茶の本 / 第六章 花・小鳥を籠に閉じこめて歌わせる
しかし鉢植えの花の場合でさえ、人間の勝手気ままな事が感ぜられる気がする。何ゆえに花をそのふるさとから連れ出して、知らぬ他郷に咲かせようとするのであるか。それは小鳥を籠に閉じこめて、歌わせようとするのも同じではないか。蘭類が温室で、人工の熱によって息づまる思いをしながら、なつかしい南国の空を一目見たいとあてもなくあこがれているとだれが知っていよう。
書き下し
しかし鉢植えの花の場合でさえ、人間の勝手気ままな事が感ぜられる気がする。何ゆえに花をそのふるさとから連れ出して、知らぬ他郷に咲かせようとするのであるか。それは小鳥を籠に閉じこめて、歌わせようとするのも同じではないか。蘭類が温室で、人工の熱によって息づまる思いをしながら、なつかしい南国の空を一目見たいとあてもなくあこがれていると、だれが知っていよう。
現代語訳
しかし鉢植えの花の場合でさえ、人の勝手気ままが感じられる気がします。なぜ花を故郷から連れ出して、知らない他の土地で咲かせようとするのでしょうか。それは小鳥を籠に閉じ込めて歌わせようとするのと同じではありませんか。蘭が温室で、人工の熱によって息詰まる思いをしながら、懐かしい南国の空を一目見たいとあてもなく憧れていることを、誰が知っているでしょう。
解説
育てる側も告発の対象になります。切るのが残酷なら、故郷から連れ出して他所で咲かせるのはどうなのか。小鳥を籠に入れて歌わせるのと同じだ、と。温室の蘭が南国の空を恋しがっているという想像は感傷的ですが、この章が一貫して取ってきた花の視点そのままです。愛でる行為のすべてに人の勝手が混じっているという認識が、次の段の、故郷に訪ねる愛し方へつながります。
この章句が説くこと
栽培勝手故郷囚われ視点
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