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淮南子 / 俶真訓

夫目察秋豪之末,耳不聞雷霆之聲;耳調玉石之聲,目不見太山之高。何則?小有所志而大有所忘也。今萬物之來,擢拔吾性,攓取吾情,有若泉源,雖欲勿稟,其可得邪!今夫樹木者,灌以瀿水,疇以肥壤,一人養之,十人拔之,則必無餘蘖,又況與一國同伐之哉?雖欲久生,豈可得乎!今盆水在庭,清之終日,未能見眉睫;濁之不過一撓,而不能察方員。人神易濁而難清,猶盆水之類也,況一世而撓滑之,曷得須臾平乎!

新字:夫目察秋豪之末,耳不聞雷霆之声;耳調玉石之声,目不見太山之高。何則?小有所志而大有所忘也。今万物之来,擢抜吾性,攓取吾情,有若泉源,雖欲勿稟,其可得邪!今夫樹木者,灌以瀿水,疇以肥壤,一人養之,十人抜之,則必無余蘖,又況与一国同伐之哉?雖欲久生,豈可得乎!今盆水在庭,清之終日,未能見眉睫;濁之不過一撓,而不能察方員。人神易濁而難清,猶盆水之類也,況一世而撓滑之,曷得須臾平乎!

書き下し

夫れ目秋豪の末を察すれば、耳雷霆の聲を聞かず。耳玉石の聲を調うれば、目太山の高きを見ず。何となれば則ち、小に志す所有りて大に忘るる所有ればなり。今萬物の來たりて、吾が性を擢拔し、吾が情を攓取すること、泉源有るが若し。稟くる勿からんと欲すと雖も、其れ得可けんや。今夫れ樹を木うる者、灌ぐに瀿水を以てし、疇するに肥壤を以てするも、一人之を養い、十人之を拔けば、則ち必ず餘蘖無し。又た況んや一國と同じく之を伐つをや。久しく生きんと欲すと雖も、豈に得可けんや。今盆水庭に在り、之を清ますこと日を終うるも、未だ眉睫を見る能わず。之を濁すは一撓に過ぎずして、方員を察する能わず。人の神は濁り易くして清み難きこと、猶お盆水の類のごときなり。況んや一世にして之を撓滑するをや。曷ぞ須臾も平らかなるを得んや。

現代語訳

そもそも目が秋の獣毛の先を見分けているときは、耳は雷の音を聞かない。耳が玉や石の音を調えているときは、目は泰山の高さを見ない。なぜか。小さなものに向かえば大きなものを忘れるからである。いま万物がやって来て、私の本性を引き抜き、私の情を奪い取ることは、泉が湧くようである。受け取るまいとしても、できるだろうか。いま木を植える者が、たっぷりと水を注ぎ、肥えた土で畝を作っても、一人が育てて十人が引き抜けば、切り株ひとつ残らない。まして国じゅうで一緒に伐るならなおさらだ。長く生きたいと願っても、できるだろうか。いま盆の水が庭にある。一日じゅう澄ませても、まだ眉やまつげは映らない。濁らせるのはひとかき回すだけで、四角も丸も見分けられなくなる。人の神が濁りやすく澄みにくいのは、盆の水と同じたぐいである。まして世じゅうがこれをかき回すならなおさらだ。どうしてわずかの間でも平らかでいられよう。

解説

澄ませるのと濁すのとで、かかる手間が違いすぎることを盆の水で示した段です。「之を清ますこと日を終うるも、未だ眉睫を見る能わず。之を濁すは一撓に過ぎず」。一日かけても足りないものが、一回のかき混ぜで消える。同じ非対称が木の話にもありました。一人が育てて十人が抜けば、切り株も残らない。冒頭の注意の配分と合わせて、内側は常に外から削られている、という前提で書かれています。

この章句が説くこと

目秋豪の末を察すれば耳雷霆の声を聞かず小に志す所有りて大に忘るる所有ればなり一人之を養い十人之を抜けば則ち必ず余蘖無し之を清ますこと日を終うるも未だ眉睫を見る能わず之を濁すは一撓に過ぎず非対称集中

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