雪。行十二時之氣,以至于仲春二月之夕,乃收其藏而閉其寒,女夷鼓歌,以司天和,以長百穀禽鳥草木。孟夏之月,以熟穀禾,雄鳩長鳴,為帝候歲。是故天不發其陰,則萬物不生;地不發其陽,則萬物不成。天圓地方,道在中央。日為德,月為刑。月歸而萬物死,日至而萬物生。遠山則山氣藏,遠水則水蟲蟄,遠木則木葉槁。日五日不見,失其位也,聖人不與也。
新字:季春三月,豊隆乃出,以将其雨。至秋三月,地気不蔵,乃収其殺,百虫蟄伏,静居閉戸,青女乃出,以降霜雪。行十二時之気,以至于仲春二月之夕,乃収其蔵而閉其寒,女夷鼓歌,以司天和,以長百穀禽鳥草木。孟夏之月,以熟穀禾,雄鳩長鳴,為帝候歳。是故天不発其陰,則万物不生;地不発其陽,則万物不成。天円地方,道在中央。日為徳,月為刑。月帰而万物死,日至而万物生。遠山則山気蔵,遠水則水虫蟄,遠木則木葉槁。日五日不見,失其位也,聖人不与也。
書き下し
季春三月、豐隆乃ち出でて、以て其の雨を將う。秋三月に至り、地氣藏せず、乃ち其の殺を收め、百蟲蟄伏し、靜居して戶を閉ず。青女乃ち出でて、以て霜雪を降す。十二時の氣を行き、以て仲春二月の夕べに至り、乃ち其の藏を收めて其の寒を閉ず。女夷鼓歌して、以て天和を司り、以て百穀禽鳥草木を長ず。孟夏の月、以て穀禾を熟し、雄鳩長く鳴きて、帝の為に歲を候う。是の故に天其の陰を發せざれば、則ち萬物生ぜず。地其の陽を發せざれば、則ち萬物成らず。天圓く地方に、道は中央に在り。日を德と為し、月を刑と為す。月歸りて萬物死し、日至りて萬物生ず。山を遠ざくれば則ち山氣藏し、水を遠ざくれば則ち水蟲蟄し、木を遠ざくれば則ち木葉槁る。日五日見えざれば、其の位を失うなり。聖人は與せず。
現代語訳
春の終わりの三月、雷神の豊隆が出て、その雨を率いる。秋の三月に至って、地の気は閉じこもらず、その殺気を収め、あらゆる虫は冬ごもりし、静かにいて戸を閉じる。霜の女神の青女が出て、霜と雪を降ろす。十二の時の気を巡って、仲春二月の夕べに至り、その蔵を収めてその寒さを閉じる。女夷が鼓を打ち歌って、天の和を司り、あらゆる穀物や鳥や草木を育てる。初夏の月には、穀物を熟させ、雄の鳩が長く鳴いて、帝のためにその年を占う。だから天がその陰を発しなければ、万物は生まれない。地がその陽を発しなければ、万物は成らない。天は円く地は方で、道は中央にある。日を徳とし、月を刑とする。月が帰れば万物は死に、日が至れば万物は生まれる。山から遠ざければ山の気は隠れ、水から遠ざければ水の虫は冬ごもりし、木から遠ざければ木の葉は枯れる。日が五日見えなければ、その位を失っているのである。聖人はそこに与しない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
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論語・憲問篇曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず。
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易経・彖伝帰妹(きまい)は、天地の大義なり。天地交わらざれば、万物興らず。帰妹は、人の終始なり。説(よろこ)びて以て動く、帰(とつ)ぐ所は妹(まい)なり。「征けば凶」とは、位当たらざればなり。「利(よ)ろしき攸(ところ)なし」とは、柔の剛に乗ればなり。
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『淮南子』詮言訓民に道の同じく道く所有り、法の同じく守る所有り。義を爲すの相い固くする能わず、之を威すの相い必とする能わざるが爲なり。故に君を立てて以て民を一にす。君 一を執れば則ち治まり、常無ければ則ち亂る。君道なる者は、爲す所以に非ざるなり、無爲なる所以なり。何をか無爲と謂う。智者は位を以て事と爲さず、勇者は位を以て暴と爲さず、仁者は位を以て患と爲さず。無爲と謂う可し。夫れ無爲なれば、則ち一に得るなり。一なる者は、萬物の本なり、無敵の道なり。
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『淮南子』詮言訓凡そ人の性、少なければ則ち倡狂、壯なれば則ち暴強、老いては則ち利を好む。一人の身、既に數ば變ずるなり。又た況んや君 數ば法を易え、國 數ば君を易うるをや。人 其の位を以て其の好憎を通ずれば、下の徑衢、勝げて理む可からず。故に君 一を失えば則ち亂るること、君無きの時よりも甚だし。故に『詩』に曰く、「愆たず忘れず、率ね舊章に由る」と。此れ之を謂うなり。君 智を好めば則ち時に倍きて己に任じ、數を棄てて慮を用う。天下の物 博くして智 淺し。淺きを以て博きを澹すは、未だ能くする者有らざるなり。獨り其の智に任ずれば、失うこと必ず多からん。故に智を好むは、窮術なり。勇を好めば、則ち敵を輕んじて備えを簡にし、自ら負みて助を辭す。一人の力を以て強敵を禦がんとし、眾多に杖らずして專ら身才を用うるは、必ず堪えざるなり。故に勇を好むは、危術なり。與うるを好めば、則ち定分無し。上の分 定まらざれば、則ち下の望 止む無し。若し賦斂を多くして府庫を實たさば、則ち民と仇と爲る。少なく取り多く與うるは、數の未だ之れ有らざるなり。故に與うるを好むは、怨を來たすの道なり。仁智勇力は、人の美才なり。而れども以て天下を治むるに足る莫し。此に由りて之を觀れば、賢能の任ずるに足らずして、道術の修む可きこと明らかなり。
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『淮南子』天文訓天地以て設けられ、分かれて陰陽と爲る。陽は陰に生じ、陰は陽に生ず。陰陽相い錯わりて、四維乃ち通じ、或いは死し或いは生じ、萬物乃ち成る。蚑行喙息、人より貴きは莫し。孔竅肢體、皆な天に通ず。天に九重有り、人にも亦た九竅有り。天に四時有り、以て十二月を制す。人にも亦た四肢有り、以て十二節を使う。天に十二月有り、以て三百六十日を制す。人にも亦た十二肢有り、以て三百六十節を使う。故に事を舉げて天に順わざる者は、其の生を逆らう者なり。日冬至を以て來歲の正月朔日を數え、五十日なる者は、民の食足る。五十日に滿たざれば、日に一斗を減じ、餘る日有れば、日に一升を益す。其の歲司有るなり。