茶の本 / 第六章 花・茶人の花を自然派と呼びたい
われらは花の宗匠の生花よりも茶人の生花に対してひそかに同情を持つ。茶人の花は、適当に生けると芸術であって、人生と真に密接な関係を持っているからわれわれの心に訴えるのである。この流派を、写実派および形式派と対称区別して、自然派と呼びたい。茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせてあるのを見る。それは去らんとする冬のなごりときたらんとする春の予告を配合したものである。またいらいらするような暑い夏の日に、昼のお茶に行って見れば、床の間の薄暗い涼しい所にかかっている花瓶には、一輪の百合を見るであろう。露のしたたる姿は、人生の愚かさを笑っているように思われる。
書き下し
われらは花の宗匠の生花よりも、茶人の生花に対してひそかに同情を持つ。茶人の花は、適当に生けると芸術であって、人生と真に密接な関係を持っているからわれわれの心に訴えるのである。この流派を、写実派および形式派と対称区別して、自然派と呼びたい。茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせてあるのを見る。それは去らんとする冬のなごりときたらんとする春の予告を配合したものである。またいらいらするような暑い夏の日に、昼のお茶に行って見れば、床の間の薄暗い涼しい所にかかっている花瓶には、一輪の百合を見るであろう。露のしたたる姿は、人生の愚かさを笑っているように思われる。
現代語訳
私たちは花の宗匠の生け花より、茶人の生け花にひそかに共感を持ちます。茶人の花は、適切に生けると芸術であって、人生と真に密接な関係を持っているから私たちの心に訴えるのです。この流派を、写実派および形式派と区別して、自然派と呼びたい。茶人たちは、花を選ぶことで自分のなすべきことは終わったと考えて、その他のことは花自身の身の上話に任せました。晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿が取り合わされているのを見ます。それは去ろうとする冬の名残と、来ようとする春の予告を配合したものです。またいらいらするような暑い夏の日に、昼のお茶に行ってみれば、床の間の薄暗い涼しい場所に掛かっている花瓶に、一輪の百合を見るでしょう。露の滴る姿は、人生の愚かさを笑っているように思われます。
解説

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