智囊 / 制勝・孫臏
孫子同齊使之齊,客田忌所。忌數與齊諸公子逐射,孫子見其馬足不甚相遠,馬有上、中、下,乃謂忌曰:「君第重射,臣能令君勝。」忌然之,與王及諸公子逐射千金。及臨質,孫子曰:「今以君之下駟與彼上駟,取君上駟與彼中駟,取君中駟與彼下駟。」既馳三輩畢,而田忌一不勝而再勝,卒得五千金。〔述評〕唐太宗嘗言:「自少經略四方,頗知用兵之要,每觀敵陣,則知其強弱。常以吾弱當其強,強當其弱。彼乘吾弱,奔逐不過數百步;吾乘其弱,必出其陣後,反而擊之,無不潰敗。」蓋用孫子之術也。宋高宗問吳璘以勝敵之術。璘曰:「弱者出戰,強者繼之。」高宗亦曰:「此孫臏駟馬之法。」
新字:孫子同斉使之斉,客田忌所。忌数与斉諸公子逐射,孫子見其馬足不甚相遠,馬有上、中、下,乃謂忌曰:「君第重射,臣能令君勝。」忌然之,与王及諸公子逐射千金。及臨質,孫子曰:「今以君之下駟与彼上駟,取君上駟与彼中駟,取君中駟与彼下駟。」既馳三輩畢,而田忌一不勝而再勝,卒得五千金。〔述評〕唐太宗嘗言:「自少経略四方,頗知用兵之要,毎観敵陣,則知其強弱。常以吾弱当其強,強当其弱。彼乗吾弱,奔逐不過数百歩;吾乗其弱,必出其陣後,反而撃之,無不潰敗。」蓋用孫子之術也。宋高宗問呉璘以勝敵之術。璘曰:「弱者出戦,強者継之。」高宗亦曰:「此孫臏駟馬之法。」
書き下し
孫子は斉の使いと同じく斉に之き、田忌の所に客たり。忌は数々斉の諸公子と逐射す。孫子はその馬の足の甚だしくは相遠からず、馬に上、中、下あるを見て、乃ち忌に謂いて曰く、「君は第だ重ねて射せ。臣は能く君をして勝たしめん。」と。忌はこれを然りとし、王及び諸公子と千金を逐射す。質に臨むに及び、孫子曰く、「今、君の下駟を以て彼の上駟に与え、君の上駟を取りて彼の中駟に与え、君の中駟を取りて彼の下駟に与えよ。」と。既に三輩を馳せ畢わり、田忌は一たび勝たず再び勝ちて、卒に五千金を得たり。〔述評〕唐の太宗は嘗て言う、「少きより四方を経略し、頗る兵を用うる要を知る。敵陣を観る毎に、則ちその強弱を知る。常に吾が弱を以て其の強に当て、強を以て其の弱に当つ。彼は吾が弱に乗じて奔逐すること数百歩に過ぎず、吾はその弱に乗じて、必ずその陣の後に出で、反りて之を撃てば、潰敗せざるなし。」と。蓋し孫子の術を用いたるなり。宋の高宗は呉璘に勝敵の術を問う。璘曰く、「弱き者出でて戦い、強き者これに継ぐ。」と。高宗もまた曰く、「これ孫臏の駟馬の法なり。」と。
現代語訳
孫臏は斉の使者と一緒に斉に行き、田忌のところに客となった。田忌はたびたび斉の諸公子と競馬で賭けをしていた。孫臏はその馬の足が互いにそれほど離れておらず、馬に上、中、下の等級があるのを見て、田忌に言った。「あなたはただ賭け金を重ねてください。私があなたを勝たせましょう。」田忌はそのとおりだと思い、王や諸公子と千金を賭けた。勝負に臨むと、孫臏は言った。「いま、あなたの下等の馬を相手の上等の馬に当て、あなたの上等の馬を相手の中等の馬に当て、あなたの中等の馬を相手の下等の馬に当てなさい。」三組を走らせ終えて、田忌は一度負けて二度勝ち、ついに五千金を得た。〔述評〕唐の太宗はかつて言った。「若いころから四方を経略し、兵を用いる要点をよく知っている。敵の陣を見るたびに、その強弱が分かる。いつも我が弱い部隊を敵の強い部隊に当て、我が強い部隊を敵の弱い部隊に当てた。敵は我が弱い部隊に乗じて逃げる者を追っても数百歩にすぎず、私は敵の弱い部隊に乗じて、必ずその陣の後ろに出て、引き返して撃てば、崩れないことはなかった。」これはきっと孫子の術を用いたのだ。宋の高宗は呉璘に敵に勝つ術を尋ねた。呉璘は言った。「弱い者が出て戦い、強い者がこれに続きます。」高宗もまた言った。「これは孫臏の馬の法だ。」
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』初見秦第一然らば則ち是れ趙挙がり、趙挙がれば則ち韓亡び、韓亡ぶれば則ち荊・魏独立すること能はず。荊・魏独立すること能はざれば、則ち是れ一挙にして韓を壊り、魏を蠹み、荊を挾み、東は以て斉・燕を弱め、白馬の口を決して以て魏氏に沃ぎ、是れ一挙にして三晋亡び、従者敗るるなり。大王垂拱して以て之を須たば、天下編随して服せん、覇王の名成すべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た趙氏と和を為す。夫れ大王の明、秦兵の強きを以て、覇王の業を棄て、地曾て得べからず、乃ち亡国に欺かるるは、是れ謀臣の拙なり。且つ夫れ趙は亡ぶべくして亡びず、秦は覇たるべくして覇たらず、天下固より以て秦の謀臣を量ること一なり。乃ち復た士卒を悉くして以て邯鄲を攻むるも、抜くこと能はず、甲兵弩を棄て、戦竦して却く、天下固より已に秦の力を量ること二なり。軍乃ち引きて復り、李下に并せ、大王又軍を并せて至り、与に戦ひて之に克つこと能はず、又反ること能はず、軍罷れて去る、天下固より秦の力を量ること三なり。内は吾が謀臣を量り、外は吾が兵力を極む。是に由りて之を観れば、臣以為へらく、天下の従は、幾ど難からず。内は、吾が甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚し。外は、天下皆比意甚だ固し。願はくは大王以て之を慮ること有れ。
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『韓非子』存韓第二守備を脩め、強敵を戒め、畜積有り、城池を築きて以て守り固む。今韓を伐たば、未だ一年にして滅ぼすべからず、一城を抜きて退かば、則ち権天下に軽く、天下我が兵を摧かん。
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『春秋左氏伝』襄公十年 偪陽の戦い十年春、柤(さ)に會す。吳子壽夢に會するなり。三月癸丑、齊の高厚、大子光を相(たす)けて、以て先づ諸侯に鍾離に會するに、敬まず。士莊子曰く、「高子、大子を相けて以て諸侯に會す。將に社稷を是れ衛らんとするに、皆敬まず。社稷を棄つるなり。其れ將に免れざらんか」と。夏四月戊午、柤に會す。晉の荀偃・士匄、偪陽(ひつやう)を伐ちて宋の向戌を封ぜんことを請ふ。荀罃曰く、「城小にして固し。之に勝つも武ならず、勝たずんば笑ひと為らん」と。固く請ふ。丙寅、之を圍む。克たず。孟氏の臣秦堇父(しんきんぽ)、重を輦(ひ)きて役に如く。偪陽人、門を啟く。諸侯の士、門す。縣門發す。郰人(すうひと)紇(こつ)、之を抉(かか)げて、以て門に入りし者を出だす。狄虒彌(てきしび)、大車の輪を建てて、之を蒙ふに甲を以てし、以て櫓と為し、左に之を執り、右に戟を拔きて、以て一隊を成す。孟獻子曰く、「詩に所謂『力有ること虎の如し』といふ者なり」と。主人、布を縣く。堇父、之に登る。
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
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『大和俗訓』巻之八・応接一人のするわざ、其善悪十分に知れて、明白なること有り。又其事の有様、其人の心の中、善きも悪しきも、明かに知らざること多し。我が心に悪ししと思ふことも、その実をよく尋ぬれば、道理あることあり。善しと思ふことにも、善からざることあり。かやうのこと唐もやまとも、古今多し。天下皆非なるの理なしと、古人もいへり。何事も、人のしわざに故あらんと思ひ、妄に人を悪みそしるべからず。又妄に誉むべからず。
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