淮南子 / 泰族訓
故仁義者,治之本也。今不知事修其本,而務沼其末,是釋其根而灌其枝也。且法之生也,以輔仁義,今重法而棄義,是貴其冠履而忘其頭足也。故仁義者,為厚基者也。不益其厚而張其廣者毀,不廣其基而增其高者覆。趙政不增其德而累其高,故滅;智伯不行仁義而務廣地,故亡其國。
新字:故仁義者,治之本也。今不知事修其本,而務沼其末,是釈其根而灌其枝也。且法之生也,以輔仁義,今重法而棄義,是貴其冠履而忘其頭足也。故仁義者,為厚基者也。不益其厚而張其広者毀,不広其基而增其高者覆。趙政不增其徳而累其高,故滅;智伯不行仁義而務広地,故亡其国。
書き下し
故に仁義なる者は、治の本なり。今 其の本を修むるを事とするを知らずして、其の末を沼くするに務むるは、是れ其の根を釋てて其の枝に灌ぐなり。且つ法の生ずるや、以て仁義を輔く。今 法を重んじて義を棄つるは、是れ其の冠履を貴びて其の頭足を忘るるなり。故に仁義なる者は、厚基を爲す者なり。其の厚きを益さずして其の廣きを張る者は毀れ、其の基を廣めずして其の高きを增す者は覆る。趙政 其の德を增さずして其の高きを累ぬ。故に滅ぶ。智伯 仁義を行わずして地を廣むるに務む。故に其の國を亡ぼす。
現代語訳
仁義は治の根本である。いま、その根本を修めることを知らずに、末を潤すことに努めるのは、根を捨てて枝に水を注ぐようなものである。そもそも法が生まれたのは、仁義を助けるためである。いま法を重んじて義を捨てるのは、冠と履を大事にして頭と足を忘れるようなものである。仁義は厚い土台を作るものである。厚みを増さずに広さを張る者は崩れ、土台を広げずに高さを増す者は倒れる。趙政は徳を増さずに高さを積み上げた。だから滅んだ。智伯は仁義を行わずに領土を広げることに努めた。だから国を失った。
解説
「其の冠履を貴びて其の頭足を忘るる」。冠も履も、頭と足があってこそのものです。法は仁義を助けるために生まれたのに、法だけが重んじられて義が捨てられる。土台の比喩も明快です。厚みを増さずに広げれば崩れ、土台を広げずに高くすれば倒れる。始皇帝と智伯が、その二例として挙げられます。厚みを増さずに広げれば崩れる、という土台の比喩が明快です。
この章句が説くこと
仁義なる者は治の本なり其の本を修むるを事とするを知らずして其の末を沼くするに務むるは是れ其の根を釈てて其の枝に灌ぐなり法の生ずるや以て仁義を輔く今法を重んじて義を棄つるは是れ其の冠履を貴びて其の頭足を忘るるなり其の厚きを益さずして其の広きを張る者は毀れ其の基を広めずして其の高きを增す者は覆る趙政其の徳を增さずして其の高きを累ぬ故に滅ぶ本末
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