淮南子 / 俶真訓
夫魚相忘於江湖,人相忘於道術。古之真人,立於天地之本,中至優游,抱德煬和,而萬物雜累焉,孰肯解構人間之事,以物煩其性命乎!夫道有經紀條貫,得一之道,連千枝萬葉。是故貴有以行令,賤有以忘卑,貧有以樂業,困有以處危。夫大寒至,霜雪降,然後知松柏之茂也。據難履危,利害陳于前,然後知聖人之不失道也。是故能戴大員者履大方,鏡太清者視大明,立太平者處大堂,能游冥冥者與日月同光。是故以道為竿,以德為綸,禮樂為鉤,仁義為餌,投之於江,浮之於海,萬物紛紛,孰非其有!
新字:夫魚相忘於江湖,人相忘於道術。古之真人,立於天地之本,中至優游,抱徳煬和,而万物雑累焉,孰肯解構人間之事,以物煩其性命乎!夫道有経紀条貫,得一之道,連千枝万葉。是故貴有以行令,賤有以忘卑,貧有以楽業,困有以処危。夫大寒至,霜雪降,然後知松柏之茂也。拠難履危,利害陳于前,然後知聖人之不失道也。是故能戴大員者履大方,鏡太清者視大明,立太平者処大堂,能游冥冥者与日月同光。是故以道為竿,以徳為綸,礼楽為鉤,仁義為餌,投之於江,浮之於海,万物紛紛,孰非其有!
書き下し
夫れ魚は江湖に相い忘れ、人は道術に相い忘る。古の真人は、天地の本に立ち、中は至って優游、德を抱き和を煬め、而して萬物焉に雜累す。孰か肯えて人間の事を解構し、物を以て其の性命を煩わさんや。夫れ道に經紀條貫有り、一を得るの道、千枝萬葉に連なる。是の故に貴きは以て令を行う有り、賤しきは以て卑きを忘るる有り、貧しきは以て業を樂しむ有り、困しきは以て危きに處る有り。夫れ大寒至り、霜雪降りて、然る後に松柏の茂れるを知るなり。難に據り危きを履み、利害前に陳なりて、然る後に聖人の道を失わざるを知る。是の故に能く大員を戴く者は大方を履み、太清を鏡とする者は大明を視、太平を立つる者は大堂に處り、能く冥冥に游ぶ者は日月と光を同じくす。是の故に道を以て竿と為し、德を以て綸と為し、禮樂を鉤と為し、仁義を餌と為し、之を江に投じ、之を海に浮かべば、萬物紛紛として、孰か其の有に非ざらん。
現代語訳
そもそも魚は川や湖のなかで互いを忘れ、人は道術のなかで互いを忘れる。昔の真人は、天地の根本に立ち、内はきわめてゆったりとして、徳を抱き和を温め、万物がそこに入り混じって重なる。誰が好きこのんで人間の事を組み立て直し、物によってその性命を煩わせようか。そもそも道には筋と貫きがあり、一を得る道は、千の枝と万の葉に連なる。だから貴い者には命令を行うすべがあり、賤しい者には卑しさを忘れるすべがあり、貧しい者には生業を楽しむすべがあり、苦しい者には危うさに身を置くすべがある。大寒が至り、霜と雪が降って、はじめて松と柏が茂っていると分かる。難儀に立ち危うきを踏み、利害が目の前に並んで、はじめて聖人が道を失わないと分かる。だから大きな円を戴く者は大きな方を踏み、太清を鏡とする者は大いなる明るさを見、太平を立てる者は大きな堂にいて、奥深さに遊べる者は日月と光を同じくする。だから道を竿とし、徳を釣り糸とし、礼楽を鉤とし、仁義を餌として、これを川に投げ、海に浮かべれば、万物は入り乱れて、どれがその持ち物でないことがあろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。

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