淮南子 / 俶真訓
有始者,有未始有有始者,有未始有夫未始有有始者。有有者,有無者,有未始有有無者,有未始有夫未始有有無者。所謂有始者,繁憤未發,萌兆牙櫱,未有形埒垠堮,無無蝡蝡,將欲生興而未成物類。有未始有有始者,天氣始下,地氣始上,陰陽錯合,相與優游競暢于宇宙之間,被德含和,繽紛蘢蓯,欲與物接而未成兆朕。有未始有夫未始有有始者,天含和而未降,地懷氣而未揚,虛無寂寞,蕭條霄雿,無有仿佛,氣遂而大通冥冥者也。有有者,言萬物摻落,根莖枝葉,青蔥苓蘢,萑蔰炫煌,蠉飛蝡動,蚑行噲息,可切循把握而有數量。有無者,視之不見其形,聽之不聞其聲,捫之不可得也,望之不可極也,儲與扈冶,浩浩瀚瀚,不可隱儀揆度而通光耀者。有未始有有無者,包裹天地,陶冶萬物,大通混冥,深閎廣大,不可為外,析豪剖芒,不可為內,無環堵之宇而生有無之根。有未始有夫未始有有無者,天地未剖,陰陽未判,四時未分,萬物未生,汪然平靜,寂然清澄,莫見其形,若光燿之間於無有,退而自失也,曰:「予能有無,而未能無無也。及其為無無,至妙何從及此哉!」
新字:有始者,有未始有有始者,有未始有夫未始有有始者。有有者,有無者,有未始有有無者,有未始有夫未始有有無者。所謂有始者,繁憤未発,萌兆牙櫱,未有形埒垠堮,無無蝡蝡,将欲生興而未成物類。有未始有有始者,天気始下,地気始上,陰陽錯合,相与優游競暢于宇宙之間,被徳含和,繽紛蘢蓯,欲与物接而未成兆朕。有未始有夫未始有有始者,天含和而未降,地懐気而未揚,虚無寂寞,蕭条霄雿,無有仿仏,気遂而大通冥冥者也。有有者,言万物摻落,根茎枝葉,青蔥苓蘢,萑蔰炫煌,蠉飛蝡動,蚑行噲息,可切循把握而有数量。有無者,視之不見其形,聴之不聞其声,捫之不可得也,望之不可極也,儲与扈冶,浩浩瀚瀚,不可隠儀揆度而通光耀者。有未始有有無者,包裹天地,陶冶万物,大通混冥,深閎広大,不可為外,析豪剖芒,不可為内,無環堵之宇而生有無之根。有未始有夫未始有有無者,天地未剖,陰陽未判,四時未分,万物未生,汪然平静,寂然清澄,莫見其形,若光燿之間於無有,退而自失也,曰:「予能有無,而未能無無也。及其為無無,至妙何従及此哉!」
書き下し
始め有る者有り、未だ始めより始め有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより始め有らざる者有り。有る者有り、無き者有り、未だ始めより有無有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより有無有らざる者有り。所謂始め有る者とは、繁憤未だ發せず、萌兆牙櫱、未だ形埒垠堮有らず、無無蝡蝡として、將に生興せんと欲して未だ物類を成さざるなり。未だ始めより始め有らざる者有りとは、天氣始めて下り、地氣始めて上り、陰陽錯合し、相い與に宇宙の間に優游競暢し、德を被り和を含み、繽紛蘢蓯として、物と接せんと欲して未だ兆朕を成さざるなり。未だ始めより夫の未だ始めより始め有らざる者有りとは、天は和を含みて未だ降さず、地は氣を懷きて未だ揚げず、虛無寂寞、蕭條霄雿として、仿佛たる有る無く、氣遂びて大いに冥冥に通ずる者なり。有る者有りとは、萬物摻落し、根莖枝葉、青蔥苓蘢、萑蔰炫煌、蠉飛蝡動、蚑行噲息、切循把握す可くして數量有るを言う。無き者有りとは、之を視れども其の形を見ず、之を聽けども其の聲を聞かず、之を捫すれども得可からざるなり、之を望めども極む可からざるなり。儲與扈冶、浩浩瀚瀚として、隱儀揆度す可からずして光耀に通ずる者なり。未だ始めより有無有らざる者有りとは、天地を包裹し、萬物を陶冶し、大いに混冥に通じ、深閎廣大にして、外と為す可からず、豪を析き芒を剖ちて、内と為す可からず、環堵の宇無くして有無の根を生ずるなり。未だ始めより夫の未だ始めより有無有らざる者有りとは、天地未だ剖かれず、陰陽未だ判たれず、四時未だ分かたれず、萬物未だ生ぜず、汪然として平靜、寂然として清澄、其の形を見る莫し。光燿の無有に間いて、退きて自ら失うが若し。曰く、予能く無を有せども、未だ無を無くする能わざるなり。其の無を無くするを為すに及びては、至妙何ぞ此に及ぶに從わんや、と。
現代語訳
始まりがある。まだ始まりが無い段階がある。その始まりが無いという段階すらまだ無い段階がある。有るものがあり、無いものがあり、まだ有無が無い段階があり、その有無が無いという段階すらまだ無い段階がある。始まりがあるというのは、こみ上げるものがまだ発せず、芽が兆し、まだ形も境目もなく、うごめきながら、生まれ出ようとしてまだ物の種類をなしていない状態である。まだ始まりが無いというのは、天の気が下り始め、地の気が上り始め、陰陽が入り混じり、ともに宇宙のあいだをのびやかに広がり、徳を被り和を含み、入り乱れて、物と接しようとしてまだ兆しをなしていない状態である。その始まりが無いことすらまだ無いというのは、天は和を含んでまだ下ろさず、地は気を抱いてまだ揚げず、うつろで静かにひっそりと広がり、おぼろなものすらなく、気が伸びて大きく奥深さに通じている状態である。有るものがあるというのは、万物が枝分かれし、根や茎や枝や葉が青々と茂り、光り輝き、飛び回りうごめき、這い歩き息をし、触れて掴めて数えられることを言う。無いものがあるというのは、見ようとしても形が見えず、聞こうとしても声が聞こえず、触れても掴めず、望んでも極められない。広々と果てしなく、はかりようがないのに光に通じているものである。まだ有無が無いというのは、天地を包み、万物を作り上げ、大きく混沌に通じ、深く広くて、外を設けられず、獣毛を裂き芒を割いても、内を設けられず、壁ひとまわりの宇もないのに有と無の根を生む状態である。その有無が無いことすらまだ無いというのは、天地がまだ割れず、陰陽がまだ分かれず、四季がまだ分かたれず、万物がまだ生まれず、広々と平らかに静かで、ひっそりと澄み、その形が見えない。光が無いところに差し込んで、退いて自ら失うようである。こう言った。「私は無を持つことはできるが、まだ無を無くすことはできない。無を無くすところまで行くとなれば、この上ない妙にどうして及べようか」。
解説
この章句が説くこと
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論語・雍也篇冉求曰く、「子の道を説ばざるに非ず、力足らざるなり。」子曰く、「力足らざる者は、中道にして廃す。今女は画れり。」
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『墨子』尚同下天子、其の知力を以て未だ獨り天下を治むるに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて三公と為す。三公も又た其の知力を以て未だ獨り天子を左右するに足らずと為す。是を以て國を分かちて諸侯を建つ。諸侯も又た其の知力を以て未だ獨り其の四境の内を治むるに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて卿の宰と為す。卿の宰も又た其の知力を以て未だ獨り其の君を左右するに足らずと為す。是を以て其の次を選擇し、立てて鄉長家君と為す。是の故に古者、天子の三公・諸侯・卿の宰・鄉長家君を立つるは、特に富貴游佚にして之を擇ぶに非ざるなり。將に亂を治め刑政するを助けしめんとするなり。故に古者、國を建て都を設け、乃ち后王君公を立て、奉ずるに卿士師長を以てするは、此れ説を用いんと欲するに非ず。唯だ辯じて天民を治むるを助けしむるなり。
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