智囊 / 知微・孫堅・皇甫酈
孫堅嘗參張溫軍事。溫以詔書召董卓,卓良久乃至,而詞對頗傲。堅前耳語溫曰:「卓負大罪而敢鴟張大言,其中不測。宜以『召不時至』,按軍法斬之。」溫不從。卓後果橫不能制。中平二年,董卓拜並州牧,詔使以兵委皇甫嵩,卓不從。時嵩從子酈在軍中,說嵩曰:「本朝失政,天下倒懸。能安危定傾,唯大人耳。今卓被詔委兵,而上書自請,是逆命也;又以京師昏亂,躊躇不進,此懷奸也;且其凶戾無親,將士不附。大人今為元帥,仗國威以討之,上顯忠義,下除凶害,此桓、文之事也。」嵩曰:「專命雖有罪,專誅亦有責。不如顯奏其事,使朝廷自裁。」於是上書以聞。帝讓卓,卓愈增怨嵩。及卓秉政,嵩幾不免。〔馮述評〕觀此二條,方知哥舒翰誅張擢,李光弼斬崔眾,是大手段、大見識。事見《威克部》。
新字:孫堅嘗参張温軍事。温以詔書召董卓,卓良久乃至,而詞対頗傲。堅前耳語温曰:「卓負大罪而敢鴟張大言,其中不測。宜以『召不時至』,按軍法斬之。」温不従。卓後果横不能制。中平二年,董卓拝並州牧,詔使以兵委皇甫嵩,卓不従。時嵩従子酈在軍中,説嵩曰:「本朝失政,天下倒懸。能安危定傾,唯大人耳。今卓被詔委兵,而上書自請,是逆命也;又以京師昏乱,躊躇不進,此懐奸也;且其凶戻無親,将士不附。大人今為元帥,仗国威以討之,上顕忠義,下除凶害,此桓、文之事也。」嵩曰:「専命雖有罪,専誅亦有責。不如顕奏其事,使朝廷自裁。」於是上書以聞。帝譲卓,卓愈增怨嵩。及卓秉政,嵩幾不免。〔馮述評〕観此二条,方知歌舒翰誅張擢,李光弼斬崔衆,是大手段、大見識。事見《威克部》。
書き下し
孫堅、嘗て張温の軍事に参ず。温、詔書を以て董卓を召す。卓、良久しくして乃ち至り、而も詞対頗る傲る。堅、前みて温に耳語して曰く、「卓は大罪を負いて敢えて鴟張して大言す。其の中測られず。宜しく『召して時に至らず』を以て、軍法に按じて之を斬るべし。」温従わず。卓、後に果たして横にして制する能わず。中平二年、董卓、并州牧を拝し、詔して兵を皇甫嵩に委ねしむ。卓従わず。時に嵩の従子酈、軍中に在り、嵩に説きて曰く、「本朝政を失い、天下倒懸す。能く危うきを安んじ傾きを定むるは、唯だ大人のみ。今卓は詔を被りて兵を委ぬるに、書を上りて自ら請う。是れ命に逆らうなり。又た京師昏乱を以て躊躇して進まず。此れ奸を懐くなり。且つ其の凶戻にして親無く、将士附かず。大人は今元帥たり。国威に仗りて以て之を討ち、上は忠義を顕し、下は凶害を除かば、此れ桓・文の事なり。」嵩曰く、「命を専らにするは罪有りと雖も、誅を専らにするも亦た責め有り。如かず、顕らかに其の事を奏し、朝廷をして自ら裁せしめんには。」是に於いて書を上りて聞す。帝、卓を譲め、卓愈いよ嵩を怨む。卓の政を秉るに及び、嵩、幾ど免れず。〔馮述評〕此の二条を観て、方に哥舒翰の張擢を誅し、李光弼の崔衆を斬るは、是れ大手段・大見識なるを知る。事は『威克部』に見ゆ。
現代語訳
孫堅はかつて張温の軍の幕僚を務めた。張温が詔書によって董卓を呼び出したところ、董卓はかなり遅れてやって来て、しかも受け答えがひどく傲慢だった。孫堅は進み出て張温に耳打ちした。「董卓は大罪を負っているのに、猛々しく大口を叩いています。内心は計り知れません。『召されて期日に来なかった』ことを理由に、軍法によって斬るべきです。」張温は従わなかった。董卓はのちに果たして横暴になり、抑えられなくなった。中平二年、董卓は并州牧に任じられ、詔で兵を皇甫嵩に引き渡すよう命じられたが、従わなかった。そのとき皇甫嵩の甥の皇甫酈が軍中にいて、嵩に説いた。「朝廷は政を失い、天下は逆さ吊りのようです。危うさを安んじ傾きを正せるのは、叔父上だけです。いま董卓は詔で兵を引き渡すよう命じられながら、書を上って自ら願い出ています。これは命令に逆らうことです。また都が混乱しているのを口実にためらって進みません。これは悪心を抱いているのです。しかも凶悪で親しむ者がなく、将兵も従っていません。叔父上は今、元帥です。国の威光に拠ってこれを討ち、上は忠義を示し、下は凶悪な害を除けば、斉の桓公・晋の文公のような覇業です。」皇甫嵩は言った。「勝手に命令を出すことにも罪があるが、勝手に誅殺することにも責任が伴う。はっきり事情を上奏して、朝廷に自ら裁かせるのがよい。」そこで上書して報告した。帝は董卓を叱責したが、董卓はいっそう皇甫嵩を怨んだ。董卓が政権を握ると、皇甫嵩はほとんど助からないところだった。〔馮夢龍の評〕この二つの話を見て、はじめて、哥舒翰が張擢を誅し、李光弼が崔衆を斬ったのが、大きな手腕、大きな見識であったことが分かる。この事は『威克部』に見える。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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史記 扁鵲倉公列伝一熊有りて我を援かんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。羆有りて来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へ、七世にして亡びんとす。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、而も亦有つ能はざるなり』と」と。董安于言を受け、書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。
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史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 葉公、冑を免ぐ遂に之を殺して、王を以て高府に如く。石乞、門に尹たり。圉公陽、宮に穴し、王を負ひて以て昭夫人の宮に如く。葉公も亦た至る。北門に及ぶ。或ひと之に遇ひて曰く、「君胡ぞ冑せざる。國人の君を望むこと、慈父母を望むが如し。盜賊の矢、若し君を傷つけば、是れ民の望を絕つなり。之を若何ぞ冑せざる」と。乃ち冑して進む。又一人に遇ふ。曰く、「君胡ぞ冑する。國人の君を望むこと、歲を望むが如し。日日以て幾ふ。若し君の面を見ば、是れ艾を得るなり。民、死せざるを知らば、其れ亦た夫の奮心有らん。猶ほ將に君を旌して以て國に徇へんとす。而るを反つて面を掩ひて以て民の望を絕つ。亦た甚だしからずや」と。乃ち冑を免ぎて進む。箴尹固の、其の屬を帥ゐて將に白公に與せんとするに遇ふ。子高曰く、「二子微かりせば、楚は國ならず。德を棄てて賊に從ふ、其れ保つ可けんや」と。乃ち葉公に從ふ。國人と與に以て白公を攻めしむ。白公、山に奔りて縊る。其の徒、之を微す。石乞を生拘して、白公の死を問ふ。對へて曰く、「余、其の死所を知る。
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