孔子家語 / 曲禮子貢問
子貢問於孔子曰:「晉文公實召天子而使諸侯朝焉。夫子作《春秋》,云:『天王狩於河陽。』何也?」孔子曰:「以臣召君,不可以訓,亦書其率諸侯事天子而已。」
新字:子貢問於孔子曰:「晋文公実召天子而使諸侯朝焉。夫子作《春秋》,云:『天王狩於河陽。』何也?」孔子曰:「以臣召君,不可以訓,亦書其率諸侯事天子而已。」
書き下し
子貢、孔子に問いて曰く、「晉の文公は実に天子を召して諸侯をして朝せしむ。夫子『春秋』を作りて云う、『天王河陽に狩す』と。何ぞや」と。孔子曰く、「臣を以て君を召すは、以て訓うべからず。亦た其の諸侯を率いて天子に事うるを書するのみ」と。
現代語訳
子貢が孔子に尋ねた。「晋の文公は実際には天子(周の襄王)を召し出して諸侯に拝謁させました。それなのに先生は『春秋』に『天王(周王)が河陽に狩りをした』と書いておられます。これはどういうことですか。」孔子は答えた。「臣下が君主を呼びつけるようなことは、後世の模範として書き記すわけにはいかない。そこで文公が諸侯を率いて天子にお仕えした、という形で書いたまでのことだ。」
解説
晋の文公は覇者としての実権を握り、周の天子を河陽に呼び寄せて諸侯に謁見させるという、本来あってはならない下克上的行為を行いました。しかし孔子は『春秋』を編むにあたり、事実をそのまま「臣が君を召した」と書けば後世の規範を乱すと考え、体裁を整えて「天子が狩りをした」と記しました。ここには、歴史記述には単なる事実の羅列にとどまらず、秩序を守り人々を正しく導くという教育的配慮が求められるという孔子の姿勢が表れています。現代でも、事実を伝える際に何を強調し何を控えるかという編集判断の重みを考えさせられる逸話です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
春秋の筆法晉文公晋文公尊王史書の書き方
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 天王、河陽に狩す秋、七月、丙申、振旅して愷(かい)して以って晉に入り、俘を獻じ馘(かく)を授け、飲至して大いに賞し、會を徵して貳を討つ。舟之僑を殺して以って國に徇ふ。民是に於いて大いに服す。君子謂ふ、「文公其れ能く刑せり。三罪して民服す。《詩》に云ふ、『此の中國を惠みて、以って四方を綏んず』と。賞刑を失はざるの謂なり」と。冬、溫に會す、服せざるを討つなり。衛侯元咺と訟ふ。甯武子輔と為り、鍼莊子坐と為り、士榮大士と為る。衛侯勝たず。士榮を殺し、鍼莊子を刖(あしき)り、甯俞を忠なりと謂ひて之を免ず。衛侯を執へ、之を京師に歸し、諸を深室に寘く。甯子職として橐饘(たくせん)を納る。元咺衛に歸り、公子瑕を立つ。是の會や、晉侯王を召し、諸侯を以って見えしめ、且つ王をして狩せしむ。仲尼曰く、「臣を以って君を召すは、以って訓とす可からず」と。故に書して曰く、「天王河陽に狩す」と。其の地に非ざるを言ひ、且つ德を明らかにするなり。壬申、公王の所に朝す。丁丑、諸侯許を圍む。
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孔子家語・致思孔子曰わく、「王者は春秋に似たる有り。文王は王季を以て父と為し、太任を以て母と為し、太姒を以て妃と為し、武王・周公を以て子と為し、太顛・閎天を以て臣と為す、其の本美なり。武王其の身を正して以て其の国を正し、其の国を正して以て天下を正す。無道を伐ち、罪有るを刑し、一動して天下正しく、其の事成れり。春秋其の時を致して万物皆及び、王者其の道を致して万民皆治まる。周公己を載せて化を行い、而して天下之に順う、其の誠至れり。」
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史記 十二諸侯年表太史公、春秋の歴譜諜を読み、周の厲王に至りて、未だ嘗て書を廃して嘆ぜずんばあらざるなり。曰く、嗚呼、師摯之を見たり。紂、象箸を為りて箕子唏く。周道欠けて、詩人之を衽席に本づけ、関雎作る。仁義陵遅して、鹿鳴刺る。厲王に至るに及びて、其の過ちを聞くを悪むを以て、公卿誅を懼れて禍作り、厲王遂に彘に奔り、乱京師より始まりて、共和政を行ふ。是の後或いは力政し、彊は弱に乗じ、師を興すに天子に請はず。然れども王室の義を挟み、討伐を以て会盟の主と為り、政は五伯に由り、諸侯恣に行ひ、淫侈にして軌あらず、賊臣篡子滋々起こる。斉・晋・秦・楚は其の成周に在りては微なること甚だしく、封は或いは百里、或いは五十里。晋は三河に阻り、斉は東海を負ひ、楚は江淮を介とし、秦は雍州の固めに因り、四海迭ひに興り、更々伯主と為る、文武の褒め大いに封ずる所も、皆威して服す。是を以て孔子、王道を明らかにし、七十余君に干むれども、能く用ふる莫し。故に西のかた周室を観、史記の旧聞を論じ、魯に興りて春秋を次す。上は隠を記し、下は哀の獲麟に至る。其の辞文を約し、其の煩重を去り、以て義法を制す。王道備はり、人事浹し。七十子の徒、口づから其の伝指を受く、刺譏褒諱挹損する所の文辞有りて書を以て見すべからざるが為なり。魯の君子左丘明、弟子の人人端を異にし、各々其の意に安んじて、其の真を失はんことを懼る、故に孔子の史記に因りて具さに其の語を論じ、左氏春秋を成す。鐸椒、楚の威王の傅為り、王の尽くは春秋を観る能はざるが為に、成敗を采取し、卒て四十章、鐸氏微と為す。趙の孝成王の時、其の相虞卿、上は春秋を采り、下は近勢を観、亦八篇を著し、虞氏春秋と為す。
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史記 孔子世家故に呉楚の君自ら王と称するも、春秋之を貶して「子」と曰ふ。践土の会は実は周の天子を召せるも、春秋之を諱みて「天王河陽に狩す」と曰ふ。此の類を推して以て当世を縄す。貶損の義は、後に王者有りて挙げて之を開かん。春秋の義行はるれば、則ち天下の乱臣賊子懼る。孔子位に在りて訟を聴くに、文辞の人と共にすべき者有れば、独り有せざるなり。春秋を為るに至りては、筆すべきは則ち筆し、削るべきは則ち削る、子夏の徒も一辞を賛する能はず。弟子春秋を受く、孔子曰く、「後世丘を知る者は春秋を以てし、而して丘を罪する者も亦た春秋を以てせん」と。明歳、子路衛に死す。孔子病む、子貢見えんことを請ふ。孔子方に杖を負ひて門に逍遥し、曰く、「賜、汝来たること何ぞ其れ晩きや」と。孔子因りて歎じ、歌ひて曰く、「太山壊れんか、梁柱摧けんか、哲人萎まんか」と。因りて以て涕下る。子貢に謂ひて曰く、「天下道無きこと久し、能く予を宗とする莫し。夏人は東階に殯し、周人は西階に於てし、殷人は両柱の間にす。昨暮予夢に両柱の間に坐奠せらる、予は始め殷人なり」と。後七日にして卒す。孔子年七十三、四月己丑を以て卒す。哀公之を誄して曰く、「旻天弔まず、一老を愸遺せず、余一人を屏けて以て位に在らしめ、煢煢として余疚に在り。嗚呼哀しいかな、尼父、自ら律すること毋し」と。子貢曰く、「君其れ魯に没せざらんか。夫子の言に曰く、『礼失へば則ち昬く、名失へば則ち愆る。志を失ふを昬と為し、所を失ふを愆と為す』と。生きては用ふる能はず、死して之を誄するは、礼に非ざるなり。『余一人』と称するは、名に非ざるなり」と。孔子魯城の北の泗上に葬らる、弟子皆服すること三年。三年心喪畢はり、相訣れて去る、則ち哭し、各々復た哀しみを尽くす。或いは復た留まる。唯子貢のみ冢上に廬すること、凡そ六年、然る後に去る。弟子及び魯人の往きて冢に従ひて家する者百有余室、因りて命じて孔里と曰ふ。