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淮南子 / 原道訓

出生入死,自無蹠有,自有蹠無,而以衰賤矣。是故清靜者,德之至也;而柔弱者,道之要也;虛無恬愉者,萬物之用也。肅然應感,殷然反本,則淪於無形矣。所謂無形者,一之謂也。所謂一者,無匹合於天下者也。卓然獨立,塊然獨處,上通九天,下貫九野,員不中規,方不中矩,大渾而為一葉,累而無根,懷囊天地,為道關門,穆忞隱閔,純德獨存,布施而不既,用之而不勤。是故視之不見其形,聽之不聞其聲,循之不得其身,無形而有形生焉,無聲而五音鳴焉,無味而五味形焉,無色而五色成焉。是故有生於無,實出於虛,天下為之圈,則名實同居。音之數不過五,而五音之變不可勝聽也。味之和不過五,而五味之化不可勝嘗也。色之數不過五,而五色之變不可勝觀也。故音者,宮立而五音形矣;味者,甘立而五味亭矣;色者,白立而五色成矣;道者,一立而萬物生矣。是故一之理,施四海;一之解,際天地。其全也,純兮若樸;其散也,混兮若濁。濁而徐清,沖而徐盈,澹兮其若深淵,汎兮其若浮雲,若無而有,若亡而存。萬物之總,皆閱一孔;百事之根,皆出一門。其動無形,變化若神;其行無跡,常後而先。是故至人之治也,掩其聰明,滅其文章,依道廢智,與民同出於公。約其所守,寡其所求,去其誘慕,除其嗜欲,損其思慮。約其所守則察,寡其所求則得。夫任耳目以聽視者,勞形而不明;以知慮為治者,苦心而無功。是故聖人一度循軌,不變其宜,不易其常,放準修繩,曲因其當。

新字:出生入死,自無蹠有,自有蹠無,而以衰賤矣。是故清静者,徳之至也;而柔弱者,道之要也;虚無恬愉者,万物之用也。粛然応感,殷然反本,則淪於無形矣。所謂無形者,一之謂也。所謂一者,無匹合於天下者也。卓然独立,塊然独処,上通九天,下貫九野,員不中規,方不中矩,大渾而為一葉,累而無根,懐囊天地,為道関門,穆忞隠閔,純徳独存,布施而不既,用之而不勤。是故視之不見其形,聴之不聞其声,循之不得其身,無形而有形生焉,無声而五音鳴焉,無味而五味形焉,無色而五色成焉。是故有生於無,実出於虚,天下為之圏,則名実同居。音之数不過五,而五音之変不可勝聴也。味之和不過五,而五味之化不可勝嘗也。色之数不過五,而五色之変不可勝観也。故音者,宮立而五音形矣;味者,甘立而五味亭矣;色者,白立而五色成矣;道者,一立而万物生矣。是故一之理,施四海;一之解,際天地。其全也,純兮若樸;其散也,混兮若濁。濁而徐清,沖而徐盈,澹兮其若深淵,汎兮其若浮雲,若無而有,若亡而存。万物之総,皆閱一孔;百事之根,皆出一門。其動無形,変化若神;其行無跡,常後而先。是故至人之治也,掩其聰明,滅其文章,依道廃智,与民同出於公。約其所守,寡其所求,去其誘慕,除其嗜欲,損其思慮。約其所守則察,寡其所求則得。夫任耳目以聴視者,労形而不明;以知慮為治者,苦心而無功。是故聖人一度循軌,不変其宜,不易其常,放準修縄,曲因其当。

書き下し

生に出でて死に入り、無より有に蹠み、有より無に蹠みて、以て衰賤す。是の故に清靜なる者は、德の至りなり。柔弱なる者は、道の要なり。虛無恬愉なる者は、萬物の用なり。肅然として感に應じ、殷然として本に反れば、則ち無形に淪む。所謂無形なる者は、一の謂いなり。所謂一なる者は、天下に匹合する無き者なり。卓然として獨り立ち、塊然として獨り處り、上は九天に通じ、下は九野を貫き、員なるも規に中らず、方なるも矩に中らず、大渾として一葉と為り、累なりて根無く、天地を懷囊し、道の關門と為り、穆忞隱閔、純德獨り存し、布施して既きず、之を用いて勤きず。是の故に之を視れども其の形を見ず、之を聽けども其の聲を聞かず、之に循えども其の身を得ず。無形にして有形生じ、無聲にして五音鳴り、無味にして五味形れ、無色にして五色成る。是の故に有は無より生じ、實は虛より出づ。天下之が圈と為れば、則ち名實居を同じくす。音の數は五に過ぎざるも、五音の變は勝げて聽く可からざるなり。味の和は五に過ぎざるも、五味の化は勝げて嘗む可からざるなり。色の數は五に過ぎざるも、五色の變は勝げて觀る可からざるなり。故に音は、宮立ちて五音形る。味は、甘立ちて五味亭る。色は、白立ちて五色成る。道は、一立ちて萬物生ず。是の故に一の理は、四海に施き、一の解は、天地に際る。其の全きや、純として樸の若く、其の散ずるや、混として濁の若し。濁りて徐ろに清み、沖にして徐ろに盈ち、澹として其れ深淵の若く、汎として其れ浮雲の若く、無きが若くして有り、亡ぶが若くして存す。萬物の總は、皆な一孔を閱し、百事の根は、皆な一門より出づ。其の動くや形無く、變化すること神の若く、其の行くや跡無く、常に後れて先んず。是の故に至人の治むるや、其の聰明を掩い、其の文章を滅し、道に依り智を廢し、民と出づるを公に同じくす。其の守る所を約にし、其の求むる所を寡なくし、其の誘慕を去り、其の嗜欲を除き、其の思慮を損ず。其の守る所を約にすれば則ち察かに、其の求むる所を寡なくすれば則ち得。夫れ耳目に任じて以て聽視する者は、形を勞して明らかならず。知慮を以て治を為す者は、心を苦しめて功無し。是の故に聖人は一度軌に循い、其の宜しきを變ぜず、其の常を易えず、準に放い繩を修め、曲がりて其の當に因る。

現代語訳

生に出て死に入り、無から有へ踏み込み、有から無へ踏み込んで、衰え賤しくなる。だから清らかで静かなことは、徳の極みである。柔らかく弱いことは、道の要である。うつろで安らかなことは、万物の用である。しずかに感に応じ、深く根本に返れば、形のないところに沈む。形がないというのは、一のことである。一というのは、天下に並ぶものがないということである。ひときわ独りで立ち、かたまりのように独りでいて、上は九天に通じ、下は九野を貫き、丸くてもコンパスに合わず、四角でも定規に合わず、大きく混じり合って一枚の葉となり、積み重なって根がなく、天地を袋に包み、道の関門となり、静かで奥深く、純粋な徳だけが残り、施しても尽きず、用いても衰えない。だから見ようとしてもその形は見えず、聞こうとしてもその声は聞こえず、たどってもその身は捉えられない。形がないところから形あるものが生まれ、音がないところから五音が鳴り、味がないところから五味が現れ、色がないところから五色が成る。だから有は無から生まれ、実は虚から出る。天下がその囲いとなれば、名と実は同じところに住む。音の数は五を超えないが、五音の変化は聞き尽くせない。味の調和は五を超えないが、五味の変化は味わい尽くせない。色の数は五を超えないが、五色の変化は見尽くせない。だから音は、宮が立って五音が形をとる。味は、甘が立って五味が定まる。色は、白が立って五色が成る。道は、一が立って万物が生まれる。だから一の理は四海に行き渡り、一の解は天地に届く。全きときは、純粋で木地のようであり、散じたときは、混じって濁りのようである。濁ってゆっくり澄み、うつろでゆっくり満ち、静かで深い淵のようであり、漂って浮雲のようであり、無いようでいて有り、滅んだようでいて存る。万物のすべては同じ一つの穴を通り、百事の根はみな同じ一つの門から出る。その動きに形はなく、変化は神のようで、その歩みに跡はなく、いつも後れていながら先んじる。だから至人の治め方は、その聡明さを覆い、その飾りを消し、道に依って知を捨て、民と同じところから公に出る。守るところを少なくし、求めるところを減らし、心を誘うものを去り、欲を除き、思い煩いを減らす。守るところを少なくすれば見通しが利き、求めるところを減らせば得られる。耳目に任せて聞き見る者は、身を疲れさせて明らかにならない。知恵と思案で治めようとする者は、心を苦しめて功がない。だから聖人は一つの尺度で筋道に従い、その適切さを変えず、その常を改めず、水準器に倣い墨縄を修め、曲がってはその当たるところに従う。

解説

一とは何かを、五音・五味・五色の三つ並べで説明した段です。「音の數は五に過ぎざるも、五音の變は勝げて聽く可からざるなり」。要素は五つしかないのに、組み合わせは尽きない。そこから基準の話に移ります。「宮立ちて五音形る」「白立ちて五色成る」。基準が一つ決まってはじめて残りが決まる、と。政治への当てはめも具体的でした。守るものを減らし、求めるものを減らす。「其の守る所を約にすれば則ち察かに」。持ち物が少ないほうがよく見える、という言い方です。

この章句が説くこと

所謂一なる者は天下に匹合する無き者なり有は無より生じ実は虚より出づ音の数は五に過ぎざるも五音の変は勝げて聴く可からざるなり道は一立ちて万物生ず基準

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