茶の本 / 第六章 花・一枝を伐らば一指を剪るべし
か弱い花を保護するためには、非常な警戒をしたものであった。唐の玄宗皇帝は、鳥を近づけないために花園の樹枝に小さい金の鈴をかけておいた。春の日に宮廷の楽人を率いていで、美しい音楽で花を喜ばせたのも彼であった。わが国のアーサー王物語の主人公ともいうべき、義経の書いたものだという伝説のある、奇妙な高札が日本のある寺院(須磨寺)に現存している。それはある不思議な梅の木を保護するために掲げられた掲示であって、尚武時代のすごいおかしみをもってわれらの心に訴える。梅花の美しさを述べた後「一枝を伐らば一指を剪るべし。」という文が書いてある。花をむやみに切り捨てたり、美術品をばだいなしにする者どもに対しては、今日においてもこういう法律が願わくは実施せられよかしと思う。
書き下し
か弱い花を保護するためには、非常な警戒をしたものであった。唐の玄宗皇帝は、鳥を近づけないために花園の樹枝に小さい金の鈴をかけておいた。春の日に宮廷の楽人を率いていで、美しい音楽で花を喜ばせたのも彼であった。わが国のアーサー王物語の主人公ともいうべき、義経の書いたものだという伝説のある、奇妙な高札が日本のある寺院に現存している。それはある不思議な梅の木を保護するために掲げられた掲示であって、尚武時代のすごいおかしみをもってわれらの心に訴える。梅花の美しさを述べた後、「一枝を伐らば一指を剪るべし」という文が書いてある。花をむやみに切り捨てたり、美術品をだいなしにする者どもに対しては、今日においてもこういう法律が願わくは実施せられよかしと思う。
現代語訳
か弱い花を守るためには、非常な用心をしたものでした。唐の玄宗皇帝は、鳥を近づけないために花園の枝に小さな金の鈴を掛けておきました。春の日に宮廷の楽人を率いて出て、美しい音楽で花を喜ばせたのも彼です。わが国のアーサー王物語の主人公とも言うべき義経が書いたものだという伝説のある奇妙な高札が、日本のある寺院に現存しています。それはある不思議な梅の木を守るために掲げられた掲示で、武を尊んだ時代のすさまじいおかしみをもって私たちの心に訴えます。梅の花の美しさを述べた後に、一枝を切る者は一本の指を切るべし、という文が書かれています。花をむやみに切り捨てたり、美術品を台無しにする者に対しては、今日でもこういう法律が実施されればよいと思います。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『茶の本』第六章 花・一枝一条もみだりに切らないわが茶や花の宗匠のやり口を知っている人はだれでも、彼らが宗教的の尊敬をもって花を見る事に気がついたに違いない。彼らは一枝一条もみだりに切り取る事をしないで、おのが心に描く美的配合を目的に注意深く選択する。彼らは、もし絶対に必要の度を越えて万一切り取るようなことがあると、これを恥とした。これに関連して言ってもよろしいと思われる事は、彼らはいつも、多少でも葉があればこれを花に添えておくという事である。というのは、彼らの目的は花の生活の全美を表わすにあるから。この点については、その他の多くの点におけると同様、彼らの方法は西洋諸国に行なわれるものとは異なっている。かの国では、花梗のみ、いわば胴のない頭だけが乱雑に花瓶にさしこんであるのをよく見受ける。
-
『茶の本』第六章 花・純潔と清楚に身をささげる花をちぎる事によって、新たな形を生み出して世人の考えを高尚にする事ができるならば、そうしてもよいではないか。われわれが花に求むるところは、ただ美に対する奉納を共にせん事にあるのみ。われわれは「純潔」と「清楚」に身をささげる事によって、その罪滅ぼしをしよう。こういうふうな論法で、茶人たちは生花の法を定めたのである。
-
『茶の本』第六章 花・植木鉢をいじる人草花を作る人のためには大いに肩を持ってやってもよい。植木鉢をいじる人は花鋏の人よりもはるかに人情がある。彼が水や日光について心配したり、寄生虫を相手に争ったり、霜を恐れたり、芽の出ようがおそい時は心配し、葉に光沢が出て来ると有頂天になって喜ぶ様子をうかがっているのは楽しいものである。東洋では花卉栽培の道は非常に古いものであって、詩人の嗜好とその愛好する花卉は、しばしば物語や歌にしるされている。唐宋の時代には陶器術の発達に伴なって、花卉を入れる驚くべき器が作られたということである。といっても植木鉢ではなく、宝石をちりばめた御殿であった。花ごとに仕える特使が派遣せられ、兎の毛で作ったやわらかい刷毛でその葉を洗うのであった。
-
『茶の本』第六章 花・花の生まれ故郷に花をたずねる花を理想的に愛する人は、破れた籬の前に座して野菊と語った陶淵明や、たそがれに、西湖の梅花の間を逍遙しながら、暗香浮動の趣に我れを忘れた林和靖のごとく、花の生まれ故郷に花をたずねる人々である。周茂叔は、彼の夢が蓮の花の夢と混ずるように、舟中に眠ったと伝えられている。この精神こそは奈良朝で有名な光明皇后のみ心を動かしたものであって、「折りつればたぶさにけがる立てながら三世の仏に花たてまつる」とお詠みになった。
-
『茶の本』第六章 花・雪が積む時は白梅を用いないしかし茶人たちの花の尊崇は、ただ彼らの審美的儀式の一部をなしたに過ぎないのであって、それだけが独立して、別の儀式をなしてはいなかったという事を忘れてはならぬ。生花は茶室にある他の美術品と同様に、装飾の全配合に従属的なものであった。ゆえに石州は「雪が庭に積んでいる時は白い梅花を用いてはならぬ」と規定した。「けばけばしい」花は無情にも茶室から遠ざけられた。茶人の生けた生花は、その本来の目的の場所から取り去ればその趣旨を失うものである。と言うのは、その線やつり合いは、特にその周囲のものとの配合を考えてくふうしてあるのであるから。
-
『茶の本』第六章 花・鉢の木牡丹は、盛装した美しい侍女が水を与うべきもの、寒梅は青い顔をしてほっそりとした修道僧が水をやるべきものと書いた本がある。日本で、足利時代に作られた「鉢の木」という最も通俗な能の舞は、貧困な武士がある寒夜に炉に焚く薪がないので、旅僧を歓待するために、だいじに育てた鉢の木を切るという話に基づいて書いたものである。その僧とは実は、わが物語のハルンアルラシッドともいうべき北条時頼にほかならなかった。そしてその犠牲に対しては報酬なしではなかった。この舞は現今でも必ず東京の観客の涙を誘うものである。