茶の本 / 第六章 花・生花の宗匠は医者の権利を要求する
花よ、もし御門の国にいるならば、鋏と小鋸に身を固めた恐ろしい人にいつか会うかもしれぬ。その人はみずから「生花の宗匠」と称している。彼は医者の権利を要求する。だから、自然彼がきらいになるだろう。というのは、医者というものはその犠牲になった人のわずらいをいつも長びかせようとする者だからね。彼はお前たちを切ってかがめゆがめて、彼の勝手な考えでお前たちの取るべき姿勢をきめて、途方もない変な姿にするだろう。もみ療治をする者のようにお前たちの筋肉を曲げ、骨を違わせるだろう。出血を止めるために灼熱した炭でお前たちを焦がしたり、循環を助けるためにからだの中へ針金をさし込むこともあろう。塩、酢、明礬、時には硫酸を食事に与えることもあろう。
書き下し
花よ、もし御門の国にいるならば、鋏と小鋸に身を固めた恐ろしい人にいつか会うかもしれぬ。その人はみずから「生花の宗匠」と称している。彼は医者の権利を要求する。だから、自然彼がきらいになるだろう。というのは、医者というものは、その犠牲になった人のわずらいをいつも長びかせようとする者だからね。彼はお前たちを切って、かがめゆがめて、彼の勝手な考えでお前たちの取るべき姿勢をきめて、途方もない変な姿にするだろう。もみ療治をする者のようにお前たちの筋肉を曲げ、骨を違わせるだろう。出血を止めるために灼熱した炭でお前たちを焦がしたり、循環を助けるためにからだのなかへ針金をさし込むこともあろう。塩、酢、明礬、時には硫酸を食事に与えることもあろう。
現代語訳
花よ、もし天皇の国にいるなら、鋏と小鋸で身を固めた恐ろしい人にいつか会うかもしれない。その人は自ら生花の宗匠と称している。彼は医者の権利を要求する。だから自然に彼が嫌いになるだろう。医者というものは、その犠牲になった人の病を常に長引かせようとする者だからね。彼はお前たちを切って、かがめ、ゆがめ、自分の勝手な考えでお前たちが取るべき姿勢を決めて、途方もない変な姿にするだろう。揉み療治をする者のようにお前たちの筋肉を曲げ、骨を外すだろう。出血を止めるために灼熱した炭でお前たちを焦がしたり、循環を助けるために体の中へ針金を差し込むこともあろう。塩、酢、明礬、ときには硫酸を食事に与えることもあろう。
解説
この章句が説くこと
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