武士道 / 第一章 武士道の倫理系・国家は戦争に生まれる
而して日本武士道の淵源は單に二三にして止まらず。*ラスキンは狼藉好和の人なり。然るに又た奮鬪的生涯の崇拜者とし、熱火の精神を以て、戰爭を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『子が戰爭を以て、凡百の藝術の基礎なりと云ふものは、又た。戰爭が、人間界凡ての道德、及び技藝の根本なり」との意をも含めり予にして此理を發見するに至りたるは、自から亦た怪訝し、畏怖すと雖、奈何せん、予は之を以て否定すべからざる事實なりと認知するを……要するに予は、凡ての强大なる國家が、戰爭によりて、言語の眞理、思想の勢力を覺知せる事、又た國家は戰爭によりて培はれ平和によりて荒され、戰爭によりて教へられ平和によりて欺かれ、戰爭によりて鍛はれ、平和によりて毀たるゝ事、一言以て之を蔽へば、『國家は戰爭に生まれ、平和に死するものなるを知れり」と
新字:而して日本武士道の淵源は単に二三にして止まらず。*ラスキンは狼藉好和の人なり。然るに又た奮鬪的生涯の崇拝者とし、熱火の精神を以て、戦争を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『子が戦争を以て、凡百の芸術の基礎なりと云ふものは、又た。戦争が、人間界凡ての道徳、及び技芸の根本なり」との意をも含めり予にして此理を発見するに至りたるは、自から亦た怪訝し、畏怖すと雖、奈何せん、予は之を以て否定すべからざる事実なりと認知するを……要するに予は、凡ての强大なる国家が、戦争によりて、言語の真理、思想の勢力を覚知せる事、又た国家は戦争によりて培はれ平和によりて荒され、戦争によりて教へられ平和によりて欺かれ、戦争によりて鍛はれ、平和によりて毀たるゝ事、一言以て之を蔽へば、『国家は戦争に生まれ、平和に死するものなるを知れり」と
書き下し
而して日本武士道の淵源は、単に二三にして止まらず。ラスキンは狼藉を嫌ひ和を好む人なり。然るに又た奮闘的生涯の崇拝者として、熱火の精神を以て、戦争を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『予が戦争を以て、凡百の芸術の基礎なりと云ふものは、又た「戦争が、人間界凡ての道徳、及び技芸の根本なり」との意をも含めり。予にして此理を発見するに至りたるは、自からまた怪訝し、畏怖すと雖、いかんせん、予は之を以て否定すべからざる事実なりと認知するを……要するに予は、凡ての強大なる国家が、戦争によりて、言語の真理、思想の勢力を覚知せる事、又た国家は戦争によりて培はれ、平和によりて荒され、戦争によりて教へられ、平和によりて欺かれ、戦争によりて鍛はれ、平和によりて毀たるる事、一言以て之を蔽へば、「国家は戦争に生まれ、平和に死するものなるを知れり」』と。
現代語訳
さて日本武士道の源は、二つ三つで止まるものではありません。ラスキンは乱暴を嫌い和を好む人でした。ところが同時に奮闘的な生涯の崇拝者でもあり、熱い精神で戦争を是認しました。その著書『オリーブの冠』の中にこう述べています。私が戦争をあらゆる芸術の基礎だと言うのは、戦争が人間界のすべての道徳と技芸の根本である、という意味も含んでいます。自分がこの理に気づいたことを、自分でも不思議に思い恐れますが、どうしようもない、私はこれを否定できない事実だと認めるのです。要するに私は、すべての強大な国家が戦争によって言語の真理と思想の力を知ったこと、また国家は戦争によって培われ平和によって荒れ、戦争によって教えられ平和によって欺かれ、戦争によって鍛えられ平和によって壊れることを、一言でいえば、国家は戦争に生まれ平和に死ぬものだと知った、と。
解説
この章句が説くこと
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