茶の本 / 第七章 茶の宗匠・茶は国民の生活の中に入った
茶の宗匠が芸術界に及ぼした影響は偉大なものではあったが、彼らが処世上に及ぼした影響の大なるに比すれば、ほとんど取るに足らないものである。上流社会の慣例におけるのみならず、家庭の些事の整理に至るまで、われわれは茶の宗匠の存在を感ずるのである。配膳法はもとより、美味の膳部の多くは彼らの創案したものである。彼らは落ち着いた色の衣服をのみ着用せよと教えた。また生花に接する正しい精神を教えてくれた。彼らは、人間は生来簡素を愛するものであると強調して、人情の美しさを示してくれた。実際、彼らの教えによって茶は国民の生活の中にはいったのである。
書き下し
茶の宗匠が芸術界に及ぼした影響は偉大なものではあったが、彼らが処世上に及ぼした影響の大なるに比すれば、ほとんど取るに足らないものである。上流社会の慣例におけるのみならず、家庭の些事の整理に至るまで、われわれは茶の宗匠の存在を感ずるのである。配膳法はもとより、美味の膳部の多くは彼らの創案したものである。彼らは落ち着いた色の衣服をのみ着用せよと教えた。また生花に接する正しい精神を教えてくれた。彼らは、人間は生来簡素を愛するものであると強調して、人情の美しさを示してくれた。実際、彼らの教えによって茶は国民の生活のなかにはいったのである。
現代語訳
茶の宗匠が芸術の世界に及ぼした影響は偉大なものでしたが、彼らが世の暮らし方に及ぼした影響の大きさに比べれば、ほとんど取るに足らないものです。上流社会の慣例においてだけでなく、家庭の些細な事柄の整え方にいたるまで、私たちは茶の宗匠の存在を感じます。膳の配り方はもとより、美味な料理の多くは彼らが考え出したものです。彼らは落ち着いた色の衣服だけを着るように教えました。また花に接する正しい精神を教えてくれました。彼らは、人は生まれつき簡素を愛するものだと強調して、人情の美しさを示してくれました。実際、彼らの教えによって茶は国民の生活の中に入ったのです。
解説
芸術への貢献より、生活への貢献のほうが大きいと言い切られます。膳の配り方、料理、衣服の色、花の扱い。名品ではなく暮らしの型を残したことが最大の功績だという判定で、第三章で道教を処世術と呼んだ流れがここに戻ってきます。思想が作法になり、作法が生活になったとき、はじめて国民のものになる。文化が根づく道筋を示した一段です。
この章句が説くこと
生活作法簡素普及処世
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