史記 / 項羽本紀
項羽乃悉引兵渡河,皆沈船,破釜甑,燒廬舍,持三日糧,以示士卒必死,無一還心。於是至則圍王離,與秦軍遇,九戰,絕其甬道,大破之,殺蘇角,虜王離。涉閒不降楚,自燒殺。當是時,楚兵冠諸侯。諸侯軍救鉅鹿下者十餘壁,莫敢縱兵。及楚擊秦,諸將皆從壁上觀。楚戰士無不一以當十,楚兵呼聲動天,諸侯軍無不人人惴恐。於是已破秦軍,項羽召見諸侯將,入轅門,無不膝行而前,莫敢仰視。
新字:項羽乃悉引兵渡河,皆沈船,破釜甑,焼廬舎,持三日糧,以示士卒必死,無一還心。於是至則囲王離,与秦軍遇,九戦,絶其甬道,大破之,殺蘇角,虜王離。渉閒不降楚,自焼殺。当是時,楚兵冠諸侯。諸侯軍救鉅鹿下者十余壁,莫敢縦兵。及楚撃秦,諸将皆従壁上観。楚戦士無不一以当十,楚兵呼声動天,諸侯軍無不人人惴恐。於是已破秦軍,項羽召見諸侯将,入轅門,無不膝行而前,莫敢仰視。
書き下し
項羽乃ち悉く兵を引きて河を渡り、皆船を沈め、釜甑を破り、廬舍を焼き、三日の糧を持し、以て士卒に必死にして、一も還る心無きを示す。是に於て至れば則ち王離を囲み、秦軍と遇ひ、九たび戦ひ、大いに之を破る。当是時、楚兵諸侯に冠たり。楚の戦士一以て十に当たらざる無く、楚兵の呼声天を動かし、諸侯の軍人人惴恐せざる無し。已に秦軍を破り、項羽諸侯の将を召見するに、轅門に入るに、膝行して前まざる無く、敢へて仰ぎ視る莫し。
現代語訳
項羽は全軍を率いて黄河を渡ると、船をすべて沈め、釜や甑を打ち壊し、宿営の小屋を焼き払い、三日分の食糧だけを持たせた。そうして兵に、必死であって一人も引き返す気がないことを示したのである。こうして到着すると王離を包囲し、秦軍と遭遇して、九度戦い、これを大破した。このとき、楚軍は諸侯の中で群を抜いていた。楚の戦士は誰もが一人で十人に当たり、楚兵の喊声は天を揺るがし、諸侯の軍はみな恐れおののいた。秦軍を破ったのち、項羽が諸侯の将たちを呼んで会見すると、彼らは陣門を入るなり、みな膝で這って前に進み、誰一人あえて顔を上げようとしなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 項羽本紀項王自ら脱するを得ずと度る。其の騎に謂ひて曰く、「吾兵を起こして今に至るまで八歳、身七十餘戦、当たる所の者は破れ、撃つ所の者は服し、未だ嘗て敗北せず、遂に霸として天下を有つ。然れども今卒に此に困しむ、此れ天の我を亡ぼすにして、戦の罪に非ざるなり。今日固より死を決す、願はくは諸君の為に快戦し、必ず三たび之に勝ち、諸君の為に囲みを潰し、将を斬り、旗を刈り、諸君をして天の我を亡ぼすにして、戦の罪に非ざるを知らしめん」と。
-
『長短経』時宜羽曰く「将に力を戮せて秦を攻めんとするに、久しく留まりて行かず。今歳は饑え民は貧しく、士卒は半菽〔士卒は蔬菜を食い、菽を以て之に雑うること半ばなり〕、軍に見糧無し。乃ち飲酒高会して、兵を引きて河を渡り、趙の食に因りて、与に力を并せて秦を撃たず。乃ち曰く『其の弊を承けん』と。夫れ秦の強きを以て、新造の趙を攻めば、其の勢い必ず趙を挙げん。趙挙がりて秦強ければ、何の弊か之れ承けん。且つ国兵新たに破れ、王は席に安んぜず、境内を埽いて将軍に属す。国家の安危は此の一挙に在り。今、士卒を恤えずして私に狥うは、社稷の臣に非ざるなり」と。即ち夜、義の帳中に入りて義を斬る。悉く兵もて河を渡り、舟を沈め釡を破り、士卒に必死にして還る心無きを示し、大いに秦軍を破る。
-
史記 張耳陳余列伝張耳数々人をして前みて陳餘を召さしむ。陳餘自ら兵少なく、秦に敵せずと度り、敢て前まず。数月、張耳大いに怒り、陳餘を怨み、張黶・陳沢をして往きて陳餘を讓めしめて曰く、「始め吾公と刎頸の交はりを為す。今王と耳と旦暮に且に死せんとす。而るに公は兵数万を擁し、肯へて相救はず。安くにか其の相為に死するに在らんや。茍くも必ず信ならば、胡ぞ秦軍に赴きて倶に死せざる。且つ十に一二の相全うする有らん」と。陳餘曰く、「吾度るに、前むとも終に趙を救ふ能はず、徒らに尽く軍を亡はん。且つ餘の倶に死せざる所以は、趙王・張君の為に秦に報ぜんと欲すればなり。今必ず倶に死せば、肉を以て餓虎に委ぬるが如し。何の益かあらん」と。張黶・陳沢曰く、「事已に急なり。要するに倶に死して以て信を立てん。安くんぞ後の慮りを知らん」と。陳餘曰く、「吾死すとも顧って以て益無しと為す。必ず公の言の如くせん」と。乃ち五千人をして張黶・陳沢に令して先づ秦軍を嘗みしむ。至りて皆没す。是の時に当り、燕・斉・楚、趙の急なるを聞き、皆来たり救ふ。張敖も亦北のかた代の兵を収め、万余人を得て、来たる。皆餘の旁に壁し、未だ敢て秦を撃たず。項羽の兵数々章邯の甬道を絶ち、王離の軍食に乏し。項羽悉く兵を引きて河を渡り、遂に章邯を破る。章邯兵を引きて解く。諸侯の軍乃ち敢て鉅鹿を囲む秦軍を撃ち、遂に王離を虜にす。渉間自殺す。卒に鉅鹿を存する者は、楚の力なり。是に於て趙王歇・張耳乃ち鉅鹿を出づるを得て、諸侯に謝す。張耳陳餘と相見え、陳餘を責讓するに趙を救ふを肯ぜざるを以てし、及び張黶・陳沢の所在を問ふ。陳餘怒りて曰く、「張黶・陳沢は必死を以て臣を責む。臣将をして五千人を将ゐて先づ秦軍を嘗みしむ。皆没して出でず」と。張耳信ぜず、以て之を殺せりと為し、数々陳餘に問ふ。陳餘怒りて曰く、「意はざりき、君の臣を望むことの深きや。豈に臣を以て将を去るを重んずと為さんや」と。乃ち印綬を脱解し、推して張耳に予ふ。張耳も亦愕きて受けず。陳餘起ちて廁に如く。客に張耳に説く有りて曰く、「臣聞く『天与ふるに取らずんば、反って其の咎を受く』と。
-
史記 項羽本紀項羽是に由りて始めて諸侯の上将軍と為り、諸侯皆焉に属す。章邯棘原に軍し、項羽漳南に軍し、相持して未だ戦はず。秦の軍数(しばしば)卻(しりぞ)く、二世人をして章邯を譲(せ)めしむ。章邯恐れ、長史欣をして事を請はしむ。咸陽に至り、司馬門に留まること三日、趙高見ず、信ぜざるの心有り。長史欣恐れ、還りて其の軍に走る、敢へて故道に出でず、趙高果たして人をして之を追はしむるも、及ばず。欣軍に至り、報じて曰く、「趙高中に用事す、下に為すべき者無し。今戦ひて能く勝たば、高必ず吾が功を疾妒せん。戦ひて勝つ能はずんば、死を免れず。願はくは将軍孰(つらつら)之を計れ。」と。陳余も亦章邯に書を遺りて曰く、「白起秦の将為り、南のかた鄢郢を征し、北のかた馬服を阬にし、城を攻め地を略すること、勝げて計ふべからず、而るに竟に死を賜はる。蒙恬秦の将為り、北のかた戎人を逐ひ、楡中の地数千里を開くも、竟に陽周に斬らる。何となれば、功多くして、秦尽くは封ずる能はず、因りて法を以て之を誅すればなり。今将軍秦の将為ること三歳、亡失する所十万を以て数ふ、而るに諸侯并び起こること滋(ますます)益々多し。彼の趙高素より諛ふこと日久し、今事急にして、亦二世の之を誅せんことを恐る、故に法を以て将軍を誅して以て責を塞ぎ、人をして更に将軍に代はらしめて以て其の禍を脱せんと欲す。夫れ将軍外に居ること久しく、内に卻(ひま)多し、功有るも亦誅せられ、功無きも亦誅せらる。且つ天の秦を亡ぼすは、愚智と無く皆之を知る。今将軍内に直諫する能はず、外に亡国の将と為る、孤特独立して常に存せんと欲す、豈に哀しからずや。将軍何ぞ兵を還して諸侯と従を為し、約して共に秦を攻め、其の地を分かちて王とし、南面して孤と称せざる。此れ身鈇質(ふしつ)に伏し、妻子僇(りく)と為るに孰与(いづれ)ぞや。」と。章邯狐疑し、陰かに候始成をして項羽に使ひせしめ、約せんと欲す。約未だ成らず、項羽蒲将軍をして日夜兵を引きて三戸を度(わた)らしめ、漳南に軍し、秦と戦ひ、再び之を破る。項羽悉く兵を引きて秦の軍を汙水の上に撃ち、大いに之を破る。
-
史記 項羽本紀乃ち其の騎を分かちて以て四隊と為し、四嚮す。漢の軍之を囲むこと数重。項王其の騎に謂ひて曰く、「吾公の為に彼の一将を取らん。」と。四面の騎をして馳せ下らしめ、山の東に期して三処と為す。是に於て項王大呼して馳せ下る、漢の軍皆披靡し、遂に漢の一将を斬る。是の時、赤泉侯騎将と為り、項王を追ふ、項王目を瞋らして之を叱す、赤泉侯人馬倶に驚き、辟易すること数里。其の騎と会して三処と為る。漢の軍項王の在る所を知らず、乃ち軍を分かちて三と為し、復た之を囲む。項王乃ち馳せ、復た漢の一都尉を斬り、殺すこと数十百人、復た其の騎を聚むるに、其の両騎を亡ふのみ。乃ち其の騎に謂ひて曰く、「何如。」と。騎皆伏して曰く、「大王の言の如し。」と。是に於て項王乃ち東のかた烏江を渡らんと欲す。烏江の亭長船を檥(よそほ)ひて待ち、項王に謂ひて曰く、「江東小なりと雖も、地は方千里、衆は数十万人、亦王たるに足るなり。願はくは大王急ぎ渡れ。今独り臣のみ船有り、漢の軍至るも、以て渡る無し。」と。項王笑ひて曰く、「天の我を亡ぼす、我何ぞ渡ることを為さん。且つ籍江東の子弟八千人と江を渡りて西す、今一人の還る無し、縦ひ江東の父兄憐れみて我を王とすとも、我何の面目ありて之に見えん。縦ひ彼言はずとも、籍独り心に愧ぢざらんや。」と。乃ち亭長に謂ひて曰く、「吾公の長者なるを知る。吾此の馬に騎ること五歳、当たる所敵無し、嘗て一日に行くこと千里、之を殺すに忍びず、以て公に賜ふ。」と。乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持ちて接戦す。独り籍の殺す所の漢の軍数百人。項王の身も亦十余創を被る。顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て、曰く、「若は吾が故人に非ずや。」と。馬童之に面し、王翳に指して曰く、「此れ項王なり。」と。項王乃ち曰く、「吾聞く漢我が頭を千金、邑万戸に購ふと、吾若の為に徳せん。」と。乃ち自刎して死す。王翳其の頭を取り、余騎相蹂践して項王を争ひ、相殺す者数十人。
-
史記 張耳陳余列伝章邯兵を引きて邯鄲に至り、皆其の民を河内に徙し、其の城郭を夷ぐ。張耳、趙王歇と走りて鉅鹿城に入る。王離之を囲む。陳餘北のかた常山の兵を収め、数万人を得て、鉅鹿の北に軍す。章邯鉅鹿の南の棘原に軍し、甬道を筑きて河に属け、王離に餉す。王離の兵食多く、急に鉅鹿を攻む。鉅鹿城中食尽き兵少なし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る