淮南子 / 俶真訓
古之人有處混冥之中,神氣不蕩于外,萬物恬漠以愉靜,攙搶衡杓之氣莫不彌靡,而不能為害。當此之時,萬民猖狂,不知東西,含哺而游,鼓腹而熙,交被天和,食于地德,不以曲故是非相尤,茫茫沈沈,是謂大治。於是在上位者,左右而使之,毋淫其性;鎮撫而有之,毋遷其德。是故仁義不布而萬物蕃殖,賞罰不施而天下賓服。其道可以大美興,而難以算計舉也。是故日計之不足,而歲計之有餘。
新字:古之人有処混冥之中,神気不蕩于外,万物恬漠以愉静,攙搶衡杓之気莫不弥靡,而不能為害。当此之時,万民猖狂,不知東西,含哺而游,鼓腹而熙,交被天和,食于地徳,不以曲故是非相尤,茫茫沈沈,是謂大治。於是在上位者,左右而使之,毋淫其性;鎮撫而有之,毋遷其徳。是故仁義不布而万物蕃殖,賞罰不施而天下賓服。其道可以大美興,而難以算計舉也。是故日計之不足,而歳計之有余。
書き下し
古の人に混冥の中に處る者有り。神氣外に蕩わず、萬物恬漠として以て愉靜なり。攙搶衡杓の氣、彌靡せざる莫くして、害を為す能わず。此の時に當たりて、萬民猖狂として、東西を知らず、哺を含みて游び、腹を鼓ちて熙しみ、交ミ天和を被り、地德に食み、曲故是非を以て相い尤めず、茫茫沈沈たり。是を大治と謂う。是に於いて上位に在る者は、左右して之を使い、其の性を淫らす毋く、鎮撫して之を有ちて、其の德を遷す毋し。是の故に仁義布かずして萬物蕃殖し、賞罰施さずして天下賓服す。其の道は以て大美を興す可くして、算計を以て舉げ難きなり。是の故に日に之を計れば足らずして、歳に之を計れば餘り有り。
現代語訳
昔の人に、混沌のなかにいる者があった。神気は外に流れず、万物は静かで穏やかであった。凶星の気も散り消えて、害をなせなかった。このとき、民は思うままにふるまい、東西も知らず、口に食べ物を含んで遊び、腹を叩いて楽しみ、互いに天の和を被り、地の徳を食べ、細かい理屈や是非で互いをとがめず、ぼんやりと深く落ち着いていた。これを大いなる治まりという。そこで上の位にいる者は、あちらこちらへ人を使いながら、その本性を乱さず、鎮め安んじて保ちながら、その徳を移さなかった。だから仁義を敷かなくても万物は増え、賞罰を行わなくても天下は従った。その道は大きな美を興すことはできるが、勘定で数え上げるのは難しい。だから日で数えれば足りず、年で数えれば余りがある。
解説
この章句が説くこと
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