淮南子 / 俶真訓
夫天之所覆,地之所載,六合所包,陰陽所呴,雨露所濡,道德所扶,此皆生一父母而閱一和也。是故槐榆與橘柚合而為兄弟,有苗與三危通為一家。夫目視鴻鵠之飛,耳聽琴瑟之聲,而心在雁門之間,一身之中,神之分離剖判,六合之內,一舉而千萬里。是故自其異者視之,肝膽胡、越;自其同者視之,萬物一圈也。百家異說,各有所出,若夫墨、楊、申、商之於治道,猶蓋之無一橑,而輪之無一輻,有之可以備數,無之未有害於用也。己自以為獨擅之,不通之于天地之情也。今夫治工之鑄器,金踊躍于鑪中,必有波溢而播棄者,其中地而凝滯,亦有以象於物者矣。其形雖有所小用哉,然未可以保於周室之九鼎也,又況比於規形者乎?其與道相去亦遠矣!
新字:夫天之所覆,地之所載,六合所包,陰陽所呴,雨露所濡,道徳所扶,此皆生一父母而閱一和也。是故槐榆与橘柚合而為兄弟,有苗与三危通為一家。夫目視鴻鵠之飛,耳聴琴瑟之声,而心在雁門之間,一身之中,神之分離剖判,六合之内,一舉而千万里。是故自其異者視之,肝胆胡、越;自其同者視之,万物一圏也。百家異説,各有所出,若夫墨、楊、申、商之於治道,猶蓋之無一橑,而輪之無一輻,有之可以備数,無之未有害於用也。己自以為独擅之,不通之于天地之情也。今夫治工之鋳器,金踊躍于鑪中,必有波溢而播棄者,其中地而凝滞,亦有以象於物者矣。其形雖有所小用哉,然未可以保於周室之九鼎也,又況比於規形者乎?其与道相去亦遠矣!
書き下し
夫れ天の覆う所、地の載する所、六合の包む所、陰陽の呴する所、雨露の濡す所、道德の扶くる所、此れ皆な一父母に生じて一和を閱するなり。是の故に槐榆と橘柚と合して兄弟と為り、有苗と三危と通じて一家と為る。夫れ目は鴻鵠の飛ぶを視、耳は琴瑟の聲を聽き、而して心は雁門の間に在り。一身の中、神の分離剖判すること、六合の内、一舉にして千萬里なり。是の故に其の異なる者よりして之を視れば、肝膽も胡・越なり。其の同じき者よりして之を視れば、萬物一圈なり。百家の異説、各ミ出づる所有り。夫の墨・楊・申・商の治道に於けるが若きは、猶お蓋の一橑無く、輪の一輻無きがごとし。之有れば以て數を備う可く、之無きも未だ用に害有らざるなり。己自ら以て獨り之を擅にすと為すは、之を天地の情に通ぜざるなり。今夫れ治工の器を鑄るや、金鑪中に踊躍し、必ず波溢して播棄せらるる者有り。其の地に中りて凝滯するも、亦た以て物に象る者有り。其の形小しく用うる所有りと雖も、然れども以て周室の九鼎に保んず可からず。又た況んや規形に比する者をや。其の道と相い去ること亦た遠し。
現代語訳
そもそも天が覆うところ、地が載せるところ、天地四方が包むところ、陰陽が息を吹きかけるところ、雨露が潤すところ、道徳が支えるところ。これらはみな同じ父母から生まれて同じ和を通っている。だから槐や楡と橘や柚が合わさって兄弟となり、有苗と三危が通じて一家となる。目は鴻や鵠の飛ぶのを見、耳は琴や瑟の音を聞き、それでいて心は雁門のあたりにある。一つの身の中でも、神の分かれ方は、天地四方の内をひと跳びで千里万里である。だから異なるところから見れば、肝と胆でさえ胡と越ほど離れている。同じところから見れば、万物は一つの囲いである。諸家の異なる説には、それぞれ出どころがある。墨家・楊朱・申不害・商鞅が治める道について言うのは、傘に骨が一本ないようなもの、車輪に輻が一本ないようなものだ。あれば数はそろうが、なくても用に差し支えはない。自分だけがそれを独占していると思うのは、天地の実情に通じていないのである。いま鋳物師が器を鋳るとき、金は炉の中で躍り、必ず波のようにあふれて捨てられるものが出る。それが地面に当たって固まったものにも、何かの形に似ているものがある。その形が少しは使えるとしても、周室の九鼎の代わりにはできない。まして正しい型で作ったものと比べればなおさらだ。道からの隔たりもまた遠い。
解説
この章句が説くこと
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