武士道 / 第七章 至誠信實・商業道徳は国家の体面上最醜の汚辱
外人の著書報告中、日本人の商業道德に關して不平を訴ふるもの尠からず。商業道德に怠慢なることは、實に我國家の體面上最醜の汚辱なり。されど之を話罵し。又た卒爾として我が國民全般を非難するに先だち、試みに頭腦を冷靜にして其然る所以を考究せんか、或は未來の好望を以て慰藉報酬せらるゝことなしとせず。人の職とする所のもの、其類一にして足らずと雖も、就中、武人と商賈との二者の如く、多大に隔絕せるは無かるべし。商賈は四民の最下級に位するものなりき。武士は土地より俸祿を收め、農耕の業は、或は自から以て娛樂とすることありたりと雖、牙籌數盤に至りては、之を厭棄して顧みることなかりき。然れども此の社會的配置は寧ろ智なりと稱すべきものあり。
新字:外人の著書報告中、日本人の商業道徳に関して不平を訴ふるもの尠からず。商業道徳に怠慢なることは、実に我国家の体面上最醜の汚辱なり。されど之を話罵し。又た卒爾として我が国民全般を非難するに先だち、試みに頭脳を冷静にして其然る所以を考究せんか、或は未来の好望を以て慰藉報酬せらるゝことなしとせず。人の職とする所のもの、其類一にして足らずと雖も、就中、武人と商賈との二者の如く、多大に隔絶せるは無かるべし。商賈は四民の最下級に位するものなりき。武士は土地より俸禄を収め、農耕の業は、或は自から以て娛楽とすることありたりと雖、牙籌数盤に至りては、之を厭棄して顧みることなかりき。然れども此の社会的配置は寧ろ智なりと称すべきものあり。
書き下し
外人の著書報告中、日本人の商業道徳に関して不平を訴ふるもの尠からず。商業道徳に怠慢なることは、実に我国家の体面上、最醜の汚辱なり。されど之を詰罵し、又た卒爾として我が国民全般を非難するに先だち、試みに頭脳を冷静にして其然る所以を考究せんか、或は未来の好望を以て慰藉報酬せらるることなしとせず。人の職とする所のもの、其類一にして足らずと雖も、就中、武人と商賈との二者の如く、多大に隔絶せるは無かるべし。商賈は四民の最下級に位するものなりき。武士は土地より俸禄を収め、農耕の業は、或は自から以て娯楽とすることありたりと雖、牙籌算盤に至りては、之を厭棄して顧みることなかりき。然れども此の社会的配置は、寧ろ智なりと称すべきものあり。
現代語訳
外国人の著書や報告の中に、日本人の商業道徳について不平を訴えるものが少なくありません。商業道徳に怠慢であることは、実にわが国家の体面上、最も醜い汚辱です。しかしこれを罵り、また軽々しくわが国民全体を非難する前に、試みに頭を冷静にしてその理由を考えてみれば、あるいは未来への望みによって慰められることがあるかもしれません。人が職とするものは一種類ではありませんが、とりわけ武人と商人の二つほど大きく隔たったものはないでしょう。商人は士農工商の最下級に位置していました。武士は土地から俸禄を得て、農耕の仕事はときに自ら楽しみとすることもありましたが、そろばんに至っては嫌って顧みることがありませんでした。しかしこの社会的な配置には、むしろ知恵と呼ぶべきものがあります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『茶の本』第三章 道教と禅道・聖人はよく世とともに推移す道教でいう絶対は相対であることは、すでに述べたところであるが、倫理学においては道教徒は社会の法律道徳を罵倒した。というのは、彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったから。定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に成長停止を表わす言葉に過ぎない。屈原いわく「聖人はよく世とともに推移す」。われらの道徳的規範は社会の過去の必要から生まれたものであるが、社会は依然として旧態にとどまるべきものであろうか。社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。教育はその大迷想を続けんがために一種の無知を奨励する。人は真に徳行ある人たることを教えられずして、行儀正しくせよと教えられる。
-
『正法眼蔵随聞記』巻二いまだ聞かず三国の例、財宝にとみ、愚人の帰敬をもつて道徳とすべきことを、道心者と云ふは昔しより三国みな貧にして、身をくるしくし、一切を省約して、慈あり道あるをまことに行者と云ふなり、徳のあらはるゝと云も、財宝にゆたかに、供養にほこるを云にあらす、徳の顕はるゝに三重あるべし、先つは其の人其の道を修するなりと知らるゝなり、次には其の道を慕ふ者いで来る、後には其の道をおなじく学し同じく行ずる、是を道徳のあらはるゝと云ふなり、
-
『武士道』第一章 武士道の倫理系・国家は戦争に生まれる而して日本武士道の淵源は、単に二三にして止まらず。ラスキンは狼藉を嫌ひ和を好む人なり。然るに又た奮闘的生涯の崇拝者として、熱火の精神を以て、戦争を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『予が戦争を以て、凡百の芸術の基礎なりと云ふものは、又た「戦争が、人間界凡ての道徳、及び技芸の根本なり」との意をも含めり。予にして此理を発見するに至りたるは、自からまた怪訝し、畏怖すと雖、いかんせん、予は之を以て否定すべからざる事実なりと認知するを……要するに予は、凡ての強大なる国家が、戦争によりて、言語の真理、思想の勢力を覚知せる事、又た国家は戦争によりて培はれ、平和によりて荒され、戦争によりて教へられ、平和によりて欺かれ、戦争によりて鍛はれ、平和によりて毀たるる事、一言以て之を蔽へば、「国家は戦争に生まれ、平和に死するものなるを知れり」』と。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「廣土衆民は、君子之を欲するも、樂しむ所は存せず。天下に中して立ち、四海の民を定むるは、君子之を樂しむも、性とする所は存せず。君子の性とする所は、大いに行わると雖も加わらず、窮居すと雖も損せず。分定まるが故なり。君子の性とする所は、仁義禮智、心に根ざし、其の色に生ず。睟然として面に見われ、背に盎れ、四體に施き、四體言わずして喻る。」
-
論語・為政篇子曰く、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る。
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「人の禽獸に異なる所以の者は、幾ど希なり。庶民は之を去り、君子は之を存す。舜は庶物を明らかにし、人倫を察す。仁義に由りて行う、仁義を行うに非ざるなり。」