孟子 / 離婁章句下
孟子曰、王者之迹熄而詩亡。詩亡然後春秋作。晉之乘、楚之檮杌、魯之春秋一也。其事則齊桓、晉文。其文則史。孔子曰、其義則丘竊取之矣。
新字:孟子曰、王者之迹熄而詩亡。詩亡然後春秋作。晋之乗、楚之檮杌、魯之春秋一也。其事則斉桓、晋文。其文則史。孔子曰、其義則丘窃取之矣。
書き下し
孟子曰く、「王者の迹熄んで詩亡ぶ。詩亡んで然る後春秋作らる。晉の乘、楚の檮杌(トウ・コツ)、魯の春秋は一なり。其の事は則ち齊桓・晉文。其の文は則ち史。孔子曰く、『其の義は則ち丘竊かに之を取れり。』」 <語釈> ○「王者之迹熄而詩亡」、趙注:王者は聖王なり、太平の道衰え、王迹止熄し、頌聲作らず、故に詩亡ぶ。
現代語訳
孟子は言った。 「周が衰えて、古よりの聖王の恩沢も途絶え、太平の道も衰えてしまった。その為民間の間から王を称える詩も消えてしまった。こうして詩が亡んで世の正しい道理が伝わらなくなったので、これを正そうとして孔子は『春秋』を作った。これは歴史書であって、晉では『乘』と言い、楚では『檮杌』と言い、魯では『春秋』と言ったが、歴史書という点では皆同じである。その『春秋』の内容は、齊の桓公や晉の文公の覇業の事跡を記しており、その文章は史官が記したものを踏襲しているが、それだけではなく、孔子は、『史実の中で、正義のけじめは、私が自らつけさせてもらった。』と述べておられる。」
解説
社会の秩序が乱れ、正しい道理が失われた時、孔子は『春秋』という歴史書を著して、何が正義であり何が悪であるかという価値基準を明確に示しました。現代でも、フェイクニュースや多様な価値観が入り乱れる中で、自分なりの確固たる道徳的基準を持つことが求められます。歴史や先人の知恵から学び、物事の善悪を正しく判断する目を持つことが大切です。
この章句が説くこと
歴史正義判断基準道理
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『講孟余話』離婁下 第二十一章孔子の春秋、天下の邪正を定め百王の大法たることは、論を待たざることなり。其の他列国皆史官ありて、時事を記することを掌る、皆世教に於て大いに裨益あり。其の後歴代皆史を廃せず。特に宋の制度の如き、宰相にて史館を兼ね、時政記と云ひて榻前にて議論する所の詞を書し、起居注と云ひて柱下にて見聞する所の実を書す、是れを日暦と云ふ。本邦にても古より史官あり、近世幕府列藩皆記録あり。然れども本邦古よりの通習として事を秘密にする故、外人妄りに其の記を見ることを得ず、是れ大いに惜しむべきことなり。凡そ史に二益あり。一つは時事を直書して少しも忌諱することなければ、官吏畏避する所ありて悪をなさず、勧励する所ありて善を勤む。二つは学者記録を見ることを得れば、時事の得失、措置の善悪を熟知し、他日官に当るの資となること多し。願はくは史局を開き良史を撰び、春秋の遺意を尋ね一書を編輯し、遍く官吏学者に見せ度き事なり。
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『童子問』卷下春秋は以て名分を道ふ。蓋し春秋は聖人の史なり。古者載籍の世に伝はる無く、善悪淑慝、時と倶に滅して、天下後世に暴かるること無し。故に乱臣賊子、其の欲を肆にして、忌憚する所無し。故に孔子魯史に因つて、以て天下の善悪を紀す。乱臣賊子の心を制する所以なり。孔子筆を秉りて止まず、直に哀公十六年四月己丑孔丘卒するの前に至つて止む。左丘明又夫子の意を承けて、引いて哀公二十三年秋八月に至つて止む。是れより後世の史臣、各一代の史有り。荀悦・習鑿歯・宋子京・司馬公・朱考亭の諸大儒に及ぶまで、亦各著作有り。皆孔子より之を発す。故に春秋は徒に二百四十四年の間を紀するのみに非ず、実に二千年以来を紀して、万世絶ゆること無し。此れ聖人の旨なり。
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史記 太史公自序上大夫壺遂曰く、「昔、孔子何為れぞ春秋を作れるか」と。太史公曰く、「余、董生に聞く、曰く、『周道衰廃し、孔子魯の司寇と為る。諸侯之を害し、大夫之を壅ぐ。孔子言の用ひられず、道の行はれざるを知るや、二百四十二年の中を是非し、以て天下の儀表と為し、天子を貶し、諸侯を退け、大夫を討ち、以て王事を達するのみ』と。子曰く、『我之を空言に載せんと欲するも、之を行事に見すことの深切著明なるに如かざるなり』と。夫れ春秋は、上は三王の道を明らかにし、下は人事の紀を弁じ、嫌疑を別ち、是非を明らかにし、猶予を定め、善を善とし悪を悪とし、賢を賢とし不肖を賤しみ、亡国を存し、絶世を継ぎ、敝を補ひ廃を起こす。王道の大なる者なり。易は天地・陰陽・四時・五行を著す。故に変に長ず。礼は人倫を経紀す。故に行ひに長ず。書は先王の事を記す。故に政に長ず。詩は山川谿谷・禽獣草木・牝牡雌雄を記す。故に風に長ず。楽は楽しむ所以にして立つ。故に和に長ず。春秋は是非を弁ず。故に人を治むるに長ず。是の故に礼は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事を道ひ、詩は以て意を達し、易は以て化を道ひ、春秋は以て義を道ふ。乱世を撥めて之を正に反すは、春秋より近きは莫し。春秋は文成ること数万、其の指は数千。万物の散聚は皆春秋に在り。春秋の中、君を弑すること三十六、国を亡ぼすこと五十二、諸侯奔走して其の社稷を保つを得ざる者、勝げて数ふ可からず。其の所以を察するに、皆其の本を失ふのみ。故に易に曰く、『之を豪釐に失へば、差ふに千里を以てす』と。故に曰く、『臣君を弑し、子父を弑するは、一旦一夕の故に非ざるなり。其の漸久し』と。故に国を有つ者は以て春秋を知らざる可からず。前に讒有れども見ず、後に賊有れども知らず。
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『長短経』正論辞を属ね事を比べて乱れざれば、則ち春秋に深きなり。〈壺遂曰く「昔、孔子は何為れぞ春秋を作れるか」と。太史公曰く「余、之を董生に聞けり。曰く『周道の哀微せるに由り、孔子は魯の司寇と為るも、諸侯は之を害し、大夫は之を壅ぐ。孔子、言の用いられず、道の行われざるを知るなり。二百四十二年の中を是非して、以て天下の儀表と為し、天子を貶し、諸侯を退け、大夫を討ちて、以て王事を達するのみ』と。子曰く『我、之を空言に載せんと欲するは、之を行事に見すの深切著明なるに如かず』と。夫れ春秋は、上は三王の道を明らかにし、下は人事の紀を弁じ、嫌疑を別ち、是非を明らかにし、猶予を定め、善を善しとし悪を悪しとし、賢を賢とし不肖を賤しみ、亡国を存し、絶代を継ぎ、弊を補い廃を起こす。王道の大なる者なり。乱代を揆りて、之を正道に反すは、春秋より近きは莫し。春秋の中、君を弑すること三十六、国を亡ぼすこと五十二、諸侯の奔走して其の社稷を保つを得ざる者は、勝げて数う可からず。其の所以を察するに、皆な其の本を失えるなり」と。
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『近思録』巻3 致知三王迭ひに興るに曁(およ)びて、三重既に備はり、子丑寅の正を建て、忠質文の更々尚ぶ。人道備はり、天運周れり。聖王既に復た作らず、天下を有つ者、随ひて古の跡に倣はんと欲するも、亦た私意妄為なるのみ。事の繆れる、秦は亥を建つるを以て正と為すに至る。道の悖れる、漢は専ら智力を以て世を持す。豈に復た先王の道を知らんや。夫子周の末に当たり、聖人の復た作らざるを以て、天に順ひ時に応ずるの治、復た有らざるなり。是に於て春秋を作りて百王不易の大法と為す。所謂「諸を三王に考へて謬らず、諸を天地に建てて悖らず、鬼神に質著して疑ひ無し。百世以て聖人を俟ちて惑はず」なる者なり。先儒の伝に曰く、「游夏も一辞を賛する能はず」と。辞は賛を待たざるなり、斯に与ること能はざるを言ふのみ。斯の道や、惟だ顔子のみ嘗て之を聞けり。「夏の時を行ひ、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞」。此れ其の準的なり。後世史を以て春秋を視、善を褒め悪を貶すのみと謂ふ。経世の大法に至りては、則ち知らざるなり。春秋の大義は数十。其の義大なりと雖も、炳として日星の如し、乃ち見易きなり。惟だ其の微辞隠義、時に措きて宜しきに従ふ者を知り難しと為す。或いは抑へ或いは縦ち、或いは与へ或いは奪ひ、或いは進め或いは退け、或いは微にし或いは顕かにす。而して義理の安、文質の中、寛猛の宜、是非の公を得、乃ち事を制するの権衡、道を揆るの模範なり。夫れ百物を観て然る後に化工の神を識り、衆材を聚めて然る後に室を作るの用を知る。一事一義に於て、聖人の用心を窺はんと欲するは、上智に非ざれば能はざるなり。故に春秋を学ぶ者は必ず優遊涵泳し、黙識心通して、然る後に能く其の微に造るなり。後王春秋の義を知れば、則ち徳禹湯に非ずと雖も、尚ほ以て三代の治に法るべし。
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孔子家語・曲禮子貢問子貢、孔子に問いて曰く、「晉の文公は実に天子を召して諸侯をして朝せしむ。夫子『春秋』を作りて云う、『天王河陽に狩す』と。何ぞや」と。孔子曰く、「臣を以て君を召すは、以て訓うべからず。亦た其の諸侯を率いて天子に事うるを書するのみ」と。
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