茶の本 / 第七章 茶の宗匠・光琳派はすべて茶道の表現
遠州の七窯は日本の陶器研究者の皆よく知っているところである。わが国の織物の中には、その色彩や意匠を考案した宗匠の名を持っているものが多い。実際、芸術のいかなる方面にも、茶の宗匠がその天才の跡をのこしていないところはない。絵画、漆器に関しては彼らの尽くした莫大の貢献についていうのはほとんど贅言と思われる。絵画の一大派はその源を、茶人であり同時にまた塗師、陶器師として有名な本阿弥光悦に発している。彼の作品に比すれば、その孫の光甫や甥の子光琳および乾山の立派な作もほとんど光を失うのである。いわゆる光琳派はすべて、茶道の表現である。この派の描く太い線の中に、自然そのものの生気が存するように思われる。
書き下し
遠州の七窯は、日本の陶器研究者の皆よく知っているところである。わが国の織物のなかには、その色彩や意匠を考案した宗匠の名を持っているものが多い。実際、芸術のいかなる方面にも、茶の宗匠がその天才の跡をのこしていないところはない。絵画、漆器に関しては、彼らの尽くした莫大の貢献についていうのは、ほとんど贅言と思われる。絵画の一大派は、その源を、茶人であり同時にまた塗師、陶器師として有名な本阿弥光悦に発している。彼の作品に比すれば、その孫の光甫や甥の子光琳および乾山の立派な作も、ほとんど光を失うのである。いわゆる光琳派はすべて、茶道の表現である。この派の描く太い線のなかに、自然そのものの生気が存するように思われる。
現代語訳
遠州の七窯は、日本の陶器の研究者がみなよく知るところです。わが国の織物の中には、その色彩や意匠を考案した宗匠の名を持つものが多くあります。実際、芸術のどの方面にも、茶の宗匠が天才の跡を残していないところはありません。絵画や漆器について、彼らが尽くした莫大な貢献を言うのは、ほとんど言うまでもないことと思われます。絵画の一大流派は、茶人であり同時に塗師、陶器師として有名な本阿弥光悦にその源を発しています。彼の作品に比べれば、孫の光甫や甥の子の光琳、乾山の立派な作もほとんど光を失います。いわゆる光琳派はすべて茶道の表現です。この派の描く太い線の中に、自然そのものの生気があるように思われます。
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『茶の本』第七章 茶の宗匠・雪間の草の春を見せばや花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや。茶の宗匠たちの芸術に対する貢献は実に多方面にわたっていた。彼らは古典的建築および屋内の装飾を全く革新して、前に茶室の章で述べた新しい型を確立した。その影響は十六世紀以後に建てられた宮殿寺院さえも皆これをうけている。多能な小堀遠州は、桂の離宮、名古屋の城および孤篷庵に、彼が天才の著名な実例をのこしている。日本の有名な庭園は皆、茶人によって設計せられたものである。わが国の陶器は、もし彼らが鼓舞を与えてくれなかったら、優良な品質にはたぶんならなかったであろう。茶の湯に用いられた器具の製造のために、製陶業者のほうではあらん限りの新くふうの知恵を絞ったのであった。
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『茶の本』第七章 茶の宗匠・茶は国民の生活の中に入った茶の宗匠が芸術界に及ぼした影響は偉大なものではあったが、彼らが処世上に及ぼした影響の大なるに比すれば、ほとんど取るに足らないものである。上流社会の慣例におけるのみならず、家庭の些事の整理に至るまで、われわれは茶の宗匠の存在を感ずるのである。配膳法はもとより、美味の膳部の多くは彼らの創案したものである。彼らは落ち着いた色の衣服をのみ着用せよと教えた。また生花に接する正しい精神を教えてくれた。彼らは、人間は生来簡素を愛するものであると強調して、人情の美しさを示してくれた。実際、彼らの教えによって茶は国民の生活のなかにはいったのである。
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『玉勝間』十四の巻 またこれもその人々、まことに然思いとれるにはあらず。ただその道の祖の定めおきつる心ばえを守りて、然るなり。すべてこの茶の湯にめずる筋は、絵も、書も、さらに見どころ無くおかしからぬ物なるを、かたく守りて尊むは、いといとかたくななる事なり。さてうすざいしきは、懐かしくやわらびておかし。ごくざいしきと云うに至りては、物によりてめでたきも有り。又稀れには余りこちたく見えてうるさき所も有るなり。水を紺青と云う物して書けるたぐい、殊にこちたし。さて絵の流、さまざま有る中に、昔よりこれを業とたてたる家々あり。大かたこの家々の絵は、その家々の伝ありて、法をのみ重く守りて、必ずしもその物のまことのさまをば問わず。この家と云うすじの絵に、善きことあり、悪しき事あり。まずかの位高き人の顔のいやしげに見え、美女の顔ふくらかにて見にくきなど、いといと心づきなし。又人の衣服のきわ、折目などの筋を、いと太く書けるもかたわなり。これら皆、筆の力を見せむとするしわざなり。もろこしの松を書くに、一種から松と云いて、必ずことなる松を書くは、思うに昔かの国人の書ける絵に、さるさまの松ありけむをならい伝えたるならむ。
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『茶の本』第五章 芸術鑑賞・偉大な絵画に接するには王侯に接するごとく美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、観覧者は通信を受けるに適当な態度を養わなければならない。宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ」。傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した」。現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。