呂氏春秋 / 長攻②
越國大饑,王恐,召范蠡而謀。范蠡曰:“王何患焉?今之饑,此越之福而吳之禍也。夫吳國甚富而財有餘,其王年少,智寡材輕,好須臾之名,不思後患。王若重幣卑辭以請糴於吳,則食可得也。食得,其卒越必有吳,而王何患焉?”越王曰:“善。”乃使人請食於吳,吳王將與之。伍子胥進諫曰:“不可與也。夫吳之與越,接土鄰境,道易人通,仇讎敵戰之國也,非吳喪越,越必喪吳。若燕、秦、齊、晉,山處陸居,豈能踰五湖九江、越十七阨以有吳哉?故曰非吳喪越,越必喪吳。今將輸之粟,與之食,是長吾讎而養吾仇也。財匱而民恐,悔無及也。不若勿與而攻之,固其數也,此昔吾先王之所以霸。”且夫饑,代事也,猶淵之與阪,誰國無有?吳王曰:“不然。吾聞之:‘義兵不攻服,仁者食饑餓。’今服而攻之,非義兵也;饑而不食,非仁體也。不仁不義,雖得十越,吾不為也。”遂與之食。不出三年而吳亦饑,使人請食於越,越王弗與,乃攻之,夫差為禽。
新字:越国大饑,王恐,召范蠡而謀。范蠡曰:“王何患焉?今之饑,此越之福而呉之禍也。夫呉国甚富而財有余,其王年少,智寡材軽,好須臾之名,不思後患。王若重幣卑辞以請糴於呉,則食可得也。食得,其卒越必有呉,而王何患焉?”越王曰:“善。”乃使人請食於呉,呉王将与之。伍子胥進諫曰:“不可与也。夫呉之与越,接土鄰境,道易人通,仇讎敵戦之国也,非呉喪越,越必喪呉。若燕、秦、斉、晋,山処陸居,豈能踰五湖九江、越十七阨以有呉哉?故曰非呉喪越,越必喪呉。今将輸之粟,与之食,是長吾讎而養吾仇也。財匱而民恐,悔無及也。不若勿与而攻之,固其数也,此昔吾先王之所以覇。”且夫饑,代事也,猶淵之与阪,誰国無有?呉王曰:“不然。吾聞之:‘義兵不攻服,仁者食饑餓。’今服而攻之,非義兵也;饑而不食,非仁体也。不仁不義,雖得十越,吾不為也。”遂与之食。不出三年而呉亦饑,使人請食於越,越王弗与,乃攻之,夫差為禽。
書き下し
越國大いに饑う。王恐れ、范蠡を召して謀る。范蠡曰く、「王何ぞ患えん。今の饑えは、此れ越の福にして吳の禍いなり。夫れ吳國は甚だ富みて財餘り有り。其の王年少く、智寡く材輕く、須臾の名を好み、後の患いを思わず。王若し幣を重くし辭を卑くして、以て糴を呉に請わば、則ち食は得可きなり。食得ば、其の卒り越必ず呉を有たん。而らば王何ぞ患えん。」越王曰く、「善し。」乃ち人をして食を呉に請わしむ。呉王將に之を與えんとす。伍子胥進みて諫めて曰く、「與う可からざるなり。夫れ呉と越とは、土を接し境を鄰し、道易く人通じ、仇讎敵戰の國なり。呉、越を喪ぼすに非ずんば、越必ず呉を喪ぼさん。燕・秦・齊・晉の若きは、山處陸居す。豈に能く五湖九江を踰え、十七阨を越えて、以て呉を有せんや。故に曰く、呉、越喪ぼすに非ずんば、越必ず呉を喪ぼさん、と。今將に之に粟を輸し、之に食を與えんとす。是れ吾が讎を長じて吾が仇を養うなり。財匱しくして民恐るれば、悔ゆとも及ぶこと無けん。與うること勿くして之を攻むるに若かず。固より其の數なり。此れ昔吾が先王の霸となりし所以なり。且つ夫れ饑えは、代事なり。猶ほ淵と阪とのごとく、誰の國か有ること無からん。」呉王曰く、「然らず。吾之を聞く、義兵は服するを攻めず、仁者は饑餓を食う、と。今服してこれを攻むるは、義兵に非ざるなり。饑えて食わざるは、仁の體に非ざるなり。不仁不義ならば、十越を得と雖も、吾為さざるなり。」遂に之に食を與う。三年を出でずして呉も亦た饑ゆ。人をして食を越に請わしむ。越王與えず、乃ち之を攻め、夫差禽と為る。
現代語訳
越国が大飢饉になった。王すなわち勾践は恐れて范蠡を呼んで相談した。范蠡は言った。「王よ何を憂えますか。今の飢饉は越の福であり呉の禍です。呉国はたいそう富み財が余っています。その王(夫差)は若く、智恵は乏しく才は軽く、目先の名声を好み後の禍を考えません。王が贈り物を厚くし言葉を低くして呉に米の買い入れを願えば、食糧は得られましょう。得られれば、結局越は必ず呉を手に入れます。何を憂えましょう。」越王は「よし」と言い、人をやって呉に食糧を願った。呉王は与えようとした。伍子胥が進み出て諌めた。「与えてはなりません。呉と越は土地を接し境を隣にし、道は通じやすく人も往来する、仇敵として戦う国です。呉が越を滅ぼさなければ、越が必ず呉を滅ぼします。燕・秦・斉・晋のような国は山や陸に隔てられ、どうして五湖九江を越え十七の険を越えて呉を取れましょう。だから、呉が越を滅ぼさなければ越が必ず呉を滅ぼす、と言うのです。今、粟を送り食糧を与えるのは、我が仇敵を強め養うことです。財が乏しく民が恐れれば、悔いても及びません。与えず攻めるに越したことはなく、それが道理です。これこそ昔わが先王が覇者となった理由です。そもそも飢饉は交互に起こる出来事で、淵と坂のように、どの国にもあるものです。」呉王は言った。「そうではない。義兵は降伏した者を攻めず、仁者は飢えた者に食を与えると聞く。今、降を攻めるのは義兵ではなく、飢えに食を与えないのは仁の心ではない。不仁不義なら、十の越を得ても私はしない。」ついに食糧を与えた。三年たたぬうちに呉も飢饉になり、人をやって越に食糧を願ったが、越王は与えず攻め、夫差は捕らえられた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・權謀越飢ゑ、句踐懼る。四水諫めて曰く、「夫れ飢ゑは、越の福にして、吳の禍なり。夫れ吳國甚だ富みて財餘り有り。其の君名を好みて後患を思はず。若し我卑辭重幣以て糴を吳に請はば、吳必ず我に與へん。我に與ふれば則ち吳取るべきなり」と。越王之に從ふ。吳將に之に與へんとするに、子胥諫めて曰く、「不可なり。夫れ吳越は地を接し境を鄰し、道易く通ず。仇讎敵戰の國なり。吳越有るに非ざれば、越必ず吳有らん。夫れ齊・晉は三江五湖を越えて吳越を亡ぼす能はず。之に因りて之を攻むるに如かず。是れ吾が先王闔廬の霸たる所以なり。且つ夫れ飢ゑは何ぞや。亦た猶ほ淵のごとし。敗伐の事、誰の國か有ること無からん。君若し攻めずして之に糴を輸せば、則ち利去りて凶至り、財匱ゑて民怨まん。悔ゆるも及ぶこと無からん」と。吳王曰く、「吾聞く、義兵は仁人を服せず、饑を以て之を攻めず。十越を得ると雖も、吾爲さざるなり」と。遂に與に糴す。三年、吳も亦た飢ゑ、糴を越に請ふ。越王與へずして之を攻め、遂に吳を破る。
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国語・呉語呉王夫差(ふさ)師を起こして越を伐つ。越王句践(こうせん)師を起こして之を逆(むか)う。大夫種(しょう)乃ち謀を献じて曰く、「夫れ呉の越に与(お)けるは、唯天の授くる所なり。王其れ戦うを庸(もち)うること無かれ。夫れ申胥(しんしょ)・華登(かとう)は呉国の士を甲兵に簡服(かんぷく)して、未だ嘗て挫(くじ)かるる所有らざるなり。夫れ一人射を善くすれば、百夫決拾(けつしゅう)す。勝ちは未だ成(かなら)ずすべからざるなり。夫れ謀は必ず素(あらかじ)め成事を見て、而る後に之を履(ふ)む。以て命を授くべからず。王は戎を設け、辞を約して成を行い、以て其の民を喜ばしめ、以て呉王の心を広侈(こうし)せしむるに如かず。吾以て之を天に卜せん。天若し呉を棄てば、必ず吾が成を許して吾を足れりとせざらん。将に必ず寛然として諸侯に伯たるの心有らんとす。既に其の民を罷弊(ひへい)し、而して天之が食を奪わば、安んじて其の燼(じん)を受けん。乃ち命有ること無からん」と。 越王許諾し、乃ち諸稽郢(しょけいえい)に命じて成を呉に行わしめて曰く、「寡君句践、下臣郢をして、敢えて顕然として幣を布き礼を行わず、敢えて私かに下執事に告げしめて曰く、昔者(むかし)越国禍に見(あ)い、罪を天王に得たり。天王親ら玉趾(ぎょくし)を趨(はし)らせ、以て心に句践を孤(す)てんとし、而して又之を宥赦(ゆうしゃ)す。君王の越に於けるや、繄(こ)れ死人を起こして白骨に肉するなり。孤敢えて天災を忘れず、其れ敢えて君王の大賜を忘れんや。今句践禍を申(かさ)ねて良無く、草鄙(そうひ)の人なり。敢えて天王の大徳を忘れて、辺垂の小怨を思い、以て重ねて罪を下執事に得んや。句践用(もっ)て二三の老を帥い、親ら重罪を委ね、顙(ひたい)を辺に頓(ぬか)ず。 「今君王察せず、盛怒して兵を属(あつ)め、将に越国を残伐せんとす。越国は固より貢献の邑なり。君王鞭箠(べんすい)を以て之を使わずして、軍士を辱めて寇令せしむ。句践盟を請う。一介の嫡女をして箕箒(ききゅう)を執りて以て王宮に晐姓(がいせい)せしめ、一介の嫡男をして槃匜(ばんい)を奉じて以て諸御に随わしめ、春秋の貢献、王府に解(おこた)らざらん。天王豈に辱くも之を裁(さば)かんや。亦諸侯を征するの礼なり。 「夫れ諺に曰く、『狐之を埋めて狐之を搰(ほ)る。是を以て成功無し』と。今天王既に越国を封植して、以て明らかに天下に聞こえしめて、又之を刈亡せば、是れ天王の成労無きなり。四方の諸侯と雖も、則ち何の実を以て呉に事えん。敢えて下臣をして辞を尽くさしむ。唯天王、利を秉(と)りて義を度(はか)れ」と。
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呂氏春秋・知化②呉王夫差將に齊を伐たんとす。子胥曰く、「不可なり。夫れ齊と呉とは、習俗同じからず、言語通ぜず。我、其の地を得るとも處ること能わず、其の民を得るとも使うことを得ず。夫れ呉と越とは、土を接し境を鄰し、壤交わり通屬なり、習俗同じ、言語通ず。我、其の地を得ば、能く之に處り、其の民を得ば、能く之を使う。越の我に於けるも亦た然り。夫れ呉・越の勢いは兩立せず。越の呉に於けるや、譬えば心腹の疾の若きなり。作ること無しと雖も、其の傷は深くして内に在るなり。夫れ齊の呉に於けるや、疥癬の病なり。苦しまざれば其れ已むなり。且つ其れ傷うこと無きなり。今、越を釋てて齊を伐つは、之を譬うれば猶ほ虎を懼れて猏を刺すがごとし。之に勝つと雖も、其の後患央くること無し。」太宰嚭曰く、「不可なり。君王の令、上國に行われざる所以の者は、齊・晉なり。君王若し齊を伐ちて之に勝ち、其の兵を徙して以て晉に臨まば、晉必ず命を聽かん。是れ君王、一舉して兩國を服すなり。君王の令、必ず上國に行われん。」夫差以て然りと為し、子胥の言を聽かずして、太宰嚭の謀を用う。子胥曰く、「天將に呉を亡ぼさんとせば、則ち君王をして戰いて勝たしめん。天將に呉を亡ぼさざらんとせば、則ち君王をして戰いて勝たざらしめん。」夫差聽かず。子胥、兩袪高蹶して、廷を出でて曰く、「嗟乎、呉の朝必ず荊棘を生ぜん。」夫差、師を興し齊を伐ち、艾陵に戰い、大いに齊の師を敗り、反りて子胥を誅す。子胥將に死せんとして曰く、「與、吾安くにか一目を得て、以て越人の呉に入るを視ん。」乃ち自殺す。夫差乃ち其の身を取りて、之を江に流し、其の目を抉りて、之を東門に著き、曰く、「女胡ぞ越人の我に入るを視ん。」居ること數年、越、呉に報い、其の國を殘い、其の世を絕ち、其の社稷を滅ぼし、其の宗廟を夷げ、夫差は身擒と為る。夫差將に死せんとして曰く、「死者如し知る有らば、吾何の面ありて以て子胥を地下に見ん。」乃ち幎を為りて以て面を冒いて死す。夫れ患い未だ至らざれば、則ち告ぐ可からざるなり。患既に至れば、之を知ると雖も及ぶこと無し。故に夫差の子胥に慚づることを知れるは、知ること勿きに若かず。
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国語・呉語呉王夫差既に越の成を許し、乃ち大いに師徒を戒め、将に以て斉を伐たんとす。申胥進み諫めて曰く、「昔天越を以て呉に賜うも、王受けず。夫れ天命は反(かえ)ること有り。今越王句践恐懼して其の謀を改め、其の愆令(けんれい)を舎(す)て、其の征賦を軽くし、民の善しとする所を施し、民の悪む所を去り、身自ら約にし、其の衆庶を裕(ゆた)かにし、其の民殷衆にして、以て甲兵多し。越の呉に在るは、猶お人の腹心の疾有るがごとし。夫れ越王の呉を敗るを忘れざるや、其の心に於いて侙然(ちょくぜん)たり。士を服して以て吾が閒(すき)を伺う。今王越を是れ図らずして、斉・魯を以て憂いと為す。夫れ斉・魯は諸(これ)を疾に譬うれば、疥癬(かいせん)なり。豈に能く江・淮を渉りて我と此の地を争わんや。将に必ず越実に呉の土を有たんとす。 「王其れ盍ぞ亦人に鑑みて、水に鑑みること無からざる。昔楚の霊王君たらず、其の臣箴諫すれども以て入れず。乃ち台を章華の上に築き、闕(うが)ちて石郭を為(つく)り、漢を陂(つつみ)して、以て帝舜に象る。楚国を罷弊して、以て陳・蔡を閒(うかが)う。方城の内を修めず、諸夏を踰えて東国を図り、沮(しょ)・汾(ふん)に三歳にして以て呉・越を服せんとす。其の民饑労の殃(わざわい)に忍びず、三軍王に乾谿(かんけい)に叛く。王親ら独り行き、山林の中に屏営(へいえい)仿偟(ほうこう)し、三日にして乃ち其の涓人(けんじん)疇(ちゅう)を見る。王之を呼びて曰く、『余食らわざること三日なり』と。疇趨りて進み、王其の股を枕として以て地に寝ぬ。王寐(い)ぬるや、疇王を枕するに墣(つちくれ)を以てして之を去る。王覚めて見ること無きなり。乃ち匍匐して将に棘闈(きょくい)に入らんとす。棘闈納れず。乃ち芋尹(うい)申亥(しんがい)氏に入る。王縊(くび)る。申亥王を負いて以て帰り、之を其の室に土埋す。此の志や、豈に遽(にわ)かに諸侯の耳に忘れられんや。 「今王既に鯀・禹の功を変じて、高きを高くし下きを下くし、以て民を姑蘇に罷(つか)らす。天吾が食を奪い、都鄙荐(しき)りに饑う。今王将に天に很(もと)りて斉を伐たんとす。夫れ呉の民離る。体に傾く所有り。譬えば群獣の如く然り。一个(いっか)矢を負えば、将に百群皆奔らんとす。王其れ方(みち)の収むる無からん。越人必ず来たりて我を襲わん。王之を悔ゆと雖も、其れ猶お及ぶこと有らんや」と。 王聴かず。十二年、遂に斉を伐つ。斉人与(とも)に艾陵(がいりょう)に戦い、斉の師敗績し、呉人功有り。
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国語・呉語呉王夫差既に申胥を殺し、歳に稔(みの)らざるに、乃ち師を起こして北征す。闕(うが)ちて深溝を為(つく)り、商・魯の閒に通じ、北は之を沂(き)に属(つら)ね、西は之を済(せい)に属ね、以て晋公午(ご)に黄池(こうち)に会す。 是に於いて越王句践乃ち范蠡(はんれい)・舌庸(ぜつよう)に命じ、師を率いて海に沿い淮を泝(さかのぼ)りて以て呉の路を絶たしむ。王子友を姑熊夷(こゆうい)に敗る。越王句践乃ち中軍を率いて江を泝りて以て呉を襲い、其の郛(ふ)に入り、其の姑蘇を焚き、其の大舟を徙(うつ)す。 呉・晋長を争いて未だ成らず。辺遽(へんきょ)乃ち至り、越の乱を以て告ぐ。呉王懼れ、乃ち大夫を合わせて謀りて曰く、「越不道を為し、其の斉盟に背く。今吾が道路修遠なり。会すること無くして帰ると、会に与(あずか)りて晋を先にすると、孰れか利ならん」と。王孫雒(おうそんらく)曰く、「夫れ危事は歯(よわい)せず。雒敢えて先ず対えん。二者利なる莫し。会すること無くして帰らば、越の聞こえ章(あき)らかならん。民懼れて走り、遠くして正(ゆ)き就く無からん。斉・宋・徐・夷曰わん、『呉既に敗れたり』と。将に溝を夾(はさ)みて我を㢋(う)たんとす。我生命無からん。会して晋を先にせば、晋既に諸侯の柄を執りて以て我に臨み、将に其の志を成して以て天子に見えんとす。吾之を須(ま)つこと能わず、之を去るに忍びず。若し越の聞こえ愈(いよいよ)章らかならば、吾が民叛かんことを恐る。必ず会して之に先んぜよ」と。 王乃ち歩みて王孫雒に就きて曰く、「之に先んずるに、之を図ること将に若何せん」と。王孫雒曰く、「王其れ疑うこと無かれ。吾が道路悠遠なり。必ず二命有ること無くして、焉(すなわ)ち以て事を済すべし」と。王孫雒進み、顧みて諸大夫に揖(ゆう)して曰く、「危事は以て安と為すべからず、死事は以て生と為すべからずんば、則ち智を貴しと為すこと無からん。民の死を悪みて貴富にして以て長く没せんことを欲するや、我と同じ。然りと雖も、彼は其の国に近く、遷(うつ)ること有り。我は慮を絶ち、遷ること無し。彼豈に能く我と此の危事を行わんや。君に事うるの勇謀、此に於いて之を用いよ。今夕必ず挑戦して、以て民心を広くせん。請う王士を励まして、以て其の朋勢を奮わしめよ。之を勧むるに高位重畜を以てし、刑戮を備えて以て其の励まざる者を辱しめ、各々其の死を軽んぜしめよ。彼将に戦わずして我を先にせんとす。我既に諸侯の柄を執らば、歳の穫られざるを以て、誅すること有ること無くして、先ず之を罷めしめば、諸侯必ず説(よろこ)ばん。既にして皆其の地に入らば、王安んじて志を挺(ゆる)め、一日は惕(はや)く、一日は留(おそ)く、以て安んじて王の志を歩ましめよ。必ず設くるに此の民を以て、江・淮の閒に封ぜば、乃ち能く呉に至らん」と。呉王許諾す。
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史記 越王句践世家二歳にして呉、蠡を帰す。句践、会稽より帰りて七年、其の士民を拊循し、用ひて以て呉に報いんと欲す。大夫逢同諫めて曰く、「国新たに流亡し、今乃ち復た殷給す。繕飾して利を備へば、呉必ず懼れん。懼るれば則ち難必ず至らん。且つ鷙鳥の撃つや、必ず其の形を匿す。今夫れ呉は兵を斉・晋に加へ、怨みは楚・越に深く、名は天下に高く、実は周室を害す。徳少なくして功多く、必ず淫して自ら矜らん。越の為に計るに、斉に結び、楚に親しみ、晋に附きて、以て呉を厚くするに若くは莫し。呉の志広ければ、必ず戦ひを軽んぜん。是れ我其の権を連ね、三国之を伐ち、越其の弊に承ずれば、克つべきなり」と。句践曰く、「善し」と。居ること二年、呉王将に斉を伐たんとす。子胥諫めて曰く、「未だ可ならず。臣聞く、句践は食に味を重ねず、百姓と苦楽を同じくすと。此の人死せずんば、必ず国の患と為らん。呉に越有るは、腹心の疾なり。斉の呉に与けるは、疥癬なり。願はくは王、斉を釈きて越を先にせよ」と。呉王聴かず、遂に斉を伐ち、之を艾陵に敗り、斉の高・国を虜にして以て帰る。子胥を譲む。子胥曰く、「王喜ぶ毋かれ」と。王怒り、子胥自殺せんと欲す。王聞きて之を止む。越の大夫種曰く、「臣、呉王の政を観るに驕れり。請ふ試みに之に粟を貸らんことを嘗み、以て其の事を卜せん」と。貸らんことを請ふ。呉王与へんと欲し、子胥与ふる勿かれと諫む。王遂に之に与ふ。越乃ち私かに喜ぶ。子胥言ひて曰く、「王諫めを聴かず、後三年にして呉其れ墟とならんか」と。太宰嚭之を聞き、乃ち数々子胥と越の議を争ひ、因りて子胥を讒して曰く、「伍員は貌は忠なれども実は忍人なり。其の父兄をすら顧みず、安んぞ能く王を顧みんや。王前に斉を伐たんと欲するや、員彊く諫む。已にして功有り、是を用て反りて王を怨む。王、伍員に備へずんば、員必ず乱を為さん」と。逢同と共に謀り、之を王に讒す。王始め従はず。乃ち子胥を斉に使はす。其の子を鮑氏に託するを聞き、王乃ち大いに怒りて曰く、「伍員果たして寡人を欺けり」と。役より反り、人をして子胥に属鏤の剣を賜ひて以て自殺せしむ。

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