茶の本 / 第六章 花・絵画彫刻との協奏曲
花の独奏はおもしろいものであるが、絵画、彫刻の協奏曲となれば、その取りあわせには人を恍惚とさせるものがある。石州はかつて湖沼の草木を思わせるように水盤に水草を生けて、上の壁には相阿弥の描いた鴨の空を飛ぶ絵をかけた。紹巴という茶人は、海辺の野花と漁家の形をした青銅の香炉に配するに、海岸のさびしい美しさを歌った和歌をもってした。その客人の一人は、その全配合の中に晩秋の微風を感じたとしるしている。
書き下し
花の独奏はおもしろいものであるが、絵画、彫刻の協奏曲となれば、その取りあわせには人を恍惚とさせるものがある。石州はかつて湖沼の草木を思わせるように水盤に水草を生けて、上の壁には相阿弥の描いた鴨の空を飛ぶ絵をかけた。紹巴という茶人は、海辺の野花と漁家の形をした青銅の香炉に配するに、海岸のさびしい美しさを歌った和歌をもってした。その客人の一人は、その全配合のなかに晩秋の微風を感じたとしるしている。
現代語訳
花の独奏は面白いものですが、絵画や彫刻との協奏曲となれば、その取り合わせには人を恍惚とさせるものがあります。石州はかつて、湖や沼の草木を思わせるように水盤に水草を生け、上の壁には相阿弥が描いた鴨が空を飛ぶ絵を掛けました。紹巴という茶人は、海辺の野の花と漁師の家の形をした青銅の香炉に合わせて、海岸の寂しい美しさを歌った和歌を添えました。その客の一人は、その全体の配合の中に晩秋のそよ風を感じたと記しています。
解説
取り合わせの実例が二つ示されます。水盤の水草に鴨の絵を掛けて湖の景を作る、海辺の花と漁家の香炉に海岸の歌を添える。どれも単品では平凡ですが、組み合わせると一つの景色が立ち上がります。客が晩秋のそよ風を感じたと書き残したというのが成果です。作ったのは主人ですが、感じたのは客。第五章の、傑作は私たちによって存する、がここで実演されています。
この章句が説くこと
配合協奏景色取合せ体験
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