茶の本 / 第六章 花・形式派と写実派
花を花だけのために崇拝する事は、十七世紀の中葉、花の宗匠が出るようになって起こったのである。そうなると茶室には関係なく、ただ花瓶が課する法則のほかには全く法則がなくなった。新しい考案、新しい方法ができるようになって、これらから生まれ出た原則や流派がたくさんあった。十九世紀のある文人の言うところによれば、百以上の異なった生花の流派をあげる事ができる。広く言えばこれら諸流は、形式派と写実派の二大流派に分かれる。池の坊を家元とする形式派は、狩野派に相当する古典的理想主義をねらっていた。初期のこの派の宗匠の生花の記録があるが、それは山雪や常信の花の絵をほとんどそのままにうつし出したものである。一方写実派はその名の示すごとく、自然をそのモデルと思って、ただ美的調和を表現する助けとなるような形の修正を加えただけである。ゆえにこの派の作には浮世絵や四条派の絵をなしている気分と同じ気分が認められる。
書き下し
花を花だけのために崇拝する事は、十七世紀の中葉、花の宗匠が出るようになって起こったのである。そうなると茶室には関係なく、ただ花瓶が課する法則のほかには全く法則がなくなった。新しい考案、新しい方法ができるようになって、これらから生まれ出た原則や流派がたくさんあった。十九世紀のある文人の言うところによれば、百以上の異なった生花の流派をあげる事ができる。広く言えばこれら諸流は、形式派と写実派の二大流派に分かれる。池の坊を家元とする形式派は、狩野派に相当する古典的理想主義をねらっていた。初期のこの派の宗匠の生花の記録があるが、それは山雪や常信の花の絵をほとんどそのままにうつし出したものである。一方写実派はその名の示すごとく、自然をそのモデルと思って、ただ美的調和を表現する助けとなるような形の修正を加えただけである。ゆえにこの派の作には、浮世絵や四条派の絵をなしている気分と同じ気分が認められる。
現代語訳
花を花だけのために崇めることは、十七世紀の半ば、花の宗匠が出るようになって起こりました。そうなると茶室とは関係なく、ただ花瓶が課する法則以外にはまったく法則がなくなりました。新しい考案、新しい方法ができるようになり、これらから生まれ出た原則や流派がたくさんありました。十九世紀のある文人によれば、百以上の異なる生け花の流派を挙げることができます。大きく言えばこれらの流派は、形式派と写実派の二大流派に分かれます。池坊を家元とする形式派は、狩野派に相当する古典的な理想主義を狙っていました。初期のこの派の宗匠の生け花の記録がありますが、それは山雪や常信の花の絵をほとんどそのまま写し出したものです。一方、写実派はその名の示すとおり、自然をお手本と思って、ただ美的な調和を表す助けとなる形の修正を加えただけです。ですからこの派の作には、浮世絵や四条派の絵と同じ気分が認められます。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』魯問子墨子曰く、曹公子を出だして宋に於いてす。三年にして反る。子墨子を睹て曰く、「始め吾れ子の門に游びしとき、短褐の衣、藿羮も朝に之を得れば則ち夕に得ず、鬼神を祭祀す。而して夫子の政を以て家、始めより厚し。家、厚きこと有りて謹んで鬼神を祭祀す。然り而して人徒、多く死し、六畜、蕃らず、身は病に湛む。吾れ未だ夫子の道の用う可きを知らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ鬼神の人に欲する所の者は多し。人の髙爵禄に處らば則ち以て賢に讓り、財多ければ則ち以て貧に分かつを欲す。夫れ鬼神、豈に唯だ擢季拑肺を之れ欲せんや。今、子は髙爵禄に處りて以て賢に讓らず、一の不祥なり。財多くして以て貧に分かたず、二の不祥なり。今、子、鬼神に事うるは、唯だ祭るのみ。而して曰く、『病、何自り至れるか』と。是れ猶お百門にして一門を閉じて、『盜、何從り入らん』と曰うがごときなり。是くの若くして福を求むるは、怪の鬼に於いて有らんや。豈に可ならんや」と。
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論語・顔淵篇棘子成曰く、「君子は質のみ。何ぞ文を以て為さん。」子貢曰く、「惜しいかな、夫子の説、君子なり。駟も舌に及ばず。文は猶お質のごとく、質は猶お文のごときなり。虎豹の鞹は、猶お犬羊の鞹のごとし。」
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『茶の本』第一章 人情の碗・シルクハットを得ることが文明かかくのごとき誤解は、われわれのうちからすみやかに消え去ってゆく。商業上の必要に迫られて、欧州の国語が東洋幾多の港に用いられるようになって来た。アジアの青年は現代的教育を受けるために、西洋の大学に群がってゆく。われわれの洞察力は、諸君の文化に深く入り込むことはできない。しかし少なくともわれわれは喜んで学ぼうとしている。私の同国人のうちには、諸君の習慣や礼儀作法をあまりに多く取り入れた者がある。こういう人は、こわばったカラや丈の高いシルクハットを得ることが、諸君の文明を得ることと心得違いをしていたのである。かかる様子ぶりは、実に哀れむべき嘆かわしいものであるが、ひざまずいて西洋文明に近づこうとする証拠となる。
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『学問のすゝめ』十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・この病に罹る者を偽君子と名づく右のごとく上下貴賤の名分を正し、ただその名のみを主張して専制の権を行なわんとするの原因よりして、その毒の吹き出すところは人間に流行する欺詐術策の容体なり。この病に罹る者を偽君子と名づく。譬えば封建の世に大名の家来は表向きみな忠臣のつもりにて、その形を見れば君臣上下の名分を正し、辞儀をするにも敷居一筋の内外を争い、亡君の逮夜には精進を守り、若殿の誕生には上下を着し、年頭の祝儀、菩提所の参詣、一人も欠席あることなし。その口吻にいわく、「貧は士の常、尽忠報国」またいわく、「その食を食む者はその事に死す」などと、たいそうらしく言い触らし、すはといわば今にも討死せん勢いにて、ひととおりの者はこれに欺かるべき有様なれども、竊に一方より窺えば、はたして例の偽君子なり。