淮南子 / 俶真訓
今夫萬物之疏躍枝舉,百事之莖葉條蘖,皆本於一根,而條循千萬也。若此則有所受之矣,而非所授者。所受者無授也而無不受也。無不受也者,譬若周雲之蘢蓯,遼巢彭濞而為雨,沈溺萬物而不與為溼焉。今夫善射者有儀表之度,如工匠有規矩之數,此皆所得以至於妙。然而奚仲不能為逢蒙,造父不能為伯樂者,是曰諭於一曲,而不通于萬方之際也。今以涅染緇則黑於涅,以藍染青則青於藍。涅非緇也,青非藍也,茲雖遇其母而無能復化已。是何則?以諭其轉而益薄也。何況夫未始有涅藍造化之者乎,其為化也,雖鏤金石,書竹帛,何足以舉其數!由此觀之,物莫不生於有也,小大優游矣。
新字:今夫万物之疏躍枝舉,百事之茎葉条蘖,皆本於一根,而条循千万也。若此則有所受之矣,而非所授者。所受者無授也而無不受也。無不受也者,譬若周雲之蘢蓯,遼巣彭濞而為雨,沈溺万物而不与為溼焉。今夫善射者有儀表之度,如工匠有規矩之数,此皆所得以至於妙。然而奚仲不能為逢蒙,造父不能為伯楽者,是曰諭於一曲,而不通于万方之際也。今以涅染緇則黒於涅,以藍染青則青於藍。涅非緇也,青非藍也,茲雖遇其母而無能復化已。是何則?以諭其転而益薄也。何況夫未始有涅藍造化之者乎,其為化也,雖鏤金石,書竹帛,何足以舉其数!由此観之,物莫不生於有也,小大優游矣。
書き下し
今夫れ萬物の疏躍枝舉、百事の莖葉條蘖、皆な一根に本づきて、條は千萬に循るなり。此の若くんば則ち受くる所有り、而して授くる所の者に非ず。受くる所の者は授くる無くして受けざる無きなり。受けざる無き者は、譬えば周雲の蘢蓯たる、遼巢彭濞として雨と為り、萬物を沈溺して與に溼を為さざるが若し。今夫れ善く射る者に儀表の度有り、工匠に規矩の數有るが如きは、此れ皆な得て以て妙に至る所なり。然り而して奚仲は逢蒙と為る能わず、造父は伯樂と為る能わざる者は、是れ一曲に諭りて、萬方の際に通ぜざるを曰うなり。今涅を以て緇に染むれば則ち涅よりも黑く、藍を以て青に染むれば則ち藍よりも青し。涅は緇に非ざるなり、青は藍に非ざるなり。茲れ其の母に遇うと雖も復た化する能わざるのみ。是れ何ぞや。其の轉じて益ミ薄きを諭うを以てなり。何ぞ況んや夫の未だ始めより涅藍造化する者有らざるをや。其の化を為すや、金石に鏤み、竹帛に書すと雖も、何ぞ以て其の數を舉ぐるに足らん。此に由りて之を觀れば、物は有より生ぜざる莫きなり、小大優游せり。
現代語訳
いま万物が枝分かれして立ち上がり、百事が茎や葉や枝に伸びるのは、みな一つの根に基づいて、枝が千に万に巡っているのである。そうであれば受け取る側であって、授ける側ではない。受け取る側のものは、授けることがなくて受け取らないことがない。受け取らないことがないというのは、たとえば空一面の雲が広がり、押し寄せて雨となり、万物をびしょ濡れにしながら、自分は湿らないようなものである。いま弓のうまい者に的の寸法があり、工匠にコンパスと定規の数があるのは、みなそれによって妙に至るものである。それでいて奚仲が逢蒙になれず、造父が伯楽になれないのは、一つの曲がりに通じていて、あらゆる方角の際に通じていないからである。いま涅で黒く染めれば涅より黒く、藍で青く染めれば藍より青い。涅は黒染めそのものではなく、青は藍そのものではない。これはその母に出会っても、もう元には戻れないということである。これはなぜか。移るほどいよいよ薄くなることをたとえているからである。まして、そもそも涅や藍で染めるということ自体がまだ無かったものについてはなおさらだ。その化のありようは、金石に刻み、竹帛に書いたところで、どうして数え上げられよう。ここから見れば、物は有から生まれないものはなく、大小はゆったりと収まっている。
解説
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