淮南子 / 俶真訓
百圍之木,斬而為犧尊,鏤之以剞𠜾,雜之以青黃,華藻鎛鮮,龍蛇虎豹,曲成文章,然其斷在溝中,壹比犧尊、溝中之斷,則醜美有間矣,然而失木性,鈞也。是故神越者其言華,德蕩者其行偽。至精亡於中,而言行觀於外,此不免以身役物矣。夫趨舍行偽者,為精求于外也,精有湫盡,而行無窮極,則滑心濁神,而惑亂其本矣。其所守者不定,而外淫於世俗之風,所斷差跌者,而內以濁其清明,是故躊躇以終,而不得須臾恬澹矣。
新字:百囲之木,斬而為犠尊,鏤之以剞𠜾,雑之以青黄,華藻鎛鮮,竜蛇虎豹,曲成文章,然其断在溝中,壱比犠尊、溝中之断,則醜美有間矣,然而失木性,鈞也。是故神越者其言華,徳蕩者其行偽。至精亡於中,而言行観於外,此不免以身役物矣。夫趨舎行偽者,為精求于外也,精有湫尽,而行無窮極,則滑心濁神,而惑乱其本矣。其所守者不定,而外淫於世俗之風,所断差跌者,而内以濁其清明,是故躊躇以終,而不得須臾恬澹矣。
書き下し
百圍の木、斬りて犧尊と為し、之を鏤むに剞𠜾を以てし、之を雜うるに青黃を以てし、華藻鎛鮮、龍蛇虎豹、曲がりて文章を成す。然れども其の斷は溝中に在り。壹に犧尊と溝中の斷とを比ぶれば、則ち醜美間有り。然れども木の性を失うは、鈞しきなり。是の故に神越ゆる者は其の言華やかに、德蕩う者は其の行い偽なり。至精中に亡くして、言行外に觀わる。此れ身を以て物に役せらるるを免れず。夫れ趨舍行偽なる者は、精を外に求むるが為なり。精に湫盡有りて、行に窮極無ければ、則ち心を滑し神を濁して、其の本を惑亂す。其の守る所の者定まらずして、外は世俗の風に淫し、斷ずる所差跌する者にして、内は以て其の清明を濁す。是の故に躊躇して以て終わり、須臾も恬澹なるを得ず。
現代語訳
ひと抱えもある木を、斬って祭器の犠尊とし、鑿で彫り、青や黄で彩り、華やかな文様に金具を光らせ、龍や蛇や虎や豹が曲線をなして模様を成す。しかしその切れ端は溝の中にある。犠尊と溝の中の切れ端を比べれば、美醜の隔たりがある。それでも木の性を失っている点では同じである。だから神が外へ越え出た者はその言葉が華やかになり、徳が揺れている者はその行いが偽りになる。この上ない精が内に無くて、言葉と行いだけが外に現れる。これでは身が物に使われることを免れない。進退や行いが偽りになるのは、精を外に求めるからである。精には尽きるところがあり、行いには窮まりがない。すると心を乱し神を濁して、その根本を取り違える。守るものが定まらず、外は世俗の風に溺れ、判断は食い違い、内はその清らかさを濁す。だから迷ったまま終わり、わずかの間も安らかでいられない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
易経・繋辞上子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。
-
説苑・說叢君子の言は寡くして實あり、小人の言は多くして虛あり。君子の學や、耳に入り、心に藏し、之を行うに身を以てす。君子の治や、見るに足らざるに始まり、及ぶべからざるに終わる。君子は福を慮ること及ばず、禍を慮ること之を百にす。君子は人を擇びて取り、人を擇ばずして與う。君子は實なること虛の如く、有ること無きが如し。
-
孫子・行軍篇辞卑くして備えを益す者は、進むなり。辞強くして進駆する者は、退くなり。軽車先ず出でて其の側に居る者は、陣するなり。約無くして和を請う者は、謀るなり。
-
言志四録・南洲手抄信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
-
説苑・權謀下蔡の威公門を閉ぢて哭す。三日三夜、泣盡きて繼ぐに血を以てす。旁鄰牆を窺ひて之を問ふ。曰く、「子何の故ありて哭し、悲しむこと此くの若きや」と。對へて曰く、「吾が國且に亡びんとす」と。曰く、「何を以て之を知るや」と。之に應へて曰く、「吾聞く、病の將に死せんとするや、良醫爲すべからず。國の將に亡びんとするや、計謀爲すべからずと。吾數〻吾が君を諫むるも、吾が君用ゐず。是を以て國の將に亡びんとするを知るなり」と。是に於て牆を窺ふ者其の言を聞き、則ち宗を舉げて之を楚に去る。居ること數年、楚王果して兵を舉げて蔡を伐つ。牆を窺ふ者司馬と爲り、兵を將ゐて往來し、虜甚だ衆し。問ひて曰く、「昆弟故人有ること無きか」と。威公の縛せられて虜中に在るを見て、問ひて曰く、「若何を以て此に至れる」と。應へて曰く、「吾何を以て此に至らざらんや。且つ吾之を聞く、言ふ者は行ふ者の役なり、行ふ者は言ふ者の主なり。汝能く吾が言を行はば、汝主爲り、我役爲り。吾亦た何を以て此に至らざらんや」と。牆を窺ふ者乃ち之を楚王に言ひ、遂に其の縛を解き、與に俱に楚に之く。故に曰く、「能く言ふ者は未だ必ずしも能く行はず、能く行ふ者は未だ必ずしも能く言はず」と。
-
『南洲翁遺訓』第五条或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否。不為児孫買美田。」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したりとて見限られよと申されける。