淮南子 / 主術訓
成、康繼文、武之業,守明堂之制,觀存亡之跡,見成敗之變,非道不言,非義不行,言不苟出,行不苟為,擇善而後從事焉。由此觀之,則聖人之行方矣。孔子之通,智過於萇弘,勇服于孟賁,足躡效菟,力招城關,能亦多矣。然而勇力不聞,伎巧不知,專行教道,以成素王,事亦鮮矣。《春秋》二百四十二年,亡國五十二,弑君三十六,采善鉏醜,以成王道,論亦博矣。然而圍于匡,顏色不變,弦歌不輟,臨死亡之地,犯患難之危,據義行理而志不懾,分亦明矣。然為魯司寇,聽獄必為斷,作為《春秋》,不道鬼神,不敢專己。夫聖人之智,固已多矣。其所守者約,故舉而必榮。愚人之智,固已少矣,其所事者多,故動而必窮矣。吳起、張儀,智不若孔、墨,而爭萬乘之君,此其所以車裂支解也。夫以正教化者,易而必成;以邪巧世者,難而必敗。凡將設行立趣於天下,舍其易成者,而從事難而必敗者,愚惑之所致也。凡此六反者,不可不察也。
新字:成、康継文、武之業,守明堂之制,観存亡之跡,見成敗之変,非道不言,非義不行,言不苟出,行不苟為,択善而後従事焉。由此観之,則聖人之行方矣。孔子之通,智過於萇弘,勇服于孟賁,足躡効菟,力招城関,能亦多矣。然而勇力不聞,伎巧不知,専行教道,以成素王,事亦鮮矣。《春秋》二百四十二年,亡国五十二,弑君三十六,采善鉏醜,以成王道,論亦博矣。然而囲于匡,顏色不変,弦歌不輟,臨死亡之地,犯患難之危,拠義行理而志不懾,分亦明矣。然為魯司寇,聴獄必為断,作為《春秋》,不道鬼神,不敢専己。夫聖人之智,固已多矣。其所守者約,故舉而必栄。愚人之智,固已少矣,其所事者多,故動而必窮矣。吳起、張儀,智不若孔、墨,而争万乗之君,此其所以車裂支解也。夫以正教化者,易而必成;以邪巧世者,難而必敗。凡将設行立趣於天下,舎其易成者,而従事難而必敗者,愚惑之所致也。凡此六反者,不可不察也。
書き下し
成・康 文・武の業を繼ぎ、明堂の制を守り、存亡の跡を觀、成敗の變を見、道に非ざれば言わず、義に非ざれば行わず、言は苟くも出でず、行いは苟くも為さず、善を擇びて而る後に事に從う。此に由りて之を觀れば、則ち聖人の行い 方なり。孔子の通、智は萇弘に過ぎ、勇は孟賁を服し、足は躡菟に效い、力は城關を招く。能も亦た多し。然れども勇力 聞こえず、伎巧 知られず、專ら教道を行いて、以て素王を成す。事も亦た鮮なし。『春秋』二百四十二年、亡國五十二、弑君三十六、善を采り醜を鉏りて、以て王道を成す。論も亦た博し。然れども匡に圍まれて、顏色 變ぜず、弦歌 輟めず、死亡の地に臨み、患難の危を犯し、義に據り理を行いて志 懾れず。分も亦た明らかなり。然れども魯の司寇と為るや、獄を聽きて必ず斷を為し、『春秋』を作為するや、鬼神を道わず、敢えて己を專らにせず。夫れ聖人の智は、固より已に多し。其の守る所の者 約なり。故に舉げて必ず榮ゆ。愚人の智は、固より已に少なし。其の事とする所の者 多し。故に動きて必ず窮す。吳起・張儀は、智 孔・墨に若かずして、萬乘の君と爭う。此れ其の車裂支解せらるる所以なり。夫れ正を以て教化する者は、易くして必ず成る。邪を以て世に巧む者は、難くして必ず敗る。凡そ將に行を設け趣を天下に立てんとして、其の成り易き者を舍てて、難くして必ず敗るる者に從事するは、愚惑の致す所なり。凡そ此の六反なる者は、察せざる可からざるなり。
現代語訳
成王と康王は文王・武王の業を継ぎ、明堂の制を守り、存亡の跡を観、成敗の変化を見て、道でなければ言わず、義でなければ行わず、言葉をいい加減に出さず、行いをいい加減にせず、善を選んでから事に従った。これによって見れば、聖人の行いは四角い。孔子の通じ方は、知恵は萇弘を越え、勇は孟賁を屈服させ、足は跳ねる兎に並び、力は城門のかんぬきを持ち上げるほどだった。能も多かった。それでも勇と力は知られず、技も知られず、もっぱら教えの道を行って、位のない王となった。手がけた事は少ない。『春秋』の二百四十二年に、亡んだ国は五十二、殺された君は三十六。善を採り醜を除いて王道を成した。論も広い。それでも匡で囲まれたとき、顔色を変えず、弦歌をやめず、死地に臨み患難の危うきを冒しても、義に拠り理を行って志は怯えなかった。分もまた明らかである。それでいて魯の司寇となれば、訴訟を聴いて必ず裁断を下し、『春秋』を作るときは、鬼神を語らず、あえて独断しなかった。聖人の知恵はもとより多い。だが守るところは約やかである。だから事を起こせば必ず栄える。愚かな者の知恵はもとより少ない。だが手がける事は多い。だから動けば必ず行き詰まる。呉起と張儀は、知恵は孔子や墨子に及ばないのに、万乗の君と張り合った。これが車裂きにされ手足を裂かれた理由である。正しさで教化する者は、易しくて必ず成る。邪なやり方で世を渡ろうとする者は、難しくて必ず敗れる。これから行いを立て志向を天下に示そうというときに、成りやすいほうを捨てて、難しくて必ず敗れるほうに従事するのは、愚かさと惑いのなせるわざである。この六つの相反するものは、よく察しなければならない。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・問玉孔子曰く、「其の國に入れば、其の教え知るべし。其の人と為りや、溫柔敦厚なるは、詩の教えなり。疏通知遠なるは、書の教えなり。廣博易良なるは、樂の教えなり。潔靜精微なるは、易の教えなり。恭儉莊敬なるは、禮の教えなり。辭を屬ね事を比するは、春秋の教えなり。故に詩の失は愚、書の失は誣、樂の失は奢、易の失は賊、禮の失は煩、春秋の失は亂なり。其の人と為りや、溫柔敦厚にして愚ならざれば、則ち詩に深き者なり。疏通知遠にして誣ならざれば、則ち書に深き者なり。廣博易良にして奢ならざれば、則ち樂に深き者なり。潔靜精微にして賊ならざれば、則ち易に深き者なり。恭儉莊敬にして煩ならざれば、則ち禮に深き者なり。辭を屬ね事を比して亂ならざれば、則ち春秋に深き者なり。天に四時有るは、春夏秋冬、風雨霜露、教えに非ざる無きなり。地神氣を載せ、雷霆を吐納し、庶物を流形するも、教えに非ざる無きなり。清明躬に在りて、氣志神のごとく、物將に至らんとする有れば、其の兆必ず先んず。是の故に天地の教えは、聖人と相參わる。其の詩に在りて曰く、『嵩高たる惟れ嶽、峻極天に於てす。惟れ嶽神を降し、甫と申とを生ず。惟れ申と甫とは、惟れ周の翰なり。』四國に於て蕃たり、四方に於て宣たり、此れ文武の德なり。其の文德を矢べ、此の四國に協う、此れ文王の德なり。凡そ三代の王は、必ず其の令問を先んず。詩に云う、『明明たる天子、令問已まず』とは、三代の德なり。」
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『淮南子』氾論訓故に聖人の賢を論ずるや、其の一行を見て賢不肖 分かる。孔子 廩丘を辭して、終に刀鉤を盜まず。許由 天子を讓りて、終に封侯を利とせず。故に未だ嘗て灼かれずして敢えて火を握らざるは、其の燒く所有るを見ればなり。未だ嘗て傷つかずして敢えて刃を握らざるは、其の害する所有るを見ればなり。此に由りて之を觀れば、見る者は以て未だ發せざるを論ず可し。而して小節を觀て以て大體を知る可し。故に人を論ずるの道、貴ければ則ち其の舉ぐる所を觀、富めば則ち其の施す所を觀、窮すれば則ち其の受けざる所を觀、賤しければ則ち其の爲さざる所を觀、貧しければ則ち其の取らざる所を觀る。其の難に更るを視て、以て其の勇を知る。動かすに喜樂を以てして、以て其の守を觀る。委ぬるに財貨を以てして、以て其の仁を論ず。振るに恐懼を以てして、以て其の節を知る。則ち人情 備わらん。
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荀子・君子篇法を聖王に論(と)れば、則ち貴ぶ所を知り、義を以て事を制すれば、則ち利する所を知る。論(ろん)に貴ぶ所を知れば、則ち養う所を知り、事に利する所を知れば、則ち動きて出づる所を知る。二者は是非の本、得失の原なり。故に成王の周公に於けるや、往く所として聽かざる無きは、貴ぶ所を知ればなり。桓公の管仲に於けるや、國事往く所として用いざる無きは、利する所を知ればなり。吳に伍子胥(ごししょ)有れども用うる能わず、國亡ぶに至るは、道に倍(そむ)き賢を失えばなり。故に聖を尊ぶ者は王たり、賢を貴ぶ者は霸たり、賢を敬する者は存し、賢を慢(あなど)る者は亡ぶ。古今一なり。故に賢を尚(たっと)び、能を使い、貴賤を等しくし、親疏を分かち、長幼を序するは、此れ先王の道なり。故に賢を尚び能を使えば、則ち主尊く下安し。貴賤に等有れば、則ち令行われて流れず。親疏に分有れば、則ち施行われて悖(もと)らず。長幼に序有れば、則ち事業捷(すみ)やかに成りて休(いこ)う所有り。故に仁とは此れを仁(いつく)しむ者なり。義とは此れを分かつ者なり。節とは此れに死生する者なり。忠とは此れを惇慎(とんしん)する者なり。此れを兼ねて之を能くすれば備われり。備わりて矜(ほこ)らず、一(もっぱ)ら自ら善くする、之を聖と謂う。矜らず、夫れ故に天下之と能を爭わずして、善く其の功を用うるを致す。有りて有(ゆう)とせず、夫れ故に天下の貴(とうと)ぶ所と為るなり。詩に曰く、「淑人(しゅくじん)君子、其の儀忒(たが)わず。其の儀忒わず、是の四國を正す」と。此れ之れの謂いなり。
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『淮南子』人間訓智者は路を離れて道を得、愚者は道を守りて路を失う。夫れ兒說の巧は、閉結に於いて解けざる無し。能く閉結を盡く之を解くに非ざるなり。解く可からざるを解かざればなり。解かざるを以て之を解くに至る者は、與に言論に及ぶ可し。或いは禮義を明らかにし道體を推して行われず、或いは解搆妄言して反って當たる。何を以て之を明らかにせん。孔子 行游するに、馬 失れて農夫の稼を食らう。野人 怒りて馬を取りて之を繫ぐ。子貢 往きて之に說くに、辭を卑くするも得る能わざるなり。孔子曰く「夫れ人の聽く能わざる所を以て人に說くは、譬えば大牢を以て野獸を享し、九韶を以て飛鳥を樂しましむるがごときなり。予の罪なり。彼の人の過ちに非ざるなり」と。乃ち馬圉をして往きて之に說かしむ。至りて、野人に見えて曰く「子は東海に耕して、西海に至る。吾が馬の失るる、安んぞ子の苗を食らわざるを得んや」と。野人 大いに喜び、馬を解きて之に與う。說くこと此の若く其れ方無くして、反って行わる。事に至る所有りて、巧は拙に若かず。故に聖人は鑿を量りて枘を正す。夫れ采菱を歌い、陽阿を發するも、鄙人 之を聽くは、此の延路・陽局に若かず。歌う者の拙なるに非ざるなり。聽く者の異なればなり。故に交畫は暢びず、連環は解けず。物の通ぜざる者は、聖人 爭わざるなり。
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孟子・萬章章句下孟子曰く、「伯夷は目に惡色を視ず、耳に惡聲を聽かず。其の君に非ざれば事えず、其の民に非ざれば使わず。治まれば則ち進み、亂るれば則ち退く。橫政の出づる所、橫民の止まる所、居るに忍びざるなり。ᰰ人と處るを思うこと、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如きなり。紂の時に當り、北海の濱に居り、以て天下の清むを待てり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つる有り。伊尹曰く、『何れに事うるとして君に非ざらん。何れを使うとして民に非ざらん。』治まるも亦た進み、亂るるも亦た進む。曰く、『天の斯の民を生ずるや、先知をして後知を覺らしめ、先覺をして後覺を覺らしむ。予は天民の先覺者なり。予將に此の道を以て此の民を覺さんとす。』天下の民、匹夫匹婦も堯舜の澤を與被せざる者有るを思うこと、己が推して之を溝中に内るるが若し。其の自ら任ずるに天下の重きを以てすればなり。柳下惠は、汙君を羞ぢず、小官を辭せず。進みて賢を隱さず、必ず其の道を以てす。遺佚せられて怨みず、阨窮して憫えず、ᰰ人と處り、由由然として去るに忍ぶざるなり。『爾は爾為り、我は我為り。我が側に袒裼裸裎すと雖も、爾焉くんぞ能く我を浼(けがす)さんや。』故に柳下惠の風を聞く者は、鄙夫も寬に、薄夫も敦し。孔子の齊を去るや、淅(セキ)を接して行く。魯を去るや、曰く、『遲遲として吾行く。』父母の國を去るの道なり。以て速やかにす可くして速やかにす、以て久しくす可くして久しくす、以て處る可くして處る、以て仕う可くして仕うるは、孔子なり。」孟子曰く、「伯夷は、聖の清なる者なり。伊尹は、聖の任なる者なり。柳下惠は、聖の和なる者なり。孔子は、聖の時なる者なり。孔子を之れ集めて大成すと謂う。集めて大成すとは、金聲して玉之を振するなり。金聲すとは、條理を始むるなり。玉之を振すとは、條理を終うるなり。條理を始むるは、智の事なり。條理を終うるは、聖の事なり。智は譬えば則ち巧なり。聖は譬えば則ち力なり。由ほ百步の外に射るがごとし。其の至るは、爾の力なり。其の中たるは、爾の力に非ざるなり。」