茶の本 / 第七章 茶の宗匠・雪間の草の春を見せばや
花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや(三六)茶の宗匠たちの芸術に対する貢献は実に多方面にわたっていた。彼らは古典的建築および屋内の装飾を全く革新して、前に茶室の章で述べた新しい型を確立した。その影響は十六世紀以後に建てられた宮殿寺院さえも皆これをうけている。多能な小堀遠州は、桂の離宮、名古屋の城および孤篷庵に、彼が天才の著名な実例をのこしている。日本の有名な庭園は皆茶人によって設計せられたものである。わが国の陶器はもし彼らが鼓舞を与えてくれなかったら、優良な品質にはたぶんならなかったであろう。茶の湯に用いられた器具の製造のために、製陶業者のほうではあらん限りの新くふうの知恵を絞ったのであった。
書き下し
花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや。茶の宗匠たちの芸術に対する貢献は実に多方面にわたっていた。彼らは古典的建築および屋内の装飾を全く革新して、前に茶室の章で述べた新しい型を確立した。その影響は十六世紀以後に建てられた宮殿寺院さえも皆これをうけている。多能な小堀遠州は、桂の離宮、名古屋の城および孤篷庵に、彼が天才の著名な実例をのこしている。日本の有名な庭園は皆、茶人によって設計せられたものである。わが国の陶器は、もし彼らが鼓舞を与えてくれなかったら、優良な品質にはたぶんならなかったであろう。茶の湯に用いられた器具の製造のために、製陶業者のほうではあらん限りの新くふうの知恵を絞ったのであった。
現代語訳
花だけを待っているだろう人に、山里の雪の間から芽を出した草の春を見せたいものだ。茶の宗匠たちの芸術への貢献は、実に多方面にわたっていました。彼らは古典的な建築と屋内の装飾をまったく革新し、先に茶室の章で述べた新しい型を確立しました。その影響は、十六世紀以後に建てられた宮殿や寺院までがみな受けています。多才な小堀遠州は、桂離宮、名古屋城、孤篷庵に彼の天才の著名な実例を残しています。日本の有名な庭園はみな茶人によって設計されたものです。わが国の陶器は、もし彼らが刺激を与えてくれなかったら、優れた品質にはおそらくならなかったでしょう。茶の湯に用いる器具を作るために、陶工の側ではあらゆる新工夫の知恵を絞ったのでした。
解説
この章句が説くこと
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