淮南子 / 原道訓
萬物有所生,而獨知守其根;百事有所出,而獨知守其門。故窮無窮,極無極,照物而不眩,響應而不乏,此之謂天解。故得道者志弱而事強,心虛而應當。所謂志弱而事強者,柔毳安靜,藏於不敢,行於不能,恬然無慮,動不失時,與萬物回周旋轉,不為先唱,感而應之。是故貴者必以賤為號,而高者必以下為基。託小以包大,在中以制外,行柔而剛,用弱而強,轉化推移,得一之道,而以少正多。所謂其事強者,遭變應卒,排患扞難,力無不勝,敵無不凌,應化揆時,莫能害之。是故欲剛者必以柔守之,欲強者必以弱保之。積於柔則剛,積於弱則強,觀其所積,以知禍福之鄉。強勝不若己者,至於若己者而同;柔勝出於己者,其力不可量。故兵強則滅,木強則折,革固則裂,齒堅於舌而先之敝。是故柔弱者,生之榦也;而堅強者,死之徒也。先唱者,窮之路也;後動者,達之原也。何以知其然也?凡人中壽七十歲,然而趨舍指湊,日以月悔也,以至於死,故蘧伯玉年五十而有四十九年非。何者?先者難為知,而後者易為攻也。先者上高,則後者攀之;先者踰下,則後者蹶之;先者隤陷,則後者以謀;先者敗績,則後者違之。由此觀之,先者,則後者之弓矢質的也。猶錞之與刃,刃犯難而錞無患者,何也?以其託於後位也。此俗世庸民之所公見也,而賢知者弗能避也。所謂後者,非謂其底滯而不發,凝結而不流,貴其周於數而合於時也。
新字:万物有所生,而独知守其根;百事有所出,而独知守其門。故窮無窮,極無極,照物而不眩,響応而不乏,此之謂天解。故得道者志弱而事強,心虚而応当。所謂志弱而事強者,柔毳安静,蔵於不敢,行於不能,恬然無慮,動不失時,与万物回周旋転,不為先唱,感而応之。是故貴者必以賤為号,而高者必以下為基。託小以包大,在中以制外,行柔而剛,用弱而強,転化推移,得一之道,而以少正多。所謂其事強者,遭変応卒,排患扞難,力無不勝,敵無不凌,応化揆時,莫能害之。是故欲剛者必以柔守之,欲強者必以弱保之。積於柔則剛,積於弱則強,観其所積,以知禍福之鄉。強勝不若己者,至於若己者而同;柔勝出於己者,其力不可量。故兵強則滅,木強則折,革固則裂,齒堅於舌而先之敝。是故柔弱者,生之榦也;而堅強者,死之徒也。先唱者,窮之路也;後動者,達之原也。何以知其然也?凡人中寿七十歳,然而趨舎指湊,日以月悔也,以至於死,故蘧伯玉年五十而有四十九年非。何者?先者難為知,而後者易為攻也。先者上高,則後者攀之;先者踰下,則後者蹶之;先者隤陥,則後者以謀;先者敗績,則後者違之。由此観之,先者,則後者之弓矢質的也。猶錞之与刃,刃犯難而錞無患者,何也?以其託於後位也。此俗世庸民之所公見也,而賢知者弗能避也。所謂後者,非謂其底滞而不発,凝結而不流,貴其周於数而合於時也。
書き下し
萬物に生ずる所有るも、獨り其の根を守るを知り、百事に出づる所有るも、獨り其の門を守るを知る。故に無窮を窮め、無極を極め、物を照らして眩まず、響き應じて乏しからず。此れを之れ天解と謂う。故に道を得たる者は志弱くして事強く、心虛しくして應ずること當たる。所謂志弱くして事強しとは、柔毳安靜、敢えてせざるに藏れ、能わざるに行い、恬然として慮る無く、動きて時を失わず、萬物と回周旋轉し、先唱を為さず、感じて之に應ずるなり。是の故に貴き者は必ず賤を以て號と為し、高き者は必ず下を以て基と為す。小に託して以て大を包み、中に在りて以て外を制し、柔を行いて剛く、弱を用いて強く、轉化推移して、一の道を得て、以て少なきを以て多きを正す。所謂其の事強しとは、變に遭い卒に應じ、患を排し難を扞ぎ、力勝たざる無く、敵凌がざる無く、化に應じ時を揆りて、能く之を害する莫きなり。是の故に剛からんと欲する者は必ず柔を以て之を守り、強からんと欲する者は必ず弱を以て之を保つ。柔に積めば則ち剛く、弱に積めば則ち強し。其の積む所を觀て、以て禍福の鄉を知る。強は己に若かざる者に勝ち、己に若く者に至りて同じ。柔は己に出づる者に勝ち、其の力量る可からず。故に兵強ければ則ち滅び、木強ければ則ち折れ、革固ければ則ち裂け、齒は舌より堅くして先に敝る。是の故に柔弱なる者は、生の榦なり。而して堅強なる者は、死の徒なり。先唱する者は、窮の路なり。後動する者は、達の原なり。何を以て其の然るを知るや。凡そ人の中壽は七十歲なり。然れども趨舍指湊、日に以て月に悔い、以て死に至る。故に蘧伯玉年五十にして四十九年の非有り。何となれば、先んずる者は知を為し難く、後るる者は攻を為し易ければなり。先んずる者上高ければ、則ち後るる者之を攀じ、先んずる者下に踰ゆれば、則ち後るる者之を蹶き、先んずる者隤陷すれば、則ち後るる者以て謀り、先んずる者敗績すれば、則ち後るる者之を違く。此に由りて之を觀れば、先んずる者は、則ち後るる者の弓矢の質的なり。猶お錞の刃に與けるがごとし。刃は難を犯して錞は患い無き者は、何ぞや。其の後位に託するを以てなり。此れ俗世庸民の公に見る所にして、賢知者すら避くる能わざるなり。所謂後るる者は、其の底滯して發せず、凝結して流れざるを謂うに非ず。其の數に周くして時に合するを貴ぶなり。
現代語訳
万物には生まれるもとがあるが、ただその根を守ることだけを知り、百事には出てくるもとがあるが、ただその門を守ることだけを知る。だから窮まりのないものを窮め、極まりのないものを極め、物を照らしてまばゆがらず、響きに応じて尽きない。これを天解という。だから道を得た者は志が弱くて事が強く、心がうつろで応じ方が的確である。志が弱くて事が強いとは、柔らかく静かで、あえてしないところに隠れ、できないところで行い、安らかで思い煩わず、動いて時を逃さず、万物とともに巡り回り、先に唱えず、感じて応じることである。だから貴い者は必ず賤しいという呼び名を用い、高い者は必ず下を土台とする。小に託して大を包み、中にいて外を制し、柔を行って剛く、弱を用いて強く、移り変わって、一なる道を得て、少ないもので多いものを正す。事が強いとは、変事に遭って急に応じ、患いを退け難を防ぎ、力は勝てないことがなく、敵は凌げないことがなく、変化に応じ時を測って、これを害せる者がないことである。だから剛くありたい者は必ず柔でこれを守り、強くありたい者は必ず弱でこれを保つ。柔を積めば剛くなり、弱を積めば強くなる。何を積んでいるかを見れば、禍福の行き先が分かる。強さは自分に及ばない者には勝つが、自分と同じ者に当たれば互角になる。柔らかさは自分を超える者にも勝ち、その力は測れない。だから兵は強ければ滅び、木は強ければ折れ、革は固ければ裂け、歯は舌より堅いのに先に欠ける。だから柔らかく弱いものは、生の幹である。堅く強いものは、死の仲間である。先に唱える者は、行き詰まる道である。後から動く者は、通る道の源である。どうしてそうと分かるのか。人の並の寿命は七十歳である。それでも進退や選択を、日ごと月ごとに悔いながら、死に至る。だから蘧伯玉は五十歳になって四十九年ぶんの誤りがあった。なぜなら、先に行く者は知るのが難しく、後から行く者は攻めるのが易しいからである。先の者が高く登れば後の者はそれを頼りによじ登り、先の者が下に越えれば後の者はそこを踏み、先の者が落ち込めば後の者はそれで謀り、先の者が敗れれば後の者はそこを避ける。ここから見れば、先に行く者は、後から行く者にとっての的である。ちょうど石突と刃のようなものだ。刃が危険を冒して石突に患いがないのはなぜか。後ろの位置に身を置いているからである。これは世間の並の人でも目にしていることなのに、賢く知恵のある者でさえ避けられない。ただし後れるというのは、滞って動かず、固まって流れないことを言うのではない。筋にゆきわたって時に合うことを貴ぶのである。
解説
この章句が説くこと
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うひ山ぶみ・第十八段そはまつかのしなじなある学びのすぢすぢ、いづれもいづれも、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず、学ばまほしきわざなれども、